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●我が母、心臓バイパス手術後闘病記75日目~療法士が判で押したようにしょっちゅう繰り返す幼稚な長谷川式質問にうんざり。 [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後闘病記75日目~療法士が判で押したようにしょっちゅう繰り返す幼稚な長谷川式質問にうんざり。

末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」

6月2日(日)手術後75日目
転院40日目

A病院の理学療法士、作業療法士について言えば、転院後の一般病棟で担当してくれた人、両療法士とも若い女性だが、母ととても相性がよかったのである。
ところがリハビリ病棟へ行くと担当が代わってしまう。
理学療法士はまずまずだったが、母は新たな作業療法士(こちらも若い女性)の方がいたく気に入らず、隣で話をしていても彼女の方へはほとんど顔を向けない有様。
好き嫌いの激しい母の性格にも問題があるが、不全骨折から一般病棟へ移ってからまた新しい担当者である。
このようなシステムもどうにかならないか。

もう一つ重大なことを書くけれど、新しい療法士が来る度に、あるいは同じ療法士であっても、しょっちゅう尋ねるのである。
「お名前は何ですか?」
「お誕生日はいつですか?」
「今日は何月何日何曜日ですか?」
「ここはどこですか?」
そばで聞いていて、(尋ねる方が)バカじゃないかと感じてしまう。
まさにバカの一つ覚えである。
これは前にも書いたけれど、いわゆる認知症判定テストの「長谷川式」の一部であって、少なくともわたしの母に関してはまったく有効ではないし、多くの方々が(こんなテストで認知症と決められたくない)と憤慨しているのではないか。
もちろん長谷川式で認知機能の「ごく一部」の暫定的判定は可能だろう。
しかしこのテストの点数だけで「認知症」と診断するのは、大げさではなく人権の毀損ではないか。
わたしの母について言えば、数年前の長谷川式に関しての重要な事実をわたしは知っているので、このテストが欠陥品であることが分かっている。
この「事実」についてはいずれじっくりお話したいと思っている。

認知機能に関してもう少し私見を述べれば、若い頃の認知機能と比較すれば、当然ながらわたしの母の認知機能の一部はグッと落ちている。
しかしそれは誰でも同じことだろう。
少なくとも40代くらいから、あるいはもっと前から、人間の認知機能のある部分は落ちてくるのが普通である。
わたしにしても、10代~20代の頃と比べると、固有名詞などはすぐに口から出てこないこともある。
俳優などの顔は脳裏に浮かんでいるけれど、名前が出てこないとか、そんなパターンだ。
でもほとんどの人間、30代~40代あたりからそんなものでしょう。
例えば長谷川式の中に、「100からどんどん7を引いていく」とテストがある。
つまり、「100-7=93」「93-7=86」と続けていく暗算テストだ。
けれどこういうの、暗算の不得意な小中学生は間違うこと少なからずあるはずだ。
あるいは「野菜の名前」をどんどん言っていくとか、長谷川式とはかなり馬鹿々々しいテストなのである。
わたしの母の場合は短期記憶も長期記憶もまったく問題ない。
物事に対する意欲も、入院が長期化した現在も旺盛である。
会話もおもしろい話ができる相手とならいくらでも弾む。
そしてしょっちゅう判で押したように長谷川式の幼稚な質問を発する療法士に対してうんざりした表情でやる気なく答えていることは、横で見ていてよく分かる。
長谷川式でしか人間の認知機能を類推できない療法士、医療関係者こそ、「人生、一からやり直せ!」と言いたくなる。

※わたしはもちろん、「自分は認知症ではない」と言い張り危険な車の運転を続けたり、危険な生活を続けたりする人たちを肯定しているわけではない。
どのような連例であろうとも、「現在の自分にできること・できないこと」を峻別する必要があるのは当然である。

(このように、どうしても病院側の不備らしき状態が目に付いてしまいましたが、A病院のすべてを非難しているわけではありません。リハビリの担当者らを含め、とてもよくやってくれている人たちもいます。現在ではかなり冷静さを取り戻しておりますが、母の不全骨折時のわたしは、ショック、怒り、哀しみなど、どうしようもない精神状態だった点、ご理解ください)



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(。・_・。)2k

ある一部のスタッフであっても信頼関係を崩されると
考えてしまいますよね
僕が信頼関係を疑ったのは
朝の5時から おはようございます の次の言葉が
タバコやめて下さいと言われたら 腹が立ちました
朝の挨拶にしては 訳が分からな過ぎです
2度と俺の前に来ないようにしてくれと婦長にお願いしました
どこの世界に 寝てる患者を5時に起こして そんなアホな事
言うのか  正義を振りかざして得意気に言われた日には
怒りしか湧きませんでした

by (。・_・。)2k (2019-06-07 03:32) 

いっぷく

>しかしこのテストの点数だけで「認知症」と診断するのは、大げさではなく人権の毀損ではないか。

結論から述べますと、それは2つの意味で違うのではないかと思います。
ご様子は書かれていることでしかわからないのですが、少なくともいえることは、病院は医療機関の治療ガイドラインと照らし合わせ「必要のないことはやらない」ということです。
もちろん誤診などはたまにありますが、いずれにしても長谷川式「問診」とそれは同列にはできないと思います。
私の母も妻も、その都度名前だけでなく生年月日やその他の質問で確認されていました。母はともかく妻もです。それは認知症と決めつけたいからではなく、逆に脳を動かす機会をささやかですが作っていることだと伺いました。
ですからおそらく他の病院でも同じことをすると思います。
そのようにすべて悪意でとられてしまうと、病院も熱心でなくなってしまい、その信頼関係の欠如は結局患者さんご本人の不利益になってかえってくるのではないかという昨日述べた懸念があります。医師や看護師も人間ですから。

もちろん、病院側が万が一の訴訟時に、「認知機能の低下が理由で幾度にも渡ってベッドから離れた」という証拠作りになっていることもないとはいえないと思います。
ただそうだとしても、それはあくまでも「認知機能の低下」というだけで、要するに所見であって、前も書きましたが、認知症の診断は画像も含めて総合的に行われてるので、長谷川式だけではそもそも診断はつけることはないとおもいます。

>母の不全骨折時のわたしは、ショック、怒り、哀しみなど、どうしようもない精神状態

おそらく、ずっと一人で支えてお疲れたのなのだと思います。
肉体的だけでなく精神的に。
どなたかかわりの方に手伝っていただくか、もしくは、同じような状態の闘病や介護をされているブログの方に、相談されるとよろしいのかなと思います。私は後者で救われました。全く同じでなくても、助けられることはあります。その点ではもっとその立場の人を信用されたほうがいいと思います。←全員がいい人とは限りませんが。

率直に述べますが、So-netブログで書いても、たいていは無難な同調しかしませんから、それはその時は心地よいかもしれませんが、もし誤りがあったとしても、顧みるよすがではなく、間違った方向への思考や行動の背中押しになりかねないので、私は似たような境遇や経験をした「仲間」とのコミュニケーションの方に力点を置かれたほうがいいのではないかと思います

……と書くことで、私はまた敵を作るわけですが(笑)別にそういう了見なら全員が敵でも構わないし。
by いっぷく (2019-06-07 05:53) 

ぽちの輔

病院にもマニュアルがあって
それに沿った対応をしてるのでしょうが
毎度同じ質問では・・・^^;
by ぽちの輔 (2019-06-07 06:27) 

ニッキー

マニュアル通りの対応は、結局不信感を
拭えませんよねぇ(-_-)
もちろん親身になって頑張ってくれてる方が
いらっしゃるのはわかってますが、
そうじゃない人の方が目立つというか何というか・・・
もしかして、療法士さんがナースステーションに帰ったら
マニュアル通りの質問に対する返事とかを
書く用紙があって記入しないといけないのかな?
by ニッキー (2019-06-07 12:10) 

JUNKO

お怒りの気持ちよくわかります。当然だと思います。
by JUNKO (2019-06-07 13:29) 

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