SSブログ

ネオアンガージュマン  「人権」「尊厳」という観点で世の中を見る。  [ネオアンガージュマン]

あなたの「人権」は守られているか?
あなたの「尊厳」は守られているか?

わたしはまず、わたし自身の「人権」「尊厳」を守ろうとし、わたしの愛する人の「人権」「尊厳」を守ろうとするだろう。
もちろん命がけで。

そしてわたしは、「よき人々」の「人権」「尊厳」を守ろうとするだろう。
ここで言う「よき人々」とは、まず他人の「人権」「尊厳」を尊重する人々である。

他人の「人権」「尊厳」を尊重しない人々、まして敢えて傷つける人々。
彼らに対しては、様々な「方法論」が必要となる。



nice!(43)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

ネオアンガージュマン  「システムの限界」にどう対するべきか? [ネオアンガージュマン]

「政界」システムに取り込まれパブロフの犬のように「政局」遊戯を展開する政治家たちを見て多くの国民が怒っているけれど、実は日本社会の隅々までああした「システム」→「パブロフの犬的行動」というパターンは行き渡っており、物事が進まない、新しいことができないという現実の大きな要因となっている。
日本的「システム」機能は、古来より続く「日本的ムラ社会」意識と深く関わっており、そう簡単に払拭できるものではない。
システムの中にいる人間が容易に自らを発揮できなくなるということと同時に、日本が抱える問題の中には、「システムが介入すべきでない」ものも多くある。
「思考停止人間増加」「家庭の躾機能低下」なども現代日本社会の抱える大きな問題だと思うが、こうしたものに「システム」=「公権力」が介入すべきではないことは言うまでもない。
「自由」という概念に抵触するからだ。
しかしこのまま「思考停止人間増加」「家庭の躾機能低下」といった状況を放置しておいていいものではないだろう。
だから「わたしたち」がやるべきなのだ、しかも「圧しつけ」ではない方法で。

nice!(40)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

2011年秋ドラマは真木よう子主演NHKドラマ「カレ、夫、男友達」に期待。満島ひかり、高良健吾、安藤サクラが揃った「おひさま」の平和な会話。 [吉高由里子]

ちょっとあれだわ。現在放送中の民放連続ドラマで楽しめるのは「ドン★キホーテ」しかないので、話題は2011年秋ドラマへおのずと移ったりするわけだわ。2011年秋ドラマの話題として北川景子、桜井翔「謎解きはディナーのあとで」というのはすでに紹介したけれど、キャスト的に「これは!」というのがNHK「カレ、夫、男友達」なのだわ。うん、これはいい。真木よう子、木村多江、長塚京三、夏帆、高畑淳子、ユースケ・サンタマリアなど。とりわけ真木よう子、木村多江、夏帆の顔合わせは魅力的なんだわ。夏帆がねえ・・。「天然コケッコー」「うた魂」と映画連打していた頃は「若手映画女優トップクラス」の位置にいたのだけれど、その後やや「くせのない雰囲気」が災いして目立たなくなっている。でも「くせのない」女優じゃないんですよ、本来は。ちなみに 「カレ、夫、男友達」の原作は江國香織です。

昨日の「おひさま」は高良健吾、井上真央、樋口可南子、串田和美で夢を語り合っていたねえ。うん、夢を語り合うのはいいことだ。ああ平和っていいねえ(笑)。ふふふ。

愛 勇気 行動
想像と創造 闘い

♪宣伝(^_-)-☆
わたしたちの手で日本の社会を変えて行きましょう。
まずは末尾ルコのブログ、メルマガにご注目ください。

nice!(34)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

愛をどこまでも掘り下げ、どこまでも高い場所へと導く。その言葉 2011年8月26日 [愛の景色]

君を想い過ぎて、ずいぶん早く目が覚めてしまった8月の朝4時ごろ。

タグ:アート 言葉
nice!(35)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

「愛」と「闘い」の小さなレッスン 3  [生と死のためのアート]

愛 勇気 行動
想像と創造 闘い

愛と闘い

愛すること  闘うこと

「愛」と「闘い」は矛盾しない。

「愛」によって「闘い」を避ける場合と、「愛」のために「闘い」を選ぶべき場合がある。

「闘い」がまったく無い人生など存在しない。

「闘い」とは「誰か」である場合もあるし、「時代」という大きな存在である場合もある。

「闘い」が人生における必然である以上、「闘い」の方法は常に磨いておくべきだ。


タグ:アート 言葉
nice!(35)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

ネオアンガージュマン  「システムの限界」とパブロフの犬 [ネオアンガージュマン]

まあ当然と言えば当然のことなのだけど、「わたしたち」自身で世の中を変えて行く、あるいは創って行かねばならない。
当然なのだけれど、多くの日本人は「これで仕方ない」「誰かがやってくれる」という意識でいた、あるいはいるのではないか。
けれど現実的には「政界」「教育界」など強固なシステムの中にいる人間には無理なことが多過ぎるのだ。
まず個人が長年続くシステムの中に取り込まれることで「システム内のほぼ遊戯的な慣例」の範囲でしか思考、行動できなくなる。
日本が危急存亡の危機に立たされている時に、いわゆる「政局」という冗談のような「お遊戯」を展開している現状がその一番分かりやすい例だ。
国民の誰もが「何を馬鹿なことをやっているんだ」と感じていても、「政界」システムに取り込まれた彼らはパブロフの犬のごとく、同じ動作を繰り広げざるを得ない。

nice!(27)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート