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「言葉」による革命・「美」による革命  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ 「東京駅100周年記念スイカ」行列に見る日本の脆弱性。2014年12月27日 [「言葉」による革命]

※2015年1月31日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●もちろん今回の「東京駅100周年」だけでなく、「新機種ゲーム」「新機種携帯」などの発売日には必ずと言っていいほど「行列」ができる。
人間にはそれぞれの価値観があるわけで、「大きなお世話だ」と言われればそれまでかもしれませんが、こうした現象が普通である日本の脆弱性を常に感じざるを得ません。


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●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!



高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2014年12月27日 [愛の景色]

君がいればぼくの心は悦びとともに完璧に安定するんだ。

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〈「言葉」による革命〉・・・「自制心とハードボイルド」2014年12月27日 [「言葉」による革命]

●「ハードボイルドと人生」あるいは
「自制心とハードボイルド」

「へらへら笑う男」についてどうお感じになりますか?
あるいはほぼ「常にへらへら顔」をしている男」をどうお感じになりますか?
特に3人以上の単位で行動している男たちにそんなケースが多い。
わたしとしては、「いなくなれ!」とまでは思わないけれど、できればもっと少なくなってほしいですね。
はい。

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末尾ルコ傑作詩「女帝」チャン・ツイィーと「豪奢」。末尾ルコ「真の勉強法」~大河「花燃ゆ」吉田松陰の家族構成の復習と反復練習。末尾ルコ「映画女優演技論」~「Aスタジオ」で感じのよかった本田翼は「過分」が分からなかった。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「女帝」チャン・ツイィーと「豪奢」。

「女帝」は「ハムレット」のストーリーを借りた映画なのです
その主役にハムレットの母のガートルードを持ってきています
ガートルードをチャン・ツイィーが演じていて、
それはチャン・ツイィーの演じてきた役の中では決していいできではないにせよ
映画「女帝」には豪奢がある

ところであなたの心に
豪奢はありますか?

●末尾ルコ「真の勉強法」~大河「花燃ゆ」吉田松陰の家族構成の復習と反復練習。

※2015年1月26日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

どのような学問でも、いや学問だけでなく、「何かの分野で上達したい!」という気持ちがあるのなら「復習」「反復練習」は欠かせません。
それも「いやいや~~」と感じながら行うのではなく、積極的な意義を見出しながら行う。
「復習」や「反復練習」にまでも「悦び」を感じるようになってこそ本物です。
そんなわけで、吉田松陰の末妹「文」が主役の2015年大河ドラマ「花燃ゆ」。
過激な思想家・行動家吉田松陰の家族をまたまた復習。

父 杉常道
母 滝
兄 梅太郎(民治)
妹 芳子(千代)
妹 寿
妹 艶
妹 美和子(文)
弟 敏三郎

●末尾ルコ「映画女優演技論」~「Aスタジオ」で感じのよかった本田翼は「過分」が分からなかった。

2014年12月、笑福亭鶴瓶の「Aスタジオ」に本田翼が出演していました。
本田翼・・・映画館で「アオハライド」の予告編を観た時は脳味噌が腐りそうになりましたが。
少女漫画の映画化というのが日本では一大ジャンルと化しており、それはそれでいい・・・とも言えないとも思っていますが、ここでは「Aスタジオ」に出演していた本田翼が案外感じがよかったという話です。
見た目も話しぶりもけっこう感じがよかった。
まあ鶴瓶の言った「過分」という言葉が分かりませんでしたけど。
「過分」・・・会話の中に出てきて、あなたはすぐ分かりますよね。
使われる文脈にもよりますが。


[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ フランス映画講義&演技論「ルノワール 陽だまりの裸婦」クリスタ・テレの理想的美景色。2014年12月27日 [「言葉」による革命]

●映画「ルノワール 陽だまりの裸婦」の中でクリスタ・テレは女優志望の女性アンドレを演じている。
クリスタ・テレ演じるアンドレは、オーギュスト・ルノワールが多く描いた裸婦像ほどはふくよかではなく、いわば世界の多くの男が夢見るような理想的プロポーションをしている。
そして豊かな金髪。
「白人コンプレックス」などという文脈とはまったく関わりなく、プロポーションに恵まれた白人女性の肩から背中にかかる緩やかなウエーブを持った金髪が空気に軽く踊る景色には格別の美がある。
そしてその姿は、欧州の淡い陽光の中が最も相応しい。
ああ、そうなのです。
そんな女性美を巡る理想的な景色の一つが「ルノワール 陽だまりの裸婦」で鑑賞できる。
そして「パッとしないので仕方なく脱ぐ」日本の女優たちとはまったく違う世界がそこにはある。
いや、日本の女優たちも、例えば寺島しのぶとか、真木よう子とか、そして吉高由里子であるとか、「この作品では脱ぐ必要があるから当然脱ぐ」という人たちも少なくない。
しかし目立つんですね、「どうもパッとしないから、脱いで注目を浴びるしかないなあ」的話題の取り方が。

間違っていただいては困るけれど、わたしは日本人に「多くの欧米人のように、平気で肌を露出できるようになれ!」と主張しているのではありません。
日本人の「奥ゆかしさ」は男女とも保持するべきだと考えている。
ただ、映画など「芸術表現」において、「脱ぐ脱がない」だけで大騒ぎするのはあまりにみっともない、と言っているのです。


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