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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●末尾ルコ バレエプチ講座「男性舞踊手タイツ」の克服は可能か?2014年12月25日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ バレエプチ講座「男性舞踊手タイツ」の克服は可能か?

あ、この「末尾ルコ バレエプチ講座」はあくまで「バレエファン養成」のための試みであって、「バレリーナを育てる」類いのものではないというか、わたし本人はバレエを習ったこともないので、そんなことできません。
しかしバレエに限らず、今の日本は文化芸術の「しっかりしたファン」を育てることが大きな課題となっています。

バレエに興味を持った人が早い段階でぶつかる大きな障害があります。
それは男性舞踊手のタイツ姿です。
(この項、続く)

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「ココナッツミルクと高知のポエミー」篇。2014年12月25日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ傑作詩「ココナッツミルクと高知のポエミー」篇

ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね

ココココココココ
ココナッツミルク
ミルミルミルミル
ミルククク
九九ができたら
算数バッチリ
とはいかないけど
できなきゃ
ダメだよ
九九 八十一

ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね

高知でも買える
ココナッツミルク
陶然さね?
いや、当然さね!

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2014年12月25日 [愛の景色]

君の幸せをどれだけ実現できるだろう。
どんなことでも実現したい。
君と一緒に見た今年の雪を想いながら、ぼくは決意を確固たるものとする。

タグ:アート
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末尾ルコ傑作詩「触媒 ザハロワとスミルノワ」篇。末尾ルコ「教育論」~歴史の教え方とダークサイド。「過激派」吉田松陰を「花燃ゆ」はどう描いていくか? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「触媒 ザハロワとスミルノワ」篇。

触媒としてのスヴェトラーナ・ザハロワ
触媒としてのオリガ・スミルノワ
二人が人間世界に届けるものは異なるけれど、
わたしたちはしっかりと受け取るのだ
この世ならぬものを

触媒としてのスヴェトラーナ・ザハロワ
触媒としてのオリガ・スミルノワ
二人が人間世界に届けるものは異なるけれど、
わたしたちはしっかりと受け取るのだ
この世ならぬものを

●末尾ルコ「教育論」~歴史の教え方とダークサイド

歴史の授業に関してですが、「歴史というものはすべて仮説である」という点については生徒たちにまず理解させておくべきだと考えます。
その際、「あったかどうか分からないことを何でならわなきゃならないんだ!?」とは言わせない。
「明確でないからこそ、学び続けねばならないのだ」と、教師は自信を持って言うべきです。
それと歴史には実は濃厚に人間のダークサイドが含まれていますね。
いくらでもダークサイドは出てくる。
そこをどう扱うか。
分かりやすい例を挙げれば、さほど遠い昔でない時期まで「切腹」「打ち首」「獄門」などという刑罰が公式のものだった。
その辺りをどう扱うか。
慎重に扱わねばならないけれど、「できるだけ伏せて」という方法ではダメです。

●「過激派」吉田松陰を「花燃ゆ」はどう描いていくか?

教育現場だけでなく、テレビで放映される歴史を扱ったドラマもほとんどがダークサイドを隠したまま作られています。
そこが「テレビ」ないし「テレビドラマ」というメディアの限界でもあるわけですが、さて大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作などはどう描かれているか。
時代が激動期だったことはもちろんありますが、現在の視点からすれば、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作らはすべて極めて過激な思想と行動力を持った人たちでした。
特に吉田松陰はほとんど「無茶苦茶じゃないか!」と言いたくなるほど過激な思想を持っていた。
でも割と一般的なイメージは「松下村塾で多くの人財を育てた立派な教育者」です。
そんなイメージが強い一つの要因は、吉田松陰の最も有名な肖像画。
とても分別くさい人間のように見えるのですね。
あれはあれで「厳格さが漂っていい」とも言えますが、若くして死んだ割には若々しいイメージが薄い。
「画像」「図像」のイメージの怖さでもあります。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・「るろうに剣心 伝説の最期編」比古清十郎=福山雅治は強そうだったか?2014年12月25日 [「言葉」による革命]

●「るろうに剣心 伝説の最期編」で剣心の師匠 比古清十郎を福山雅治が演じていましたね。
と、ここまで書いて何と初めて気づいたんですあ、比古清十郎の「清十郎」は、吉岡清十郎の「清十郎」と同じじゃないですか!
ははあ。
今まで気付かなかったとはねえ、おれときたら。ふふふ。
と言いますのは、大人になってから(笑)滅多に漫画に接さなくなったわたしがまとめて読んだのが「北斗の券」「バガボンド」「るろうに剣心」の3作品。
これらの中でとりわけ気に入った登場人物が「バガボンド」の吉岡清十郎、伊藤一刀斎、そして「るろうに剣心」の比古清十郎なのです。
まあそれだけの話なんですけど。
映画「るろうに剣心 伝説の最期編」で福山雅治によって演じられた比古清十郎は、とてもじゃないが「いい!」とは言い難かった。
わたしは福山雅治を「俳優」とは思ったことなかったのですが、是枝裕和監督の「そして父になる」ではきっちりと「俳優」になっていたので驚いた。
いい監督に演出されるとこうまで違うものかと。
「そして父になる」は作品も見事な出来栄えでした。
ところが「るろうに剣心 伝説の最期編」の比古清十郎は基本的に「ガリレオ」と同じ。
そして比古清十郎と言えば「異常に強い人」のはず。
なにせ剣心よりもずっと強いわけですから。
しかし福山雅治演じるところの比古清十郎は強そうに見えない。
この辺りは演出の問題もあります。
比古清十郎の強さは正しく「漫画的」であって、人間の俳優が(笑)そのまま演じても表現は難しい。
となれば、「演出で強そうに見せる」ようにすべきですが、それがないんですね、大友監督には。



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