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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●人はいかにして「根気」を身につけられるか?2014年10月1日 [「言葉」による革命]

※11月1日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●ひとたび「根気」がものになれば、それはもう人生の宝物を得たという意味ですから。
いけないのは、「第3者からやらされている根気」。
自発的でないといけない。
もっと言えば、その中に悦びがないといけない。
「つらい、苦しい」と感じる時間があるのは致し方ないとして、しかしその「つらい、苦しい」時間にさえ悦びがある。


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●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!

高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2014年10月1日 [愛の景色]

君がいる、君が傍にいる時の、すべて満ち足りた感覚。
心の奥の奥、精神の隅々まで行き渡る「完璧」な状態。
「愛している」という証しなのさ。


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〈「言葉」による革命〉・・・「本能寺の変」に新説?歴史って何だ?と。2014年10月1日 [「言葉」による革命]

●学問というのは基本的に遊戯的なところがあり、「この学問は実社会で役に立つのか?」と問われれば、多くの「ちょっと気の利いた」学者は「実社会で役に立たないから学問は価値があるんだ」的解答をしますね。
でも本当は、ほとんどの学問は「実社会でも役に立つ」んです。
生かしようなんですね。
歴史なんか特にそう。
それにしても「歴史学者」という仕事も大変です。
最終的結論など出るわけがないのに、資料をこねくり回して「新説」を打ち立てようとする。
最近でも「本能寺の変」に関して「新説」らしきものが出ていましたが、だいたいにおいて「自分の好みの結論」という予断があって、資料を「そちら向きに読む」というのが歴史学っつうもんじゃないでしょうか、はい。
客観性なんか期待してはいけません。


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末尾ルコ傑作詩「ポムポムプリンと高知県」篇。末尾ルコ「映像俳優演技論」ジュリエット・ビノシュの「カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇」。 [「言葉」による革命]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「ポムポムプリンと高知県」篇。

ポムポムプリンでごーごーごー
プリンでポムポム あはあはあは
ここここ高知とポムポムプリン
関係ないよで、関係あるのさ
あはあはあははで あはあはは
ポムポムプリンでごーごーごー
ポムポムなのにプリンなお前
なぜにお前は耳を持つ
ああ、高知と疑問
疑問と高知と
ポムポムプリン!

●カミーユ・クローデルのお話です。
イザベル・アジャニーがカミーユ・クローデルを演じた、ブリュノ・ニュイッテン監督の「カミーユ・クローデル」は、日本でも東京を中心に大ヒット。
にわかにカミーユ・クローデルブーム的な雰囲気が、日本でも漂いました。
ただこの映画「カミーユ・クローデル」。淀川長冶、蓮実重彦ら、強い美意識や高度な理論を持っている批評家たちには馬鹿にされていました。
「いかにもイザベル。アジャニーが好きそうな」大芝居が一部で顰蹙を買ってました。
確かに「アデルの恋の物語」があまりにも衝撃的だったアジャニーですが、その後は「エキセントリック専門」のような立ち位置が続きましたね。
ただ、敬愛する淀川、蓮実両氏に馬鹿にされた「カミーユ・クローデル」も、わたしは十分楽しむことができました。
WOWOWで放送された「カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇」でカミーユを演しているのはジュリエット・ビノシュ。
カミーユ・クローデルはご本人の写真が残っているけれど、たいへんな美形で、完全にイザベル・アジャニータイプの顔立ちなんです。
だからジュリエット・ビノシュとはまるで似ていない。
でもそこはジュリエット・ビノシュ。
魂を抉り出すような演技で魅せてくれます。
原題が「Camille Claudel 1915」。
つまり1915年におけるカミーユを描いた作品で、当時は南仏の精神科病院に入院していたわけです。
と言うか、ロダンとの関係や芸術上の葛藤などで精神を病んだカミーユは、後半生の大方を精神科病院で過ごすことになる。
その中のある時期について、弟の詩人ポール・クローデルとの関係を交えながら、ブリュノ・デュモンの演出とジュリエット・ビノシュのパフォーマンスが映像に魂を吹き込んでいきます。


[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・「花子とアン」吉高由里子に「男前!」を連発した馬鹿な司会者、と。2014年10月1日 [「言葉」による革命]

●NHKの番組で「花子とアン」を放送しているわけだから吉高由里子ら出演俳優が宣伝のためにトーク番組などに登場するんですが、7月26日のお昼に放送していた番組の中で司会者が吉高由里子について「男前」を連発するんです。
「馬鹿か!」と思う。
女性に対して「男前だ」という言い方はもうずいぶん以前から使われているけれど、まあ一般の人たちが流行語的な表現を使うのはある程度は仕方ないとして(それにも限度がありますが)、テレビで「喋り」で一般人よりずっと高収入を得ている連中が手垢の付いた表現を平気で使ってどうする?
あ、もう一度繰り返しますが、一般の方々の使用はまた別です。
しかし一般の方々でも新語・流行語の使用を抑制し、極力正確な日本語でものごとを表現するという努力を続ければ、言語能力はめきめき上がって行く。
安易な新語・流行語の使用は言語能力を確実に落とします。
あともう一点言えば、女性に対して「男前」が褒め言葉として使われるのは、女性の性格や能力を馬鹿にしていますね。
あまり言葉尻を掴まえて非難するのは好きではないけれど、実際そうでしょう。

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