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●我が母、心臓バイパス手術後闘病記49日目、またしても転倒、数針縫う出血~24時間絶え間ないこの脅威にどう対していくべきか。 [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後闘病記49日目、またしても転倒、数針縫う出血~24時間絶え間ないこの脅威にどう対していくべきか。

末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」

5月7日(火)手術後49日目
転院14日目(←転院からの日数を間違えている記事があります。時間のある折に、訂正しておきます)

朝7時。
いつもすぐ傍に置いている携帯が鳴る。
表示は「A病院」。
事務的な要件であれば早朝にかけてこないはずだ。
電話に出る。
「報告なんですが、~さんが転倒してしまいまして・・・」
・・・もう何と言えば、どう考えればいいのだろうか。
前日あれほど何度も何度も何度も、「勝手にベッドから出てはならない」と繰り返したのに。
「報告」の内容は次の通り。
「午前5時くらいに転倒しているのを発見。頭を打っており、かなりの出血があった。医師によって数針縫って止血。CTを撮ったが、それでは異常なかった。今は普通に話をしている」

朝から病院へ足を運び、母の病室へ。
額に大きなガーゼ(のようなもの)を貼り付けられているて、本人は横になり目を覚ましている。
出血した部分を含め、「どこも痛くない」と言う。
担当の看護師、次に師長がやってきて、より詳しく状況を説明。
「午前5時くらいに、服に付けているセンサー(差し込みが外れると、ナースコールされる)とベッド柵の一角を外し、ベッドから出たところ転倒。大声で〈来て!〉などと叫んだので看護師が駆け付けると、仰向けに倒れ、かなり出血していた。出血量の多さは、ずっと血液をサラサラにする薬を服用している影響もあるだろう。転院後早くも二度目の転倒でたいへん申し訳ない。絶対に三度目はないように話し合って低策を立てる」
その場で既に立てられていた「対策」は、ベッドの一方の側面を壁に完全に沿わせ、もう一方の側面には同じくらいの長さのソファをあてがうというものだった。
確かにソファがあればワンクッションは置かれるけれど、ソファから床へ落ちることも考えられる。
わたし自身、母に尋ねてみた。
「あれだけ昨日言ったのに、どうしてまたこんなことをしたが?」
「なんか、その時はもっとできると思うた」
「自分で練習できると思うたが?」
「まあ、そう」

わたしの度重なる注意、そしてスタッフの注意を忘れたわけではなかろう。
覚えていても、(ひょっとしたらもうできるのでは)と、「かなり動けるようになった」段階で、勘違いしていしまっているのかもしれない。
二本のバーに頼りながらであれば、けっこうなスピードで往復できるようになったのだ。
しかしそれは当然ながら、「二本のバーあってのこと」なのだ。
この日の昼の段階では、張り替えられた額の大きな絆創膏は痛々しいけれど、どこか痛そうだという雰囲気はない。
入院中の転倒もこれで終われば、(あの時は大変だったねえ)といずれ笑って話せるだろうが、わたしの脳裏には(転倒で死亡)などという不安も現実味を持って生じてくる。
極端な話をすれば、わたしやスタッフが部屋にいない時間をすべて「拘束」しておれば、転倒の危険性は限りなくセロになる。
もちろん人道的にも、そして精神衛生上も、そのようなことはすべきでない、できないのは分かっている。
けれどあれだけ大きな心臓バイパス手術を乗り越え、「かなり動けるようになった」とまで言われるようになったのに、「転倒」というあまりに単純な脅威に24時間曝され続けている状況がどうにも歯痒いのだ。
(わたしとしても、どうにも気持ちの持って生きようがない状況だけれど、この日で入院後55日を経過している。リハビリは本格化しているとはいえ、〈動いてみたい〉という母の気持ちももっと理解せねばならない。)

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(。・_・。)2k

心が痛いですね
どうしたものか、、、
気持ちもわかりますが 我慢して貰わないといけないですよね
よくなってきているだけに悩めますねぇ

by (。・_・。)2k (2019-05-12 03:02) 

いっぷく

>頭を打っており、かなりの出血があった

人は足から老いるといわれていますがそれを案じて、なんとかしたいと思われたのかもしれませんね。
私の母が86歳で開腹手術をした時も、歩きのスケジュールを入れたのは術後それほどたっていなかったと思います。そうですね、3日目には看護師がとなりにつくだけで歩く訓練をしていました。患部の癒着を防ぐことと、歩行能力を維持することがあったのかもしれません。

>ただ著書の帯に「天国はある。地獄もある。」と書かれているのはどうかと思いますが(笑)。

あとは「生かされている」という表現もちょっとなあと思いました。神秘主義・非合理主義の人が好き好んで使う言葉ですね。
ただまあ、家族がいるときに、怪我や病気はする。仕事が来なくなる。ああこのまま朽ち果てていくのかと思った時に、家族のCMの話が来た、というと、何かのご加護だと思うのかもしれませんね。
たしか、沢たまきが同じような経験をなにかのインタビューで語っていました。

>萩本欽一「俳優たちのプロフィールはまったく知らずに観るようにしている」

たとえば、その俳優が私生活で離婚したからといって、そんな奴の青春の恋愛物語なんか見たくないということを避けたいというような、たぶんリアルを知ることによる予断や偏見を排除したいということだと思いますが、渥美清と伴淳三郎の関係についていえば、背景を知ることで、実は憎しみ合ってさえいる2人がきちんと絡んでいることで「プロとしての演技」を改めて感じられるので、私は知ってよかったと思います。
クリス・マルコフが、ある日包帯を巻いて試合をしたので何事かと思えば、前日にブルラモスとエルゴリアスに耳をかじられたもので、しかもそのブルラモスとタッグを組んで試合をしているというのも、あとで事情を知ってよかったと思いました。まあ出典は門茂男なので多少面白くする脚色もあるでしょうが。
by いっぷく (2019-05-12 04:38) 

ぽちの輔

なかなか上手くいきませんね^^;
by ぽちの輔 (2019-05-12 06:15) 

hana2019

ご本人の中では、現在の状況を理解しているつもりでも、まだ慣れていない。慣れていない事をわかっている部分と、そうでない部分とが混在しているのでしょうか。
言葉で理解をさせるのも、子供扱いさせた気分になって、どこか他人事のように感じているのかもしれません。
全て仮定の上でのコメントとなってしまって、申し訳ないのですけど・・・しかし、こうした状況を決して他人事としてとらえている訳ではないのです。
我が母も86歳、心臓の持病もありますし。最近頓に物忘れが激しくて、それが本人自身の中でも自信と、不安を大きくしているのです。
何時転んで怪我をしたにしても、ひとりでいるのだから、そのままと言ったことは大いに考えられる事態なのですから。。
by hana2019 (2019-05-12 14:22) 

ニッキー

「もっと出来ると思った」というお母様の気持ちも
わかりますが、やはり怪我をされるのは心配で
たまらないですよねぇ(´・_・`)
どうかお母様がわかってくださいますように(_ _)
そうだ、病室にバーを設置・・・って無理ですよねぇ(´・_・`)
by ニッキー (2019-05-12 22:18) 

ゆうみ

おかあさま 自分で動けると思われて一人で
ベッドから降りようとなさったのね。
お気持ちとてもわかります。
by ゆうみ (2019-05-12 22:27) 

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