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「あからさまさ」と、カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を切るユディト」、ルーカス・クラナハ(父)の「ユディト」。 [ルコ的読書]

「ホロフェルネスの首を切るユディト」だけでなく、カラヴァッジョの作品には「現場写真」を思わせるものが多い。
ユディトの伝説を描いても他の画家とまったく雰囲気が違うのはその「あからさまさ」だと言うこともできる。
あるいは「身も蓋もない」描き方と言い換えることもできるだろうか。
もちろん「首を切る」というのがポイントの話だけに、他の画家が描いたユディト伝説もかなり際どい画となっているが、それでもたいがいしっかりと「画」に収まっている。
カラヴァッジョの場合、その圧倒的な技術がまるで鑑賞者を驚かすために使われているような痛快さがあるのだ。

カラヴァッジョと違う意味で「あからさま」なのが、何と言ってもルーカス・クラナハ(父)の「ユディト」だ。
この禍々しい画に関しての話は、次の機会としよう。
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