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●村松友視『アリと猪木のものがたり』に触発されたわけではないが、「社会的事件」としての「アリVS猪木」は常に検証の価値がある。 [「言葉」による革命]

●村松友視『アリと猪木のものがたり』に触発されたわけではないが、「社会的事件」としての「アリVS猪木」は常に検証の価値がある。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

村松友視が『アリと猪木のものがたり』(河出書房)という本を出しており、わたしはまだ読んでないけれど、日本で「プロレスを知的・文化的に語る」風潮を確立した先駆者の久々のプロレス本だけに、もちろん興味はある。
この「知的・文化的に」という部分が当時は革命的と言ってもよく、プロレスファンにもたらした「自信」めいたものは極めて大きかったのだが、その後「知的・文化的に」というスタイルがクセモノとなってしまうのだけれど、それはまた別の話。
「アリVS猪木」戦はそれだけ語っても語っても語り尽せぬ謎と魅惑を内包しているのであって、わたしも幸いないことにリアルタイムでテレビ観戦できた人間の一人として、様々な角度で語っていきたいと思っている。
あるいは、「試合そのもの」は最も大切だけれど、その周辺状況、時代風潮なども、これはプロレスだけではなくて、総ての「表現鑑賞」に共通するのだけれど、非常に重要である。
例えば「アリVS猪木」が実現した1976年、高知ではまだ新日本プロレスのレギュラー放送はなかった。
つまりごく一部のプロレスファン以外にとって、「アントニオ猪木」という名はあまりに有名だったから知っていても、「燃える闘魂アントニオ猪木」の試合について知っている者はほとんどおらず、先立って行われた「猪木VSウィレム・ルスカ」についても知らず、あたかも降ってわいたように突然白昼のテレビに「アリVS猪木」が現れた印象だったのだと思う。
既にプロレス誌を定期購読していたわたしにしても、「モハメッド・アリが日本のリングへ上る」というとてつもない出来事の意味は分かっておらず、それ以前にモハメッド・アリの偉大さもほとんど知らなかった。
では当時のわたしはモハメッド・アリに対してどのようなイメージを持っていたか。
これはもう今となっては大笑いのイメージなのだけれど、

「モハメッド・アリはボクシングの世界チャンピオンなのだから、つまりプロレスの世界チャンピオンのドリー・ファンク・ジュニアやブルーノ・サンマルチノと同格のスポーツ選手なのだろうな」・・・である。

「モハメッド・アリとドリー・ファンク・ジュニアが同格」だとは、まさに情報弱者そのものだけれど、しかしこれは子ども時代のわたしだけでなく、多くのプロレスファンはそう信じていたのではないか。
プロレス雑誌やプロレス中継の内容がそのような情報をファンに受け付けていたのであり、考えてみれば、非常に罪なことをしていたのだと思う。
もちろんモハメッド・アリよりもドリー・ファンク・ジュニアの方に価値を置くという考えがあっても差し支えないが、「世界スポーツ界で同格」とか、そんなことを海外で言おうものなら、(日本というのはどのような情報が飛び交う社会なのか)と疑われても致し方ない部分がある。

現在はネットで世界からの情報を瞬時のチェックできるので、しっかりとした情報収集さえすれば、メディアに騙される可能性は少ないが、しかし現実を見てみると今でも、「モハメッド・アリとドリー・ファンク・ジュニアは同格」並みのことを信じている情弱者は枚挙にいとまがないのである。

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いっぷく

日本は、力道山がそう仕掛けて以来、羽田で記者会見はするし、当時の1、2位を争う民放の日テレとTBSが、上場企業や財閥のスポンサードで全国ネットの「スポーツ中継」として本当のアナウンサーの実況で放送するし、梶原一騎先生の詐術は面白いしで、プロレス(ラー)がすごく大事にされていますから、「同格のスポーツ選手」という見方も仕方なかったのではないでしょうか。
でもよーく見ると、「違い」には気づくと思うんですけどね。オリンピックには出てこないし、日刊紙のスポーツ欄にもNHKニュースにも出てこないし、試合も正確にジャジメントされていないし。テリトリーが変わると、レスラーの勝ち負けや格も変わってくるし。
まあそれは、国体がいつも開催県が優勝するなど、予定調和の好きな日本なので、プロレスの予定調和も「だからおかしい」にはならなかったのかもしれません。
子供の頃アリが復帰後の第一戦の「カシアス・クレイ対ジョーフレイザー」が、衛星中継だったのでびっくりしましたね。プロレスは、NWA世界選手権でもそこまでやりませんから。

私としては、当時からそもそも「同格であってほしくない」ぐらいの気持ちが漠然とありました。
もともとマイナーだったり、うさんくさかったりするものが好きみたいで、プロレスのテリトリー制の牧歌的というかマイナーさゆえの自由さが、当時から気に入っていたんでしょうね。立花隆のプロレスをコバカにした評価は一面的で賛成する気はありませんが、あまり持ち上げてもらっても困ると思いました。
ですから、最近の話ですが、デストロイヤーが勲章をもらう話も、複雑な気持ちですね。
これは、三条名誉市民とは少し違うもののように思いました。
プロレスを知ってる者が、「世間はわからないだろうが俺はデストロイヤーがいかにすごいか知っている」というところに楽しさがあるのに、為政者の確固たるお墨付きをもらったら、韜晦趣味の楽しい闇がなくなってしまうようで、つまらないですね。

>あるいは布団の中で(笑)

これはもう夜中でも大笑いさせていただきました。もちろん、理由は身に覚えがあるからなのですが(笑)
たとえば山田姉妹には、どのようなシナリオを描かれているのですか。
by いっぷく (2018-01-20 02:57) 

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