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レディー・ガガダンサーたちの感動的な自由感  [音楽]

レデイー・ガガのダンサーたちが大好きだ。その技術の高さは言うまでもないけれど、とても生き生きと踊っている。
 なぜレディー・ガガのダンサーたちは生き生きと見えるのか?
 ステージ上で彼らならではの表現を許されている?
 そんなはずはない。レディー・ガガのステージは最初から終わりまで完璧に計算されたものだ。ダンサー個々の表現が許されるはずがないではないか。
 それは分かるけれど、どうにも不思議に感動的なんだ、ガガのダンサーたちの心から出てくる笑顔の炸裂が。
 全員がそんな笑顔を見せるというのか?
 全員ではないけれど、何人かの笑顔が象徴しているような気がする。
 思い入れじゃない?
 そうかもしれないけれど。間違ってもいないはずさ。

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愛をどこまでも掘り下げ、どこまでも高い場所へと導く。その言葉 2011年7月25日  [愛の景色]

灼熱の昼間だった。
(たいしたことないさ)
ぼくはいささか不遜にも、(灼熱の日々などたいしたことない)などと口元に微笑を浮かべていた。
どう違うのだろう、これまでの夏と。
分かりすぎるくらい分かっているさ、そんなこと。

君がぼくの中にいる。そういうことさ。

タグ:アート 言葉
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ネオアンガージュマン 地方問題 宮崎県知事は誰でしょう? [ネオアンガージュマン]

さてクイズです。
現在の宮崎県知事は誰でしょう?

と、これを読んだ人の何割が正解するだろうか。
と言うよりも、自分が住んでいる自治体以外の首長をどれだけ知っているだろうか。

できるだけ多くのことに関心を持つこと。
もちろん情報は取捨選択しなければならないが、「自閉」状態が目立つ最近の若い人たちのことを考えれば、やはり「できるだけ多くのことに関心を持つ」ように持っていくことも大きなテーマとなる。

さて現在の宮崎県知事。
河野俊嗣である。
俊嗣は「しゅんじ」と読む。

宮崎県も経済指標が全国的に下位に位置づけられている県の一つ。
そして前知事が東国原だった時は、常に全国的に注視されるという、ある意味「異常事態」とも言える時間を過ごした宮崎県。
東国原前知事が去った今こそ、さらに注目したいものだ。

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「それでも、生きてゆく」第3話、安藤サクラ、ついに登場! [吉高由里子]

「それでも、生きてゆく」も3話が終了。ストーリー、セリフなど、シナリオ的には「失敗」の部類に入ると思う、少なくとも今までのところは。すべて取ってつけたようなわざとらしさに溢れているのだ。殺人事件被害者、加害者の家族双方の心情を描こうという意欲は素晴らしいけれど、「妹を殺された男(瑛太)」と「男の妹を殺した加害者が兄である女(満島ひかり))が第2話以降、行動を共にしているという設定にまったく説得力がなく、その時点で大きな違和感が充満している。
とは言え、一流俳優たちの存在、演技は見もの。
第3話にしてついに安藤サクラが登場したけれど、その異様にして圧倒的な存在感ときたら・・。

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● ルコ美醜悪学 「テキトー」なことを書く「ライター」にご用心 [ルコ美醜悪学]

ネット、あるいは一部雑誌なんかでも見かけるけれど、「ライター(など)」という名目を持った人物の書く文章で、もうどうしようもなく「テキトー」なものがかなり多い。
「こんなテキトーな文章書いて、小銭稼ぐなよ!」と言いたくなるし、そんなライターを使っているメディアのレベル、品性などももちろん問われる。
知識なし、知性なし、見識なし・・何拍子も揃っている「ライター」の記事が多すぎるのだ。

特に「芸能」に関しては、どうも日本人は「テキトー」に書いても許されると思っている向きが多いようで、例えばテレビドラマだと、「視聴率がよければ、俳優たちをも褒める」「視聴率が悪ければ、俳優たちをもけなす」というおそまつな「ゴミ記事」がまかりとおっている。
このテの「ライター」ちゃんたちはもちろん「演技」とか「演出」とかに一論持っているはずもなく、小銭を稼いで食いつないでいくために「芸能」と言うもの自体を少しずつ貶めているのだ。

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● ルコ美醜悪学 「なでしこジャパン」報道問題 安藤優子の不躾な質問と佐々木監督  [ルコ美醜悪学]

「なでしこジャパン」が凱旋した日のフジテレビ「スーパーニュース」。
安藤優子が「松本監督を男性として魅力的だと思いますか?」(「男として見ることはできますか?」)という質問をし、選手全員「×」のボードを上げたという話をもう一度取り上げよう。

これを逆にして考えてみると、話はさらに分かりやすくなる。

もし、佐々木監督がテレビ番組で男子サッカー日本代表を集めて(笑)、「安藤優子を女性として魅力的だと思いますか?」(「女として見ることはできますか?」)という質問をし、選手全員「×」のボードを上げたとする。

まず間違いなく、「とんでもない女性差別番組(企画)だ!」と大顰蹙、下手をすれば社会問題化しかねないだろう。

個人的に誰かを「男(女)として見る見ない」は勝手だ。
けれどその感情を第3者に対して、特に対象となる相手に対して表明するのは、よほどのことがない限り慎重であるべきだと思う。

もちろんテレビ番組で、くだんの「スーパーニュース」のような形でやったりするのは、ほとんど「悪質ないじめ」、「人を晒し者にする」という類いに当たり、とてもじゃないが「冗談です」ではすませられない。


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