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吉高由里子がランキングなどで上位に入る意味と「蛇にピアス」。よくできている「オトメン(乙男)」。壇れいの姿勢。

吉高由里子が様々なランキングなどで上位に顔を見せることが多くなったことについて喜ぶべきか憂うべきか。
もちろんファンとしては喜ぶべきだろう。
ところで最近の吉高由里子の人気とは何なのか。
確かにここ1年ほど民放のテレビドラマへ出演してきた。
その中に驚くべきクオリティを誇る「トンスラ」があったことは言うまでもない。
しかし「トンスラ」は深夜帯のドラマだった。
午後9時~11時枠の主要時間帯で放送したドラマは必ずしも内容・視聴率などで成功したとは言えず、
しかも吉高由里子は、美貌と存在感を発揮していたとは言え、すべて3番手以下の脇役だった。
それらのテレビドラマで現在の吉高由里子人気が浸透していったとは思えない。
やはり「蛇にピアス」の衝撃は、ある種の人たちには直接的に強烈に、ある種の人たちには間接的ではあるがじわじわと拡がっていたようである。

この話、もっと続ける。

話変わって、「週刊文春」にいわば「女優の態度のでかさ」に関する特集(爆笑)があったけれど、わたしはこの手の話は基本的に好きである。
普段「いい人」であっても女優としての魅力や力がなければ、当然「女優としては」何の価値もない。
女優としてのプライドや「生き方」をしっかり持っている人たちが周囲から多少「偉そう」に見えても当たり前なのだ。
「いい人かどうか」を表現者の価値基準に加えるのはすべての人が止めるべきだと思っている。(「いい人」が悪いと言っているのではありません、念のため)
で、「週刊文春」の特集の中で壇れいは「バラエティにはいっさい興味を示さない」という趣旨の内容が書かれていたが、素晴らしいじゃないか。
今の日本のバラエティ、そしてその出演者のほとんど(すべてではない、念のため)の愚劣さときたら、筆舌に尽くしがたいほどだ。
そして彼らは「さあ、気取ってないで、おれたちの方へ来て一緒に楽に儲けようよ。どうせ皆同じじゃないか」といつも「おいでおいで」をしているわけだ。
決して「皆同じ」ではない。「皆同じ」になると、日本の文化は完璧に破壊されてしまう。
それをよく理解している一人が壇れいだということだ。

ところで「天然コケッコー」コンビの夏帆・岡田将生主演「オトメン(乙男)」が比較的よくできている。
詳しくは明日にでも。

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