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スヴェトラーナと気笛  これは何でしょう?ええ、バトンですとも(^_-)-☆ [生と死のためのアート]

ぼくはスヴェトラーナにつねられた胸の少しだけ熱くなった小さな部分の感触を楽しみながら言う。
「胸に熱が残ったよ。これは君の愛なの?」
「まあアルベール、いつからあなたって、そんなナマ言うようになったの?」
「おお、スヴェトラーナ、もちろん君と出会ってからさ!」
「またそんなナマを言う、ああアルベール!あなたはいったい誰なの?」
「ぼくは君のアルベールじゃないか、スヴェトラーナ。そんなこと忘れたのかい?」
「わたしの・・アルベール」
スヴェトラーナは少しだけ下を向く。
遠くで気笛の音が輪を描いている。
その音が翳となり、スヴェトラーナの表情の上に降りてくる。

ケナシ専門ライター、ケナシ専門記事に要注意! [生と死のためのアート]

活字メディアでもネットメディアでも、何らかの記事を読むときにわたしがいつも不快な気分になるのが「ケナシ専門ライター、ケナシ専門記事」だ。
て言うか、とても多いんですけど、その手の文章。

そりゃあ大方の読者にとったら、「褒める記事」よりも「けなす記事」の方がおもしろいに決まっている。
褒められる人を見るよりも叱られる人を見る方が快感だというセコいメンタリティは誰しも持っている。
しかし「対象やジャンルそのもの」を「けなす為にけなす」ような記事は「公害」であり「文化破壊」だと思う。
もちろんここでわたしは「よいしょ記事」がいいと言っているわけではない。
日本は「よいしょ記事」か「ケナシ記事」のどちらかであることが非常に多いのだ。

ここで混同してはいけないのは、単なる「ケナシ記事」と「建設的な批判記事」の違い。
「建設的な批判記事」というのは「ジャンルに対する愛」があり「対象をしっかり」と見ている。

アルベール(末尾ルコ)、PCや家電製品についてかく語りき [生と死のためのアート]

もっぱら仕事はPCでしているわけだし、ネットも大いに活用している。
そうなると、ひじょ~に怖い事態が「PCの故障」だ。
「PCが故障」だの「ネットへ接続不能」だの、嗚呼、考えるだに恐ろしい。
本当はそんな生活じゃダメなんだけどな~。
「PCなんてなくてもいいよ」「今ネットができないけど大丈夫だよ」・・そんな生活の方が本物っぽい。
でもなかなか今のところは・・などということを書いているのはもちろんPCに不調があるからだ。

PCだけでなく家電製品が故障した場合にそれらを爽やかに修理するような技術はわたしにはなく、
しかしどうもあらゆるものが早く故障するような気がする今日この頃、皆さまに置かれましてはいかがお過ごしですか~(・_・;)

(PC含め、家電製品に関してはさらに語られることになるであろう)

吉高由里子7月新ドラマ「美丘」の共演者に「ヘン」な人はいないか? [吉高由里子]

吉高由里子の7月ドラマ「美丘」。
「美丘」とは「美しい丘」のことではなく主人公の名前であるというのは理解できた。
そうなると気になるのは共演者だ。
吉高由里子のファンとしては、テレビドラマとは言え「ヘン」な共演者とともに出演してほしくはない。
ここで言う「ヘン」とは、例えば「温水洋一さんって、ヘン」の「ヘン」ではない。
温水洋一のような「ヘン」であれば大歓迎である。
吉高由里子と共演してほしくない「ヘン」な人というのは、「俳優としてのクオリティ」が「ヘン」な人である。
しかしすでに吉高由里子は「ヘン」な人と何度か共演しているのである。
例えば「ラブシャッフル」の某DAIGO(←某になってます?)とか、である。
テレビドラマへ出るのであれば、どうしてもそうした「ヘン」がつきまとうもんであるが、果たして「美丘」はどうなのだろ丘?(←またダジャレになっている点、注意デス♡)

「どうなのだろ丘」も何も、出演者など分かっていてひっぱっているのだろうと思う向きもあろうが、わたしとしては否定も肯定もしないのである。(←大人の対応)


ここが特に「ヘン」!「素直になれなくて」第5話感想。 [メディア論]

わざと「ヘン」にしたつもりで、「口コミ」になるのを狙っているかもしれないから書いても仕方ないかもしれないが、やはり書こう。
いや、この「ヘンさ」がワザとのわけがない。
これだけワザと「ヘン」に作れるのであれば、もっと楽しくなるはずだ。

というわけで、「素直になれなくて」第5話に若い男たちが上野樹里を襲撃しようとするシーンがあるのだが、演出プランも演技プランもまるで分からない。
要するに何を見せたいかがまったく分からない。
男たちは上野樹里を取り囲んで、中にはナイフを握っている男もいるのだが、いったい何をしようとしているのか、と言うよりも「何かする気があるのか」まったく分からないし、上野樹里の表情も「怖がっているのか」「驚いているのか」「憤慨しているのか」・・まるで分からない。
その上野樹里の表情は、おそらく「時間どおりにバスが来なかった」ときの人間の表情であったならふさわしいと思えるだろう。
さらに「瑛太が助けに来た!」と思わせて、実は「羊たちの沈黙」のセコいパクリという場面も用意されていて、「あ~あ」感がより強まるわけだ。

しかし「ヘン」なのはここだけではないのである。

あの老夫婦に、また会った [愛の景色]

以前書いた老夫婦。
深い愛に結ばれているように手をつないで歩く夫婦。
また見かけた。
嬉しくなった。
二人は前と同じようにしっかりと手を握って歩いている。
そして語り合いながら歩いている。

男性の髪は白いものが頭の両脇に残っているだけだが、日に焼けたて男」の顔をしている。
女性は小柄だがやや眉が濃く、丸顔ではっきりした顔立ちだ。

その日、婦人はわたしを見て軽く会釈をした。
もちろんぼくも会釈を返した。
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