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●新妻聖子はなぜこれほどまでに「新妻エロス」なのか? [「言葉」による革命]

●新妻聖子はなぜこれほどまでに「新妻エロス」なのか?

末尾ルコ「エロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『The モーツァルト』という番組で、トーナメントを勝ち上がった山田姉妹の妹 山田麗が、番組上「絶対女王」と位置付けられている新妻聖子と覇を競ったその結果について、まあ民放地上波の一番組の企画であるしどうこう言うつもりはなく、わたしは山田麗の美しくも凄まじい歌唱にただただ心を振るわせていたのだが、そうした観点とは異なる部分で新妻聖子はけっこう好きなのである。
「新妻」という名字の由来についてここで語るつもりはないが、新妻聖子の場合、「新妻」という名字であり、しかもその名字が「ふさわしく」感じられる点、貴重な存在であると思うのだ。
例えば安室奈美恵が「新妻」という名字だったとして、「新妻奈美恵」・・・イメージにそぐわないだろう。
あるいは「新妻JUJU」とか「新妻ミーシャ」とか・・・何かネタのようになってきてはいるが、あるいは吉田沙保里が「新妻沙保里」とか、まあ吉田のことをどうこう言うわけではないが、(う~ん、ちょっと違うなあ)と感じる方が多いのではないか。
もちろん「新妻」という名字が現実にある以上、「男性の新妻」も存在するわけで、例えば、「新妻太郎」とか「新妻正平」とか「新妻晋三」などが身の回りにいても何ら不思議はないといことだが。
それはさて置き、新妻聖子はいかに「新妻」という名字に相応しい属性を持った女性なのか。
あらためてそのプロフィールを確認してみた。

生年月日は、 1980年10月8日で現在37歳。
従来の常識では、「新妻」と言うにはやや
年齢が高いけれど、新妻聖子の場合はつぶらな瞳とやや丸顔に近い輪郭が実際の年よりもずっと若く見せている。
と言うか、現在はもう、個人個人の生活態度や体質によっては、「従来の年齢の常識」などまったく関係なくなってきてはいると思う。
それと新妻聖子の場合は、「童顔一歩手前」と言おうか、「完璧童顔」だと、「新妻感」はグッと減退するものである。
例えば西村知美童顔に「新妻」的疼きを感じるかと言えば、わたしは感じない。
なにせ西村知美は往時、「(お化けが出そうな)怖い時には、ギャグ漫画を読んで(楽しい気分にして怖さを撃退する)」的発言をした逸物であるから、「新妻」感があろうはずはない。
わたしたち(?)が心を疼かせる「新妻」は、恐怖に直面した時に決してギャグ漫画に手を伸ばしたりしないのだ。
恐怖に直面した「新妻」はきっと、慄き、しかしその恐怖に耐えようとし、しかし慄く・・・。

もう一度、新妻聖子の持ち味を振り返ってみよう。
いかにも「慄き」が似合うつぶらな瞳、過不足なくバランスの取れたプロポーションと、やや小柄な156 cm(公称)の身長・・・確かに理想的「新妻」のエロティシズムを備えている、十分に。

※エロティシズム探求にとって重要な「新妻」などのコンセプトについての思考と表現は今後もどんどん深められていくだろう。

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いっぷく

新妻聖子という人は私は知りませんでした。私もだいぶ最近の芸能人はわからなくなってきています。
「妻」というと、私が思い浮かぶのはおニャン子クラブの我妻佳代と、その流れで姉の芹沢直美です。まずいですね、昭和で止まってます。
私より年上の人でも、平成に入ってから出てきた人たちは、最近までピンと来なかったですね。高畑淳子とか。西部警察が30年ぶりぐらいにスペシャルで復活したときも、当時のメンバーが石原裕次郎を懐かしそうに語るシーンで大杉漣が出てきて違和感がありました。石原裕次郎が出ていた頃の大杉漣といえばピンク俳優でしたから。
それはともかく、新妻聖子はツイッターのフォロワーが3万人もいるんですね。「いいね」が5000ぐらいつくときもあるので、架空アカウントは少ないと思います。
何よりインスタグラムの「21.6kfollowers」がすごい。コラムも執筆していますね。かつては書ける女優として冨士眞奈美がいましたが、その才能を十分に発揮できるだけの場は少なかったように思います。でも今なら文化人として仕事ができます。女優が中身のないコメンテーターとして出ていることがありますが、中身のある話ができるコメンテーターとして期待ができますね。

西村知美は尿もれを告白して話題になってますね。
芸能人がそれを言うのはイメージ的にためらいがあるようですが、西村知美ならありかな、という気がしますので、西村知美にとっても、ひとつ持ちネタが増えて、誰も困らないいい話です。

>男性にとっては「いい人」と呼ばれることが屈辱的であるともよく言われます。

異性しての魅力はないといわれているに等しいということで、まさに「どうでもいい人」なんですね。あとは、手紙で「お仕事頑張ってください」と書かれたときとか。

私の両親が「いい人」であったのは、人も良かったのかもしれませんが、父親は借金道楽で、親類からも平気で金を借りる困った癖があり、金を借りられる関係を作るために「いい人」だったのだと思います。
母の弟から借りて、母の妹の夫の義兄にも母の妹の夫を通して借りる話をしていました。そちらは結局借りなかったのですが、母の弟については、母がいっこうに返す様子がなかったので、父の死後10年ぐらいしてから私が利息25%つけて返しました。
母は、見栄っ張りの自尊心を満たす面と、夫を亡くしたことで親類をあてにする依存心があったのだと思います。
私は、親類との距離感を大事にしてくれと何度も言ったのですがわかってもらえませんでした。
おおもとは私の火災が原因ですが、今年は母には親類の誰からも年賀状が来ておらず、まあそんなもんだろうなと改めて思いました。
by いっぷく (2018-01-05 09:12) 

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