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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●女性尊重社会を創るために。2014年12月6日 [「言葉」による革命]

※2015年1月16日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●女性尊重社会を創るために。
まず女性に対する尊敬心を育てねばなりません。
男性が女性を尊敬し、
女性が女性を尊敬する。
どちらも進めていかねばなりません。

「女性が女性を尊敬する。」

意外なことに、残念なことに、それができていない女性も少なくない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!



高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「鬼の黒木華と高知」篇。2014年12月6日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ傑作詩「鬼の黒木華と高知」篇。

高知でわたしはふと考える。
黒木華はきっと鬼の役だってできるに違いない。
やあ、違いない。
はた。鬼と言えば、二階堂ふみだ。
お下知を!お下知をばあ!

そこまで言うこたあ、ないよね。


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2014年12月6日 [愛の景色]

ぼくはもう分かっている、君しかいない、絶対にね。

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末尾ルコ傑作詩 吉本隆明「真贋」とアンナ・ニクーリナ 篇。末尾ルコ「映画女優演技論」~健さんとも共演させたかったほどの風格、「紙の月」宮沢りえ。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。


●末尾ルコ傑作詩 吉本隆明「真贋」とアンナ・ニクーリナ 篇

吉本隆明と言えば
言えば?
「共同幻想論」だよね
うむ、然り。でもね
デモね?
「言語にとって美とはなにか」もね。
モネとドガ?
そして、「真贋」という本が
心眼?
易しくてとてもおもしろいのさ

そしてナタリア・オシポワと
アンナ・ニクーリナが
マニフェスタシオンを?

●末尾ルコ「映画女優演技論」~健さんとも共演させたかったほどの風格、「紙の月」宮沢りえ。

映画「紙の月」を観ながら、(ああ、この宮沢りえなら、高倉健と共演しても物凄くおもしろかっただろう)とつくづく思いました。
クオリティの高い映画を主演女優が圧倒的に引っ張る。
余程力がないとできない。
しかも「紙の月」は芸術作品としてもエンターテイメント作品としても成立している、今日び稀有な日本映画です。
「紙の月」では頻繁に宮沢りえの横顔を映すのですが、今まで気づかなかったけど独特の横顔をしている。
それが作品全体にある種の影響をももたらしている。
これから「紙の月」を鑑賞しようという人は、「宮沢りえの横顔」にも注目してください。

「紙の月」はあまり多くの俳優が出てこない映画なんですが、共演者たちもなかなかよかった。
大島優子あたりを効果的に使っているのは吉田大八監督の手腕です。
ご存知のようにわたしは「AKB的な現象」すべてに対して批判的なのですが、「紙の月」のような「使われ方」であれば納得がいく。
共演者の中では特に小林聡美に感心させられました。
その場をさらう存在感。
それでいて常にどこか可笑しいキャラクター。
後半、「宮沢りえとの対決」が大きなクライマックスになるのですが、「今の宮沢りえに相応しい」対戦相手と言えます。
小林聡美、いいですよ~。
それにしても「今」、敢えて舞台を中心に10年間仕事をし、刃を磨いてきた宮沢りえが映画界に帰ってきたことは嬉しいし素晴らしい。
「今の宮沢りえ」、それこそ高倉健と共演しても十分なだけの風格を持っています。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・「花子とアン」黒木華「軍国女性」に強きファナティックの片鱗。2014年12月6日 [「言葉」による革命]

●わたしは数年前までNHK朝ドラマとは一切かかわりないライフスタイルを営んで来ていたわけですが、尾野真千子とか能年玲奈とか満島ひかりとか橋本愛とか、映画系の女優が出演するようになってから観始めまして、「花子とアン」はなにせ吉高由里子や黒木華が出ているので観ないわけにはいかないだろう、というところだったのですが、だいたい朝ドラマって終盤に差し掛かるとおもしろくなくなってきます。
全体としては大方の民放ドラマよりは観られる内容なのですが、「朝ドラマ」という性質上、終盤は「無難にまとめる」しかなくなるのでしょうね。
「花子とアン」も、花子の家庭が安定してきてからは退屈になりました。
ただ安藤かな役の黒木華がドラマ中で「軍国女性」寄りになっている姿はさすがに観応えがあった。
「ファナティック」という言葉がありますが、日本語では「熱狂的支持者」「狂信者」などと訳されます。
第2次世界大戦時の軍国寄りの人たちすべてがファナテイックであったとは言いませんが、大本営発表に操作され、さらに日本全体を覆う「国際感覚・知識」の欠如によって、多くの国民がファナティックになっていたのは間違いない。
しかしこれは「軍国」あるいは「右翼思想」だけではないんですね。
「左翼思想」であれ「宗教」であれ、ファナティックになった人とは「会話」が成立しない。
ただ、映画や小説などで描かれるファナティックな人間像は時に絶大な魅力がある。
黒木華にはいずれ過度にファナティックな人間像を演じてはしい。
「花子とアン」の「軍国女性」姿を見て、強くそう感じたしだいです。
はい。

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