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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記100日目~台風の季節にラジオだけでは不安?~『ロバート・キャパ写真集』、そのインパクトの源は? [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記100日目~台風の季節にラジオだけでは不安?~『ロバート・キャパ写真集』、そのインパクトの源は?

6月27日(木)手術後100日目
転院64日目

この前に「ラジオを流しているといい気分」というお話をしたけれど、「ラジオだけでは物足りない」事象もなくはない。
特にこの季節、6月27日は大雨、しかもその雲が台風に変わる可能性も朝から報道されたが、そうなるとテレビで天気図が見たくなる。
ラジオの音声だけでも大まかなことは分かるけれど、天気図で今後予想される雲の動きなどをチェックして、だいたい(この時間に雲はこのくらいの位置なのか)と見当を付けられるからだ。
こと天気に関しては、「ラジオだけだだとみょ~に不安になる」ということ、この度気づいた。
そして連想したのが、第2次世界大戦中を描いた映画などで庶民が灯火管制下の部屋の中、ラジオで戦況を聴いているシーン。
特に戦況不利な情報や、自分らが住んでいる地域に敵国(←この表現もどうかとは思うが)が接近中とか、そうした情報を聴いているときどれだけ不安だったかということ、何となくくらいでしかないが、実感として理解できる気がする。
まあ台風や低気圧も大きいのになると当然ながら多くの人命に関わることですから。
変な話だが、わたしは現在1日の時間のほとんどを病室で過ごしているわけで、安全性という点では建築物の中で屈指だろう。
なので現在は台風などが来ても病院の中におれば概ね心配する必要はないが、何度か書いているように、一日2~3度は、特に「ネットへ繋げる」用事で自宅に戻る必要がある。
大雨の時は駐車場へ歩いていくだけでビショビショになる可能性大であり、まあそれは誰しも同じだから贅沢は言えないのであるが。

考えてみれば母は昭和10年生まれで第2次世界大戦を経験しているわけだ。
もちろん母と同年代、そしてさらに年齢が上の人たちのご経験は戦後生まれには到底実感できないほど凄まじいものであり、それだけでも「ありがとうございます」という存在なのです。
・・・

『ロバート・キャパ写真集』(ICP ロバート・キャパ・アーカイブ編 岩波文庫)を読んだというか鑑賞したが、文庫本であるにも関わらず息を呑む写真がずらり。
既に何度も見ている写真も少なからず含まれているが、それでも息を呑む。
すべてモノクロ写真であるが、各ショットのインパクトたるや尋常ではない。
英字新聞に掲載される写真の傾向を見ても分かると思うが、向こうに人たちは(ハッ!)とするショットを撮り、それを載せることが多い。
対して日本の新聞に載っている写真は何と言うか、焦点や主張の明確でないものがほとんどなのですな。
どちらが好きかと問われれば、わたしとしては前者です。
もちろん日本の写真家の方々が「焦点や主張の明確でない」写真を撮る人が多いというのではなく、あくまで新聞に載るものの傾向である。
日本人写真家に素晴らしい創作者が多く存在することは言うまでもないし、ブログをやっておられる方々も素敵な写真をお撮りになっている方は多くいらっしゃる。


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(。・_・。)2k

やはりスマホがあると便利ですよね
YAHOOの雨雲レーダーなるものがあるんですが
リアルタイムと進路予想の雨雲の動きが見れます
メッチャ正確でそれによって雨を避ける事ができます
自転車で行動していると大変助かるアプリです

by (。・_・。)2k (2019-07-01 01:39) 

ぽちの輔

私が入院してた時はガラケーのワンセグで情報収集してましたね。
音声なしの字幕表示で見られるのでイヤホンが無くても大丈夫^^
by ぽちの輔 (2019-07-01 06:52) 

ニッキー

確かに天気は画像を見た方が
リアルタイムでわかりやすいですよね^^
ただ最近の天気予報って
ちょっと精度が甘い気が(⌒-⌒; )


by ニッキー (2019-07-01 07:45) 

hana2019

お母様の入院生活も3か月を超えて100日とは!ご本人、RUKOさんにとりましても、ひとしおの感慨の深さがおありの事でしょう。
昭和8年生まれの我が母は埼玉の川口の人、幸いその母=祖母の実家が大宮で大きな農家であったことから食料の心配はなかったそうながら、12歳下の叔母の足が悪かった事で都心まで通院中に3月の東京大空襲に遭遇。もう生きてはいないと思われた二人ながら、黒く汚れた姿で帰宅できたのは奇跡と感じたとの事でした。その時も含めて二度の大空襲で東京が燃えさかる様子も、よく見えたと話しておりました。
さて「ロバート・キャパ写真集」は目にはしておりませんけれど、沢木耕太郎出演のドキュメンタリー、ロバート・キャパが撮った写真を研修した番組は見ておりました。
沢木耕太郎は永年ロバート・キャパの生涯を追い続けてきました。撮影場所やアングルをたどる中で、写真「崩れ落ちる兵士」へと迫る。
彼は「キャパの十字架」「キャパへの追走」の著作の残しました。
瓦礫と食糧難の中を生きて、何もないマイナスの時点から、発展する日本を作り上げたのは戦中、戦後すぐに生まれた方々。
それに引きかえ、のほほんと生きて、働かない自己中心的で無責任な子供たちを生んで、育てたのは私たちの世代です。
少しの豊かさがあったせいで、こうなってしまったのか?我々のどこがいけなかったのか?戦後教育のゆがみからなのか?よくわからずにいます。

by hana2019 (2019-07-01 17:11) 

ゆうみ

私に母は、昭和4年新宿の生まれです。
戦争が激しくなり 山形の知人の家に疎開し そのまま
そこに養女となりました。
疎開先では、食べるものには 困らず 東京弁で話すと
山形の人たちに笑われて無口になったと言ってました。
母にとって ラジオは郷の言葉が聞ける 楽しみな道具だったようです。
by ゆうみ (2019-07-01 17:24) 

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