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末尾ルコ詩D「猫、可能!」篇。末尾ルコ「映画女優演技論+美学」~「セレブ」って何でしょう?と疑問を呈しつつ、映画「ダイアナ」のナオミ・ワッツについて語る。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、可能!」篇。

「猫、可能」

できるのか?
と問う声がする
もちろんおれは、
できるのさ!
と答える。

・・・・・・

そう。
ぼくの素敵なネコのためなら、
どんなことだってできるさ!

●末尾ルコ「映画女優演技論+美学」~「セレブ」って何でしょう?と疑問を呈しつつ、映画「ダイアナ」のナオミ・ワッツについて語る。

英国のダイアナ(元)妃が亡くなって久しく、セレブリティとしてあれだけ注目され、スキャンダラスであって人もなかなかいないなと。

ところで「セレブ」という言い方ですが、日本だと「少々財産がある程度」の人たちを「セレブ」と呼んだりするので「ブログでセレブ生活を公開」「セレブ生活のツイッターで人気」とかいう馬鹿が出てくるわけで、そもそも「セレブリティ」とは「著名人」、しかもかなり大衆の間に膾炙した「著名人」であって、「少々財産がある程度」の人たちを「セレブ」と呼ぶのは止めましょう。

と、「言葉づかいが馬鹿な国は没落する」との信念に基づき、わたしは主張するのです。

ところでナオミ・ワッツ主演の「ダイアナ」という映画があるのですが、チャールズ皇太子との関係が「終わった」、新しい恋人となる医師ハスナット・カーンとの関係を深め、しかし徐々に溝ができて離れていき、ダイアナの死に至る過程を描いた作品です。
英国では公開時、ボロカスに叩かれた映画ですし、他国の批評もそうじてよくはないけれど、フランスでは一部少しだけ(笑)褒めたレヴューもあります。
わたしはナオミ・ワッツのファンですが、「ナオミ・ワッツ=ダイアナ」というのはいかにも無理があるなと。
欧米のスター女優としては比較的小柄なナオミ・ワッツが服装やヘアスタイルを「ダイアナ」にするとまるで「物真似大会」のようで、それでも観ている内に持ち前の演技力に引き込まれていきますが、どうしても「ダイアナ」には見えない。
「ダイアナ」とするにはナオミ・ワッツ、デリケートな美しさが勝り過ぎているのですね。

ところで「美の基準」、あるいは「美的感覚」はとても難しいもので、世界的に「とても美しい人」と見做されていたダイアナ(元)妃ですが、
わたしは一度も「美しい」と感じたことはなかった。
あなたはどうでしたか?

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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コメント 1

ちゅんちゅんちゅん

おはようございます!
姿かたちにものさしを当てて
「美しさ」をはかるのか
その人の内面を含むまるごとをはかるか・・・で
違ってきますね✿
D妃はお会いしたことがない(当たり前)ので
報道されたお姿に関してなら(内面は知るよしもありませんので)
同感です(^^)
by ちゅんちゅんちゅん (2016-01-30 07:29) 

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