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ネオアンガージュマン  東日本大震災後の日本社会 「二通りの説」 その2  [ネオアンガージュマン]

いずれも一流の論者によって成される、日本社会に関する「二通りの説」。

○日本社会は今後も変わらない。
(含、日本社会は今後も変える必要はない。日本社会は今後も変えることはできない。)

○日本社会はこれから変わる。

(含、日本社会はこらから変えねばならない。日本社会はこれから変えるべきである・変わるべきである。)

わたしがどちら側に立っているかと言えば、もちろん
「日本社会はこれから変わる(変えねばならい)」の方だ。

なぜか?という根拠は無数にあるが、非常に大きいのが「わたし自身の感覚」が現在のままの日本に「NO」と叫んでいる点だ。
「また主観的なことを・・」と眉をひそめる向きも多いだろうが、何らかのことで「動こう」という時に「個人の主観的感覚」というのは馬鹿にならないものだと思う。
「客観性」だけでは人間なかなか思い切った「動き」はできないものなのだ。
もちろんそうした「感覚」に至った個人史に信を置いているということもある。
歴史的には自分に「信を置くべきでない」人物が「信を置き過ぎて」失敗した例も数あることを知った上で書いているわけだけど。(笑)

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orange

『「客観性」だけでは人間なかなか思い切った「動き」はできないもの』同感です。と言うよりは、個人個人の判断は兎角本能的な、とても感覚的なところで行われているのだと思います。客観的に考えて、論理的な道筋を辿ってどう考えても「おかしいこと」を押し通している人に対して「NO」を言わなかったのは、個人個人のレベルで反射的に嫌悪感を感じるだけの感情がなかったからだと思います。
そう変わるでしょうね。ジワジワと。
変わると思います。時間をかけて。
by orange (2011-08-06 21:03) 

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