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●「余命3ケ月」から既に2年4ケ月、大林宣彦監督と「余命診断」や「ポジティブな思考」のテーマを考える。 [「言葉」による革命]

●「余命3ケ月」から既に2年4ケ月、大林宣彦監督と「余命診断」や「ポジティブな思考」のテーマを考える。

末尾ルコ「健康医療の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

次の二つの記事は、「がんとの戦い(あるいは共存、あるいは予防など)」について考える上でとても重要だと思います。
ぜひ一読していただきたいですが、要点を纏めてみましょう。

「あと30本は撮る!」余命3カ月宣告から2年、大林宣彦監督の決意
https://jisin.jp/entertainment/interview/1696618/

「映画という薬で克つ」大林宣彦監督語るがんとの共存生活
https://jisin.jp/entertainment/interview/1696597/

もちろんこれは、「大林宣彦の述べている内容が事実だとして」という前提ではあります。
要するに大林宣彦監督(80)は、2016年8月に肺がんステージ4、余命3カ月という診断を受けたと言います。
しかしそこから治療などによって、2年4カ月が経過した現在も、新作映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2019年秋公開予定)
の編集作業など、映画監督としての精力的な創作活動を続けているという流れです。

同記事による監督の談話として、

「昨日、定期検診を受けたら、担当医から“無罪放免のようなものだから、しばらくは病気のことは忘れて過ごしてください”と言われました。」
そして、
「まだがんはありますが、共存共生している。がんを映画という薬で抑え込んでいるという感じですかね」

という言葉が紹介されています。

ここまででも、すべての人間にとって、とても重要なメッセージが含まれていますね。
一つは、「余命診断とは何か?」というテーマで、ここには極めてデリケートな問題が含まれているから容易には語れません。
ここでわたしが一点「医師に対する要望」を述べておくとしたら、

「すべての医師は、自分らの言葉の重みを認識し、できる限り患者に寄り添った言葉を発せるように日々精進していいただきたい」

ということです。
特に重大な病気が疑われる患者は、医師の一挙一動に心をかき乱されるものです。
判で押したような無体な言い方は決して許されるものではありません。
そしてもし「余命診断」をする必要がある場合は、

「自分の診立てでは余命~年だけれど、そうならない可能性もある」

という形の言葉をかけるべきでしょう。
もちろんこうした言葉をかけられた患者から、
「そうなら谷ためには、どうすればいいでしょう」と問われることで、答えに窮する場合もあるでしょう。
しかしそれでも、滅多なことで「余命~年です」という断言はすべきでないと考えます。

このテーマは短い記事ではとても語りきれないですが、リンクした記事の中から、とても印象的な部分を抜粋させてもらいます。

>「今、(大病や事故など)何事もなければ人類は120歳まで生きられるそうです。だったらそれまでの予定を入れるのが、人間としての責務だと思っています。」

>「米国のある医療機関が何年もかけて調査した、面白い統計があってね……」
>「何があっても“楽観的でポジティブに考える患者”と“悲観的にネガティブに考える患者”、どちらに薬が効くかを調べたら、楽観的な患者のほうが薬が効くことがわかったそうです。これは極めて非科学的な統計かもしれないけど。」

「ポジティブな精神性」や「笑い」によって、心身の状態が改善するという考えは、昨今科学的にも「実証」されつつあると、よく報道されています。
この件の「科学的調査」についてはわたしはやや疑問を持っているのですが、それ以前に、(別に科学で証明をもらわなくても「ポジティブな精神性」や「笑い」が心身の状態に好影響を及ぼすのは当然なのでは)という思いは以前からあります。
ただこうしたことは、「常日頃心掛ける」のが大事であって、大きな病気真っ最中にやっても、「まったく効果はない」かどうかは分からないですが、少なくとも効果は薄いと思います。
それとですね、「笑いは健康にいい」なんていうことで、「健康のための落語とか漫才」などのイベントを催しているところがあるといった報道も目にしたことがありますが、そういうことは「ためにイベントで」やっても、「やらないよします」くらいではないか。
落語家や漫才師などに頼るのではなく、

「日常生活の中に自ら笑いを生み出す」

ように、多くの人がなりたいものです。

このテーマ、随時お話していきます。

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いっぷく

医師もいろいろな人がいるので一概には言えませんが、余命というのは、たいていは患者の側から聞いているのではないかとおもいます。そして、医師としては最悪の場合をいうか、あとは断りを入れた上で平均や中央値をいうのではないかとおもいます。いずれにしても、統計上の客観的な数字を言うしかないのです。
医療に関する訴訟が最近増えてきて、しかも患者側が勝つことがあるので、医師側はかなり発言には慎重です。これならまだまだ大丈夫、と言われた患者が、がんではなく急に肺炎で死んでも、遺族から訴えられることがありますから。
でも、悪いことばかり言われるのもよくないことなんですけどね。最悪のことばかり言われると、前向きな治療をしようという意欲が失せることがあります。
大林宣彦監督については、本人の話だけですと具体的なことはわかりませんが、肺がんでステージ4で余命3ヶ月の人が、2年以上生きるというのは、確率としては少ないでしょうね。ただゼロではなく、まれに、がん細胞が大きくならなかったり、自然退縮したりしますから、何年も生き続けるということはあるかもれないですね。
大林宣彦監督が、どんな治療をしているかわかりませんが、よく「延命治療」について否定的な意見がありますね。つまり、あと1年寿命が伸びてもいずれ死ぬのなら苦しい思いをしたくないとか。もちろん本人がそう思うならそれは尊重スべきですが、「延命治療」によって、大林監督の言う「共存」状態が保てる場合もありますし、少しでも生き続けることで、新しい治療に間に合うかもしれないので、「延命」というのは、別に無駄に心肺を動かすわけではないんですが、「平穏死」がトレンドの昨今は、いったん病気で重篤な状態になった者は先を見据えた治療や人生計画をたててはいけないような風潮がありますね。
余談ですが、平穏死を選んだ親を正しい判断だと自慢げに述べている人がいて、でも私は平穏死というトレンドに疑問を持っていますし、自分の母親の例もあるので、それと違う意見を書いたら、その人個人に向けたものではないのですが、その人は読者登録を外して私のところに巡回しなくなりました。自分と違う意見や判断を聞きたくないというのは、自分に自信がないのでしょう。

>この件の「科学的調査」についてはわたしはやや疑問を持っているのですが、

笑ったから改善したわけではなく、全身状態がまだ回復力があるコンディションだから笑える余裕もあるだけかもしれませんから、つまり原因と結果が逆ということですね。
あとは、笑えるということはそもそもストレスがないからであり、そっちが本質かもしれませんし、いずれにしても、笑うことと、心身の状態が改善することの間には、契機性は証明されていないので、因果関係があるとはいえないですね。もちろん、笑っちゃいかん、そんなことは無駄だとはいいませんけど、寄席に行って無理して笑うというのは、逆にストレスが溜まりそうです。
by いっぷく (2018-12-29 05:30) 

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