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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●末尾ルコは脳を鍛える・鍛え方。「固有名詞を口に出す」2014年9月22日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコは脳を鍛える・鍛え方。「固有名詞を口に出す」

年齢を重ねてもずっと自在でわくわくするような会話を楽しみたいですね。
しかし「使わないもの」は錆びたり腐ったりします。
「語彙」や「表現」の中で言えば、特に「固有名詞」が口からでなくなるのは、さほど高い年齢でない段階でよくありますよね。
知っているはずの固有名詞がすぐに出ない。
とても苛々します。
予防はやあり「使うこと」。
日常会話の中に、意識的にどんどん固有名詞を出していくといいと思いますよ。


(「末尾ルコは脳を鍛える・鍛え方」は、脳の専門家でも何でもない末尾ルコが様々な専門書などを研究し、その中から「これはよさそう」と判断したものを自ら試みていく記録です。あくまで「末尾ルコ個人に対する効果」であり、「万人に同様の効果が表れる」と主張するものではありません)

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●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!

高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ 映像俳優演技論 「軍師官兵衛」中谷美紀と黒木瞳。2014年9月22日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ 映像俳優演技論

多少意地悪な書き方になります。
しかし表現者というのは様々な人の感想や批判、批評を受け止めねばならない。
「談合ムラ社会」大好きな日本のかなり多くの人たちがいまだに「批評」「批判」を「悪口」と混同している。
害悪にしかならないただの「悪口」と、ジャンルを愛するが故の「感想」「批判」はまったく対極にあるものです。

というわけで、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の話ですが、二人の知名度が高く、キャリアも長い女優が出ています。
中谷美紀と黒木瞳。
中谷美紀は黒田官兵衛の妻役、黒木瞳は羽柴(豊臣)秀吉の妻役を務めています。
主役の妻役なので当然中谷美紀の出番は多い、いわば準主役のような立場なわけですが、だからと言って、脚本上「官兵衛の妻」が深く掘り下げられているわけではない。
大河ドラマというものは本質的に「きれい事」に終始するもので、歴史上の人物を本気で深く掘り下げる意図はないものなのです。
で、脚本上は中谷美紀も黒木瞳も深く掘り下げられてない役を演じているわけですが、ではどちらも底の浅い人物に見えるかと言えば、そうではないんですね。
中谷美紀の方が断然奥深く見えて、黒木瞳は実に浅く薄っぺらく見える。(まあ「そうは見えない」と言う方もいるのでしょうが、間違いなく「見える」方が正しいと思います)
なぜこの違いが生じるのか?
まず何と言っても演技力。
中谷美紀の演技が、奥行き、技術、抽斗の多さ、人間理解など、圧倒的に上回っている。
そしてもう一つ、「一人の人間」としての深さ、ですね。
年齢的に中谷美紀より先輩に当たる黒木瞳には申し訳ないけれど、「人間の磨き方」自体に差がある。
残酷だけれど、そうとしか言いようがありません。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2014年9月22日 [愛の景色]

君という一人の女性に、ぼくの人生の「愛しさ」のすべてがある。



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末尾ルコ傑作詩「高知とキンシャサの奇跡と周囲が見えてないにいちゃん」篇。「花子とアン」黒木華「軍国女性」に強きファナティックの片鱗。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「高知とキンシャサの奇跡と周囲が見えてないにいちゃん」篇

キンシャサの奇跡 モハメッド・アリは
ロープ・ア・ドープの戦法により
ジョージ・フォアマンを
倒した
キンシャサは
かつてのザイール共和国の
首都

高知のある場所で
俺の右隣のいるにいちゃん
あんた実質
一人で三人分の場所を
独占してるのが
分からないのだろうね

●わたしは数年前までNHK朝ドラマとは一切かかわりないライフスタイルを営んで来ていたわけですが、尾野真千子とか能年玲奈とか満島ひかりとか橋本愛とか、映画系の女優が出演するようになってから観始めまして、「花子とアン」はなにせ吉高由里子や黒木華が出ているので観ないわけにはいかないだろう、というところだったのですが、だいたい朝ドラマって終盤に差し掛かるとおもしろくなくなってきます。
全体としては大方の民放ドラマよりは観られる内容なのですが、「朝ドラマ」という性質上、終盤は「無難にまとめる」しかなくなるのでしょうね。
「花子とアン」も、花子の家庭が安定してきてからは退屈になりました。
ただ安藤かな役の黒木華がドラマ中で「軍国女性」寄りになっている姿はさすがに観応えがあった。
「ファナティック」という言葉がありますが、日本語では「熱狂的支持者」「狂信者」などと訳されます。
第2次世界大戦時の軍国寄りの人たちすべてがファナテイックであったとは言いませんが、大本営発表に操作され、さらに日本全体を覆う「国際感覚・知識」の欠如によって、多くの国民がファナティックになっていたのは間違いない。
しかしこれは「軍国」あるいは「右翼思想」だけではないんですね。
「左翼思想」であれ「宗教」であれ、ファナティックになった人とは「会話」が成立しない。
ただ、映画や小説などで描かれるファナティックな人間像は時に絶大な魅力がある。
黒木華にはいずれ過度にファナティックな人間像を演じてはしい。
「花子とアン」の「軍国女性」姿を見て、強くそう感じたしだいです。
はい。


[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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