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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「映画女優演技論」~「悪」が普通になる「紙の月」の宮沢りえ。2015年2月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画女優演技論」~「悪」が普通になる「紙の月」の宮沢りえ。

吉田大八監督の映画「紙の月」なんですが、わたしがここ5年ほどの期間に鑑賞した日本映画の中では5本の指に入る。
とても気に入りました。
作品を通しておもしろく、何度か「ゾクッ」とするシーン、そして「ワクワク」するシーンがある。
この「ゾクッ」と「ワクワク」が近年の日本映画に足りない要素であり、「紙の月」にはそれがある。
ちなみに園子温監督「愛のむきだし」は、極めて多くのシーンが「ゾクッ」「ワクワク」に満ちていました。
評判通り、宮沢りえは抜群にいい。
「普通」の暮らしから、小さなきっかけにより「普通でない」暮らしへと堕ちていく主婦の姿を大袈裟でなく自然に、しかも魅力的に演じている。
今の宮沢りえを「痩せ過ぎ」と感じる人も多いですが、「アイドル時代の宮沢りえ」とは別人であると思った方がいいですね。
あの頃はあの頃で非常に大きなエネルギーを発していた。
(ああ、こんな宮沢りえもいたんだ)で構わないのだと思う。
わたしたちは現在の「女優 宮沢りえ」に最大限の敬意を払うべきです。
映画「紙の月」には大きく分けて、「3人の宮沢りえ」がいる。
「普通の主婦である宮沢りえ」
「大学生との不倫に溺れていく宮沢りえ」
「犯罪行為が普通となった宮沢りえ」
どの宮沢りえも実にいい。
けれど敢えて1番を選ぶとすれば、
「犯罪行為が普通となった宮沢りえ」
です。
特に終盤、サラ金へ電話するシーン。
犯罪映画の中のジェニファー・ジェイソン・リーを彷彿させる高いクオリティのシーンを実現していました。

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