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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ 「口の利き方」は人生に大きく影響する。2014年10月30日 [「言葉」による革命]

※11月24日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●「いただけない口の利き方」をしている人たちは、本人が気付いてないことが多い。
だから知らず知らずの内に何度もやっているんですね。
そうした人たちはまず間違いなく、上司相手にも「いただけない口の利き方」をしているはずです。
上司は常に、(こいつ、まともな口の利き方ができない)と考えている。
当然査定などにも影響が出てくる。


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●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!

高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2014年10月30日 [「言葉」による革命]

お仕事中に「卵を割ってしまったのでまた買います」なんて他愛のないことを君に話しかけたのも、どうしようもなく好きだからなんだと分かってくださいね。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコバレエプチ講座 シルヴィ・ギエム、2015年に引退!2014年10月30日 [「言葉」による革命]

●不世出の天才バレエダンサー シルヴィ・ギエムが、8月14日、引退を発表しました。
バレエファンにとっては特別な存在、バレエファンでなくても名前は聞いたことがある・・・それだけジャンルの枠を超えて突出した存在でした。
しかしまだ、来年いっぱいは踊ってくれる。
来日公演はたいへんなことになりそうです。

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末尾ルコ傑作詩「アンナ・ニクーリナとマリリン・モンロー」篇。末尾ルコ「映像女優演技論 北川景子」篇。「の・ようなもの のようなもの(仮題)」 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「アンナ・ニクーリナとマリリン・モンロー」篇。

マリリン・モンローは
孤独の内に
死す

アンナ・ニクーリナは
どれだけ悲痛な
ニキアを踊る

なぜモンローとニクーリナを並べるの?
意味なんてないさ。

●末尾ルコ「映像女優演技論 北川景子」篇。「の・ようなもの のようなもの(仮題)」

北川景子が森田芳光監督のデビュー作「の・ようなもの」のその後を描くという「の・ようなもの のようなもの(仮題)」に出演する。
北川景子もそろそろ「映画女優」として「この作品をやったんだ」という誇りを持てるものに出たい。
今までの出演作にももちろん誇りを持っているでしょう。
少なくとも普通、特に日本の俳優たちは「どの出演作にも誇りを持っている」と言う。
しかし心の底の本心はどう言っているか。
「思ったことを何もかも言う」ことが「よきこと」であるとは限りません。
人間の世界、やはり「言うべきこと、言わぬべきこと」の区別はしなければならない。
その上で、日本人は「言うべきこと」さえ言わない人が多すぎる。
この点は変えていかねばならない。
「少子化」が日本の大問題として取り沙汰されているけれど、「言うべきことを言わない」国民性も「少子化」を促進していると思いますよ。
北川景子に話を戻しますと、「人気スター女優」の座を射止めてからは、ほとんどひっきりなしに映画、テレビドラマに出演している。
既に不動の地位を築いていると言ってもいい。
けれど北川景子の「本当の心」は「もっともっといい映画、作品性の高い映画に出演したい」と思っているはずです。
俳優たちがそのようなことを自由に語れるようになればいいけれど、そうでない間は、ファンがその気持ちを類推せねばならない。
北川景子は「映画が分かる」「文学が分かる」女優なのだから、自らの出演作のクオリティも客観的に評価できているはずです。
例えば最近で言えば、「謎解きはディナーのあとで」の映画版など、実にお寒い内容だった。
テレビ版よりもお金をかけているというだけで、中身はより冗漫となり、そして「ラストで泣かそう」という日本人の悪癖も出てしまい、痛快さの欠片もない作品になっていました。
それだけに、「の・ようなもの のようなもの(仮題)」には期待したい。
映画館へ足を運ばせてほしい。

●11月日本公開。レア・セドゥ主演「美女と野獣」を応援しています。
そして驚くべき状況になっている、フランス女優の魅力を、力を入れて語ります。
「美女と野獣」。
主演はレア・セドゥとヴァンサン・カッセル。
「美女と野獣」に、なんて相応しい二人なのだろう!
(末尾ルコ設立「フランス映画とバレエ普及団←仮称」会長 革命・芸術 末尾ルコより) 

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・ルーク・エバンスの「ドラキュラ・ゼロ」とヴァンパイヤ映画史。2014年10月30日 [「言葉」による革命]

●「ドラキュラ・ゼロ」という映画がありますね。
「ドラキュラ・ゼロ」はドラキュラのモデル的存在であるヴラド・ツェぺシュ
ヴァンパイヤ物の映画はモノクロ時代から常に制作されていますが、ヴラド・ツェぺシュそのものを主人公にした作品はさほど多くありません。
基本的に多くの正調ヴァンパイヤ映画はブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」がベースになっています。
そこでかつて人口に膾炙したのがクリストファー・リーのドラキュラ伯爵なんですが、今日びもうあまり観られなくなってますよね。
黒いマント、オールバックに撫でつけられた黒髪、血走った目、そして二本の鋭い犬牙・・・。
それ以前にFWムルナウのサイレント傑作「吸血鬼ノスフェラトゥ」があったけれど、トーキーの時代に無声映画を観る人たちが多くいるわけもなく、「ドラキュラ=クリストファー・リー」というイメージは長く続きました。
ムルナウ版の吸血鬼は丸坊主で前歯が尖っているという「奇怪」としか言いようのない外見。
現在多くの人が持つ、「ヴァンパイヤ=ダンディ+耽美」というイメージとは大きく隔たっています。
ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」はサイレント時代、まだ「恐怖映画」などというジャンルに慣れてなかった人たちが映画館の暗闇で観た時にとても怖かっただろうな、というのは分かりますが、今現在テレビ画面で鑑賞して怖いかと言えば、わたしはまったく怖くなかった。
もちろん映画表現などの観点からすれば、今でも「凄いな」という部分は多いですが。

「ドラキュラ・ゼロ」は主役をルーク・エバンスが演じていて、「耽美」というよりも「男っぽい」魅力が垣間見られます。
これは歴史上の人物であるワラキア公国のヴラド・ツェぺシュのイメージに近づけようとしたのでしょう。

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