SSブログ

末尾ルコ傑作詩「アンナ・ニクーリナとマリリン・モンロー」篇。末尾ルコ「映像女優演技論 北川景子」篇。「の・ようなもの のようなもの(仮題)」 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「アンナ・ニクーリナとマリリン・モンロー」篇。

マリリン・モンローは
孤独の内に
死す

アンナ・ニクーリナは
どれだけ悲痛な
ニキアを踊る

なぜモンローとニクーリナを並べるの?
意味なんてないさ。

●末尾ルコ「映像女優演技論 北川景子」篇。「の・ようなもの のようなもの(仮題)」

北川景子が森田芳光監督のデビュー作「の・ようなもの」のその後を描くという「の・ようなもの のようなもの(仮題)」に出演する。
北川景子もそろそろ「映画女優」として「この作品をやったんだ」という誇りを持てるものに出たい。
今までの出演作にももちろん誇りを持っているでしょう。
少なくとも普通、特に日本の俳優たちは「どの出演作にも誇りを持っている」と言う。
しかし心の底の本心はどう言っているか。
「思ったことを何もかも言う」ことが「よきこと」であるとは限りません。
人間の世界、やはり「言うべきこと、言わぬべきこと」の区別はしなければならない。
その上で、日本人は「言うべきこと」さえ言わない人が多すぎる。
この点は変えていかねばならない。
「少子化」が日本の大問題として取り沙汰されているけれど、「言うべきことを言わない」国民性も「少子化」を促進していると思いますよ。
北川景子に話を戻しますと、「人気スター女優」の座を射止めてからは、ほとんどひっきりなしに映画、テレビドラマに出演している。
既に不動の地位を築いていると言ってもいい。
けれど北川景子の「本当の心」は「もっともっといい映画、作品性の高い映画に出演したい」と思っているはずです。
俳優たちがそのようなことを自由に語れるようになればいいけれど、そうでない間は、ファンがその気持ちを類推せねばならない。
北川景子は「映画が分かる」「文学が分かる」女優なのだから、自らの出演作のクオリティも客観的に評価できているはずです。
例えば最近で言えば、「謎解きはディナーのあとで」の映画版など、実にお寒い内容だった。
テレビ版よりもお金をかけているというだけで、中身はより冗漫となり、そして「ラストで泣かそう」という日本人の悪癖も出てしまい、痛快さの欠片もない作品になっていました。
それだけに、「の・ようなもの のようなもの(仮題)」には期待したい。
映画館へ足を運ばせてほしい。

●11月日本公開。レア・セドゥ主演「美女と野獣」を応援しています。
そして驚くべき状況になっている、フランス女優の魅力を、力を入れて語ります。
「美女と野獣」。
主演はレア・セドゥとヴァンサン・カッセル。
「美女と野獣」に、なんて相応しい二人なのだろう!
(末尾ルコ設立「フランス映画とバレエ普及団←仮称」会長 革命・芸術 末尾ルコより) 

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 8

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0