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[ダイヤ] 「言葉」による革命 [ダイヤ]  高知(土佐)薊野より全国、世界へ  「愛する故郷」を創造すること  [「言葉」による革命]

[スペード] 重大スローガン

《高知(土佐)薊野より革命発信、そして全国、世界へ。》


高知新聞などでちょいちょい見かける言葉に「高知 愛」的なものがあるけれど、「愛することのできる高知」にして行くのはわれわれ自身の手によって、ということになるべきではないか。
と言うのは、確かに今の高知にも魅力的な要素は多々あるけれど、少なくともわたしにとって現状の高知を「まるごと全て愛する」のは不可能なのだ。
でもそれは他の地方もだいたい同様でしょう。

「故郷を愛そう!」・・・それはよく分かるのだけど、「今のままの故郷で十分だ」という意識では停滞し、あらゆるものが濁って行くばかりだと思う。

「愛する故郷を創って行く」
この意識、そして行動。
「上からの改革」のみではもはや本当の変革はないと考えています。

「より多くの人が目覚めること」

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2012年1月10日  [愛の景色]

愛。
今日は「愛」と書いてみよう。
「愛」と何度も書いてみよう。

愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
   愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
     愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
       愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛

ぼくは気のすむまで「愛」という字を何度も書くだろう。

タグ:アート 言葉
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 「言葉」による革命  魂の言葉  「冒険」  [「言葉」による革命]

「冒険」

「冒険」?

そんなこと一般人のわれわれには関係ないよ?
違あああああ~~~う!

「生きてること」自体がとてつもない「冒険」なんだよ!

それが骨身に沁みて理解できたら、もっと「生きる」のが楽になる。
もっと「生きていること」にワクワクできる。

「冒険」

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NHK大河「平清盛」第一話、「舞子」吹石一恵、圧巻のパフォーマンス!吉高由里子映画「ロボジー」、園子温「ヒミズ」1月14日公開! [吉高由里子]

「デカワンコ スペシャル」ですが、昨日も書いたように始まってしばらくの「パリ珍道中(笑)]の部分は(うん、おもしろいなあ♪)と思っていただけです。
ところが「江戸時代珍道中」になってからさっぱりダメ。
まったく散漫な雰囲気となって、途中で早送りしてしまいました。
「しげさん違い」というあらすじもバカバカしいだけでしたね。

さてNHK大河「平清盛」ですが、第一話の収穫は「舞子」を演じる吹石一恵でした。
いきなり第一話で弓矢によって殺されてしまうというあらすじの中で、圧倒的なパフォーマンス。
けっこうねえ、第一話に関しては、他の俳優たちは「その俳優」にしか見えなかったんですよねえ。
吹石一恵のみ「舞子」が降りて来たかのような見事な役作り。
「映画の人」を自認する吹石一恵の力を見せつけた圧巻の演技でした。

おっしゃああああ!!

吉高由里子映画「ロボジー」、園子温「ヒミズ」1月14日公開!
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」「アンダーワールド 4」もお忘れなく!

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テレビでは観られない魅惑的水川あさみを映画で観るべし!  [生と死のためのアート]

水川あさみはテレビドラマではだいたいつまらない女優に見える。
それは水川あさみの責任では、ほとんどない。
水川あさみがつまらない女優に見えるというテレビドラマの脚本や演出にこそ問題があるわけだ。

映画、もちろん出演作全てというわけにはいかないが、映画で観る水川あさみは非常に魅惑的な女優なのだ。
「魅惑的」という言葉を遣ったが、テレビドラマの中の登場人物は魅惑的であってはいけないという不文律がある、基本的には。
テレビと「魅惑」は相反する概念であるのだろう、基本的には。
だからテレビの人気者であるためにはいまだに昔の「4コマ漫画」のようなキャラクターであることが多い。

水川あさみがいかに魅惑的かの一例。

映画「今度は愛妻家」に豊川悦司と「あわやメイクラブ」といシーン。

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UFC141!ブロック・レスナーVSアリスター・オーフレイム!敗北の決定。 [エッセー・闘う敗北者たち]

ブロック・レスナーは試合前から明らかにナーバスになっていた。
長いブランクを経ての復帰戦だということもあるだろう。
「引退か現役続行か」を賭けた試合だったということもあるだろう。
しかしそれ以上にレスナーには「アリスターにはとても敵わない」という確信めいた気持ちがあったのではないか。
様々な資料を研究したうえで、「必ず負ける」と確信するに至ったとわたしは思うのだ。
ただ、「負ける」と予測しても、試合が始まるまでは「ひょっとしたら」という気持ちがどこかに残っているはずだ。
そんな淡い希望も試合開始と同時に消えて無くなる。
オクタゴンで実際に対峙したアリスター・オーフレイムは、ブロック・レスナーの人生でまったく経験したことのない「怪物」に見えたのではないか。

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