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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ 末尾ルコ傑作詩「聞こえてくる、確かに、高知市薊野辺りから」篇。2015年1月12日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ傑作詩「聞こえてくる、確かに、高知市薊野辺りから」篇。

音がする
音が聞こえる
それは間違いなく高知市の真ん中辺りから
音がする
決して
けたたましくないが
腹の底まで重く響いてくるような音

どうやらそれは、
高知市の
薊野
一宮
比島
そして秦南辺りから
確かに
聞こえてくる

音がする
音が聞こえる
それは間違いなく高知市の真ん中辺りから
音がする
決して
けたたましくないが
腹の底まで重く響いてくるような音

どうやらそれは、
高知市の
薊野
一宮
比島
そして秦南辺りから
確かに
聞こえてくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!



高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「魔術の訓練」篇。2015年1月12日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ傑作詩「魔術の訓練」篇。

ぼくは、恐怖も危機も悲痛でさえ
「よきもの」へと変化(へんげ)させる
魔術を身につけようと
困難な努力を続けよう

極限の愛、日常の愛、その言葉 2015年1月12日 [愛の景色]

1月2日の午後も君が忙しく働いている姿の無効を見れば雪が舞っていた。
君の姿の向うに見える雪。
とても素敵な午後。

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末尾ルコ傑作詩「香美市への想像とフイフイダンスとナタリア・オシポワ」篇。末尾ルコ「日本人論」~「NEWSポストセブン」江本孟紀ケースに見る「旧弊に囚われた日本人」。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「香美市への想像とフイフイダンスとナタリア・オシポワ」篇。

血沸くぞ 肉躍るぞ
踊り奉り給えよ
さらにまたそれは香美市でもって
さなれフイフイダンスをば

高知の香美市っていい名前だね
どこが?
「かおりが美しい」と書く
ホントだね
「美しい香り」とも読める
なるほどね
香美市ってどんなところだろうなあ
想像が拡がるね
ああ、想像が拡がっていく

血沸くぞ 肉躍るぞ
踊り奉り給えよ
さらにまたそれは香美市でもって
さなれフイフイダンスをば

ナタリア・オシポワが舞う
ディアナのごときでなくとも

●末尾ルコ「日本人論」~「NEWSポストセブン」江本孟紀ケースに見る「旧弊に囚われた日本人」。

「NEWSポストセブン」というサイトがあるんですが、2014年12月に「カネは人を変える一例 大魔神殿堂入りパーテイでのイチロー」と題された記事が掲載された。
その記事の中心は江本孟紀の「談話」らしきものなのです。
内容をかいつまんでみますと、佐々木主浩殿堂入りパーティでイチローが花束を渡すという企画があった。
その際、イチローは「我々のほうを見向きもせず」花束を渡して去って行った。
まあそれだけのことです。
このイチローの態度から江本は、「MLBで莫大なお金を稼いで変わってしまったにんげんせい」を言い募ります。
あなたはどうお感じになりますか?
わたしは例えばYahooなどに設けられているコメント欄は滅多に見ないのですが、この記事に関してどんなことが書かれているか興味があったのでちょっと見てみた。
大方が「江本の認識」に「呆れ、否定する」意見でした。
(ああ、日本も真っ当な感覚を持ってらっしゃる方が多いのだなあ)と少し嬉しくなった。
わたしはイチローのファンですし、その言動の「全て」とまではイカナクテモ、大部分は支持しています。
この「江本発言(認識)」というのは一つの人間観察のケーススタディとしても興味深い。
図らずも江本孟紀は「旧弊に囚われた日本人」としての感覚を無様に披露してしまった。
わたしはそう見ています。
これは江本孟紀だけの問題ではありません。
「旧弊に囚われた日本人」に関しては今後も様々な形で取り上げていきます。

〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「プチ話し方講座」。2015年1月12日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「プチ話し方講座」

「知的とは言い難い人たち」の中にも素敵な方は少なからずいます(よね? 笑)
しかし現実的な話、「知的でなければ」選べる職業もかなり限られてきます。
「知的」というのにもいろいろレベルがありますが、「知的とは言い難い人たち」は、多く「シンプル過ぎる話し方」をします。
「せめてこのくらいの言い回しは日常的に使えるべきだ」という表現ができないことが多い。
というような「末尾ルコ話し方講座」もこれからどんどん取り入れていきます。