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●人生のブルースか?永田裕志VS中西学を観ながら、二人の異種格闘技戦的試合を思い出す。 [「言葉」による革命]

●人生のブルースか?永田裕志VS中西学を観ながら、二人の異種格闘技戦的試合を思い出す。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ワールドプロレスリング・リターンズ』で、千葉で行われた永田裕志VS中西学を観たのだけれど、これは永田の「デビュー25周年記念」として組まれたカードだという。
試合内容はと言えば、なかなかにスローな展開で、二人とも時間の経過とともにありありとしんどそうな雰囲気を漂わせてくる。
永田のコンディションは中西よりいいのだけれど、中西の巨体を持て余し、スープレックス系の技も潰れてしまう。
永田裕志、1968年生まれ。
中西学、1967年生まれ。
二人ともわたしがほぼ興味を失っていた時期の親日リングを守ってきたレスラーだ。
「プロレスに興味を失っていた」というのもあるし、高知では一時『ワールドプロレスリング』が打ち切りになっていて、永田も中西も、主にその時期に活躍していたのかもしれない。
しかし永田裕志と中西学に関しては、極めて印象的な試合がいくつかある。
永田の場合は言うまでもなく、MMAルールでのミルコ・クロコップ戦でとエメリヤーエンコ・ヒョードル戦である。
この2つの試合についても様々に語られているけれど、まずミルコ戦については、永田自身、かなり高い確率で勝てると踏んで戦いに臨んだのだと思う。
MMA初期のミルコはまだグラウンドの対応を身に付けておらず、アマレス系や柔術系のファイターたちにとっては、(やれば何とか勝てるのではないか・・・)というイメージがあったはずだ。
しかしミルコは既に、「タックルに来られても倒されない」だけのスキルを会得しており、永田の力ないタックルをあっさり切った後は、ハイキックであっさり倒してしまう。
ヒョードル戦について永田は、「前日に試合決定を言われた」という証言をしているが、試合決定がいつであろうが、当時のヒョードルは他のMMAファイターたちが束になっても勝てそうにないほどの天下無双ぶりを発揮しており、永田が勝つチャンスは「ゼロ」だったと言ってよい。

侘しさが募ったのが、K1のリングで中西学が、何とK1ルールで打撃系のファイターと戦った試合だった。
専門性の高い打撃ルールでプロレスラーが勝てるはずはなく、中西はへっぴり腰で不細工な打撃風の動きをやりはしたが、まるで試合にならず敗退。

「プロレス内の試合」であろうが「期せずしてセメントになろうが」、「絶対に負けなかった(晩年の試合は別だが)」アントニオ猪木の敷いた異種格闘技路線も今は昔の感慨に浸った・・・というほどではないけれど。

千葉の永田裕志VS中西学・・・決して観客が盛り上がっているようには見えなかった。
(よく分からないけど、ベテランで頑張っているのだから最後まで観てやろう)という雰囲気の控えめな拍手や歓声が時折起きた。

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いっぷく

中西は1度再起を危ぶまれてから復活したので、応援したいところですが、彼らがメインで活躍していた頃は、あまりプロレスを見なくなってきたときなのでよくわかりません。当時、学士のアマレス出身者が続々入ってきましたよね、永田裕志とか、中西学とか、石澤常光とか、秋山準とか。ただ藤田和之だけは、あの面構えと首の太さが私は好みなんですけどね。
永田は一応、今もタイトル戦線に名を連ねていますよね、秋山準とアジアタッグ。全日本のチャンカンにも優勝しているし、新日本が全日本を2軍化するための尖兵のような役割でしたが、今は窓際で秋山と「ベテランコンビ」なんて言われていますね。秋山については、つい最近、小橋建太とのデビュー戦を見たばかりだと思っている私には、えー秋山がベテラン?という感じです。ノア時代はほとんど見ていませんし。
永田は東スポでよく出てきますが、千葉の地元の駅でハナ肇のような銅像のふりをしているとか、忘れられないように涙ぐましい努力をしているようですね。
その永田が25周年ですか。思うに、IT界がドッグイヤーなどといわれているのに、タレントや野球選手やプロレスラーは現役寿命が伸びている感じがしますね。それがいいことなのかどうか。
国際プロレスや、ストロング小林の現役時代がちょうど15年。それより10年も多いとは。

芸能界も、さんまが若い人たちのために引こうと誘っているのにビートたけしは引かないとか。
So-netブログで、ビートたけしのファン(のまま)で、最近の芳しくない現実は一切上書きしないようにしてビートたけしは絶対という人がいましたが、正直なところ、腹の立つ価値観だなと思いました。
プロ野球も、かつての記録が塗り替えられたり、2000本安打を達成する打者が次々出てきたりしますが、試合数の増加と、ドーム球場が増えたことや分業制などによる負担の軽減などによる選手寿命の延伸で生涯記録の価値が変わってきただけで、個々の選手が過去の選手に比べてそれほどすぐれているのだろうかと思います。
たとえば分業制で、1/3しか投げない中継ぎ投手が、完投また完投の稲尾和久の登板数の記録を破ったからといって、稲尾よりたくさん投げたとは思えないですね。
by いっぷく (2018-02-28 02:48) 

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