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●久々に『モスラ』を鑑賞したわたしの注目ポイントは、幻惑的なザ・ピーナッツと大女優香川京子であるぞなもし。 [「言葉」による革命]

●久々に『モスラ』を鑑賞したわたしの注目ポイントは、幻惑的なザ・ピーナッツと大女優香川京子であるぞなもし。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

香川京子は現在86歳なんですね。
もっともっとお元気でいてほしいところです。
生年月日を見ると、 1931年12月5日。
などとお話を始めたのは、この前久々に『モスラ』を観たからで、(あ、香川京子が出ているんだ)とちょっと吃驚したのが理由ではある。
本多猪四郎監督の『モスラ』が公開された年は1961年で、今キャストを見返すと、「凄い!」の世界だ。

フランキー堺
香川京子
小泉博
ザ・ピーナッツ
ジェリー伊藤
田山雅充
河津清三郎
志村喬
上原謙

今回鑑賞した印象としては、フランキー堺の明るいスター性が作品残体を引っ張っているが、実質的な主役はザ・ピーナッツなのではないか。
わたしは『モスラ』公開時には生まれておらず、しかしもの心ついた頃には度々テレビで放送していて、当時もザ・ピーナッツの印象は強烈だったけれど、今回鑑賞してあらためて、(なるほど、これは邦画史上特筆すべきキャラクターだ)と納得した次第なんですね。
顔に変わったメイクを施しているわけでもなく、もちろん特撮も現在から見れば素朴なもの。
しかし頭上からのカメラを中心に、ザ・ピーナッツが映るシーンは今観ても、(本当に小さな人間のようだ)なんです。
そしてやはり「顔がほぼ同じ」という事実が幻惑感を醸成している。
「小美人」になりきってかつ自然そのものの二人の役作りも大きなポイントです。
ストーリーや登場人物造形は、「子どもから理解できる」に大きな比重を置いているので、大人も愉しめるけれど、何か特別な感慨を持つような要素はありません。

香川京子の主要なフィルモグラフィを復習すると、

『ひめゆりの塔』(1953年)
『東京物語』(1953年)
『恋文』(1953年)
『山椒大夫』(1954年)
『近松物語』(1954年)
『新平家物語 静と義経』(1956年)
『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)
『森繁よ何処へ行く』(1956年)
『女殺し油地獄』(1957年)
『どん底』(1957年)
『風雲児 織田信長』(1959年)
『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)

・・・凄いですよね、このキャリア。
しかしこれだけではなく、この期間、他の映画へも多数出演しています。
そして1961年の『モスラ』となるのですが、既にこれだけのキャリアを持った女優が出演してたところに、当時の東宝怪獣映画のバリューを感じます。
もっとも『モスラ』の中で香川京子の影はやや薄く、1964年の『モスラ対ゴジラ』の星由里子の方が冴えていた。
もちろん女優としての格は香川京子の方がグッと上なのですが、怪獣映画を含め、ポップな作品よりも、芸術映画や、要するに本格派の作品に合っている女優であるということでしょう。
年齢を重ねた香川京子の品性は威厳ある佇まいも素晴らしく、『近松物語』や『東京物語』、そして幾多の黒澤作品に出演した偉大なキャリアのイメージをまったく裏切ることのない、見事な生き方を見せてくれている人だという印象です。

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いっぷく

>小泉博

私がテレビ番組を新聞の番組欄を見ながら選ぶ年頃に、小泉博はフジテレビの15分帯番組の「クイズグランプリ」の司会をしていました。「15分なんて短い時間の番組で、この人は食べていけるんだろうか」などと余計な心配をしたものです。ちなみに残りの15分では「スター千一夜」を放送していました。司会は石坂浩二だったかな。ところが、高校になって特撮好きのクラスメートに話を聞くと、小泉博は特撮映画にずいぶん出ている人だと聞き、「ローラーゲームの東京ボンバーズのキャプテンと同姓同名という以外にそういう点でも知られていたのか」と初めて知った次第です。←いかに特撮を見ていなかったかということですね。

>小美人

これはさすがに怪獣映画を見ない私も見たことはあります。みなさん、ザ・ピーナッツというと、「小美人」を挙げますね。それだけインパクトがあるし、高い評価はもっともだとおもいます。
ただ私も『モスラ』はリアルタイムでは見ておらず、すでに蜂の巣ヘアで「恋のバカンス」を歌っていた頃、「ウナ・セラ・ディ東京」でかなりルックスも気にするようになった頃、「シャボン玉ホリデー」に出ていた頃、現役晩年のすっかり綺麗なお姉さんとして落ち着いたころも見て、ザ・ピーナッツの存在感をたっぷり知ってからの鑑賞だったので、なるほど、これもステップアップのきっかけとなる作品だったのだな、というふうには見ましたが、「新鮮」な驚きはそれほどなかったのです。
ザ・ピーナッツの歩みを時系列で見ると、ブレイクにブレイクを重ねる契機となる作品がいくつかあります。
「可愛い花」(1959年、日活)は必見ですね。もちろんこれもリアルタイムでは見ていないのですが、ザ・ピーナッツが生き別れの姉妹で、それがラジオの収録室で歌ったところ、いきがあった歌い方で、歌っているうちに局のお偉いさんなどもやってきて、岡田真澄がディレクターだったかの役で、最初イヤホンで競馬中継を聞きながらだったのが、だんだん彼女たちの歌に引き込まれ、彼女たちの父親役が松下達夫だったのですが、ちょっぴり鼻高々というシーンが有り、まるでノンフィクションのような展開で、たぶんこの映画をきっかけに、彼女たちはブレイクしたんだろうなあとおもいました。
ザ・ピーナッツは、1960年代前半に主演やその他の歌うだけの端役も含めて、ずいぶん映画に出ているのですが、「私と私」(1962年、東宝)では、やはりナベプロ社長宅に下宿しつつ宮川泰に歌唱レッスンを受けるというノンフィクションの展開を中尾ミエが観察しているという作品で、そこでもザ・ピーナッツがいかにして育ったかが描かれています。ジャイアント馬場が「ジャイアント台風」や「タイガーマスク」で人気を獲得したのと同じやり方かも知れませんね。ああ、こちらの方が先か。

>香川京子

「肝っ玉母さん」で初めて見ました。きれいで上品な人だなとおもいました。ただその割には私はこの方についてはあまり作品は観ていないことに気づきました。「黒い画集 ある遭難」とか「天国と地獄」あたりからしか観ておらず、50年代は全く観ていません。香川京子研究もしなければ。邦画もテーマは無尽蔵ですね。
by いっぷく (2018-07-10 04:33) 

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