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265万アクセス突破。ありがとうございました。 [末尾ルコ(アルベール)より]

昨日265万アクセスを超えておりました。。(since 2008年10月)

いつも来てくださる皆様、そして今日また新たに来た下さった方、ありがとうございます。

これからも「多くのことを感じ、考える場」としていきたいと考えております。

今後とも、よろしくお願いいたします。

                                            RUKO

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● ルコ美醜悪学 東日本大震災という未曽有の危機を経験した(経験している)わたしたちが創るべき本当の価値観 [ルコ美醜悪学]

ここはつまりタイトル通りのことなのだけれど。
さらに言えば、本当にわたしたち日本人は現在の危機を乗り越えられるか分からないとも思う。
それだけの「危機」の瀕しているにもかかわらず、「被災地ではない」場所では「危機などどこ吹く風」といった人々が少なからずみられるのは、「残念」というよりも「怒り」さえ覚える。
しかし・・ここを乗り越えなければ「日本」はあらゆる意味で「沈没」してしまう。

そして今わたしたちは、「本物の価値観」を創り上げねば、ずっと棚上げにされて来た日本の「異和感」を正していかねば。

ネオアンガージュマン セ・リーグは「3月25日」に開幕すべきか?選手会、猛反発。 [ネオアンガージュマン]

東日本大震災によってもたらされた被害の全貌もつかめない、そして「復興」という言葉など到底使うことのできない現状で、「被災者」ではないわたしたちはどのようなメンタリティを持ち、どのようなアクションを起こすべきか。
わたしもこれまで何度も検討して来たし、識者を含む多くの人たちの意見も目にして来た。
簡単に答えが出るものではないが、例えば次のような報道を目にした時どのような感情を持つか。

要約すれば、

プロ野球セ・リーグが「3月25日」の強行開幕を決めた。しかし選手会はその決定に対して猛反発をし、「延期」を訴えた。

選手会のメンバーたちの意見も一部報道されているが、ここにでは触れない。
わたしはもちろん選手会の意見を支持するのだが、実はこれはプロ野球界の問題だけではない。
また機会があれば、この問題について書こう。

2011年3月16日、ある場所で聞こえた甲高い声。 [生と死のためのアート]

ある場所。
東日本被災地からかなり距離のある場所の飲食店。
わたしの隣のテーブルの男女、特に女。
甲高い。声が甲高い。甲高過ぎる。地声が甲高いのは本人の責任ではないので言うまい。しかし元々甲高い声をさらに張りまくっている。これはかなりの妨害音波だ。東日本大震災、チェルノブイリに次ぐとされる福島原発のアクシデント。「日本中が悲しみに沈んでいる」などというのは幻想に過ぎない。
「他者」の苦しみや悲しみへの無関心。
国内で起こった大災害でさえこんなありさまなのだから、海外の災害や事故など関心を持ちようもない・・か。

愛の思索、その言葉 2011年3月18日 [愛の景色]

あの日以来日本は変わった。
君を想う気持ちはずっと変わりはしないけれど。

タグ:アート 言葉
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「美しい隣人」最終回、青い部屋の仲間由紀恵と壇れい。 [生と死のためのアート]

思えば仲間由紀恵にまったく興味を失っていたわたしが「美しい隣人」を観始めたのは、壇れいがどのようなパフォーマンスを見せるかに興味があったからだ。
ところが始まってみれば仲間由紀恵圧巻のパフォーマンス。
もちろん「悪役」の方が「得」するケースが多いとはいえ、仲間由紀恵の場合はそのレベルではない。
「映像」というものを計算し尽くした見事な表情の付け方。
舞台系の俳優たちとは根本的に異なるアプローチを熟知しているかのようなパフォーマンスだった。
最終回のクライマックスが「青い部屋」の中で見せた主演女優二人の火花散るやり取りであることは言うまでもない。
二人の「一流女優」を映し出すだけでかなりの時間、まったく飽きさせることなく経過して行く。
「まるで映画のような」贅沢な時間だった。

ネオアンガージュマン 東京電力記者会見や民放愚劣放送姿勢に関して。 [ネオアンガージュマン]

東京電力の会見もしょっちゅうで、しかもその時々で担当者が代わるから余計わけが分からなくなるのだが、つまり会見するのであれば、「話のできる」スポークスマン的人材を設けておくべきだろう。
日本人は政治家も含め、「伝える」ということの重要性を理解していない。

NHKなどまったく好きではないのだけれど、今回に関してはほとんどNHKに頼る他ない。
日本歴史上未曾有の困難の一つに直面しながら、しかもまだまだ「復興」の入り口にも達していない段階で、もともと愚劣なバラエティをぬけぬけと放送し始める番組担当者は今後十分に「恥を知り」ながら生きてください。