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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その20。2015年3月3日 [『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』]

●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その20。

「黙らんかね!」
 と怒鳴った山の中椅子子だが、いつも通り教室がすぐに静かになることはない。そもそもクラスに騒擾状態をもたらす最右翼である田川猿蔵が容易には黙らない。
「けんどセンセー!そんなちんまい女、連れて来て!そんなことするセンセーの方が悪いわえ!わあっはっはっはあ!」
 ここで少々「現在土佐弁講座」をしてみよう。「ちんまい」の意味は「小さい」であり、ほぼ同義の言葉として「こんまい」も使われる。
丘メヒー子を「ちんまい」と囃し立てる田川猿蔵自身、男子生徒としては学年でも一、二を争うほど「ちんまい」のであるが、本人もそれを十分分かっているだけに、「ちんまい」に関してはより敏感になっているわけだ。
 山の中椅子子に慣れきっているパパイヤ組が騒がしくなれば容易には収束しない。さらにその日は「丘メヒー子が来た」という特別な日であり、「いつもの騒擾」よりもかなり激しい事態となっている。
(笛の音が聞こえる・・・) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!



高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2015年3月3日 [愛の景色]

心から愛する「君」と一人の女性の存在から、
ぼくの魂に無数の宝物が生まれているんだ。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「マスメディア批判」~高倉健の場合だけではない。日本人の精神を貶める、テレビの追悼報道。2015年3月3日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「マスメディア批判」~高倉健の場合だけではない。日本人の精神を貶める、テレビの追悼報道。

これはテレビ一般的な傾向として見られる傾向であり、わたしは常に不快に感じ、「テレビの連中は(すべてではないにせよ)救いようがないなあ」と辟易する傾向の一つです。どうしてこう「恥」というものを知らないのか?
あるいは「敬意」という言葉をとうの昔にゴミ収集日に出してしまっているのか?
高倉健の時も同様だったけれど、これは高倉健に限らず、どんな俳優が亡くなった場合も同じようなことになる。
例えばある俳優が亡くなったとします。
どう報道するか?
その報道のやり方をちょっと見ただけで、放送局の価値観、そしてレベル、あるいは「品性」というものがよく分かる。
例えばある一人の、日本の芸術文化にとって重要な功績を遺した俳優が亡くなったとします。
テレビで追悼の報道をするのであれば、最低限次の2つの要素は必要です。
1俳優の生涯および出演作品を振り返る
2俳優の代表作を中心に、そのクオリティ、評価、日本文化に及ぼした影響などを振り返る。
日本のテレビ報道では普通どちらの要素もありませんね。
特に酷い、芸術文化に対する重大な侮辱行為だとさえ言えるのが、「本当の代表作」を無視して、自前のテレビ局で出演したテレビドラマやトーク番組の映像を放送する態度です。
日本映画全盛期に大スターだった人たちも映画界が傾いた後、多くがテレビドラマなどへ出演しています。
しかし追悼番組では当然、それら俳優たちが全盛期に出演した映画群の映像を流し、言及すべきでしょう。
それをやるテレビ局は、特に民放地上派ではほとんど(あるいは「ほぼすべて」)ない。
これは「テレビが日本人の精神性を落とし続けている」一例です。


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末尾ルコ傑作詩「アマンディーヌ・アルビッソン、大川村、御伽草」篇。『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その20。末尾ルコ「格闘技論」~MMA(総合格闘技)観戦ならではのエクサィテイングな要素とは? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「アマンディーヌ・アルビッソン、大川村、御伽草」篇。

ある日
アマンディーヌ・アルビッソンは
御伽草の
ひと塊が
空から落ちていくるのを
受け止めた
それは大川村から
高知市へ至る道の
どこかだったという
噂はある

それは本当?アマンディーヌ。
わたしは、そんな話、
聞いたことがない。

●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その20。

「黙らんかね!」
 と怒鳴った山の中椅子子だが、いつも通り教室がすぐに静かになることはない。そもそもクラスに騒擾状態をもたらす最右翼である田川猿蔵が容易には黙らない。
「けんどセンセー!そんなちんまい女、連れて来て!そんなことするセンセーの方が悪いわえ!わあっはっはっはあ!」
 ここで少々「現在土佐弁講座」をしてみよう。「ちんまい」の意味は「小さい」であり、ほぼ同義の言葉として「こんまい」も使われる。
丘メヒー子を「ちんまい」と囃し立てる田川猿蔵自身、男子生徒としては学年でも一、二を争うほど「ちんまい」のであるが、本人もそれを十分分かっているだけに、「ちんまい」に関してはより敏感になっているわけだ。
 山の中椅子子に慣れきっているパパイヤ組が騒がしくなれば容易には収束しない。さらにその日は「丘メヒー子が来た」という特別な日であり、「いつもの騒擾」よりもかなり激しい事態となっている。
(笛の音が聞こえる・・・) 

●末尾ルコ「格闘技論」~MMA(総合格闘技)観戦ならではのエクサィテイングな要素とは?

♪マリア・カラスのCDを久々に聴いたけれど、あまり入ってこなかったなあ。

MMA(総合格闘技)の世界ではロンダ・ラウジーという実力・スター性とも飛び抜けたファイターの出現によって新たな時代へ踏み込んでいます。
でもなかなか格闘技って、「好きな人はめちゃめちゃ好き・嫌いな人はまるで受け付けない」という世界ですから、闇雲に「ロンダがお薦めだから、ぜひUFCを!」とは言えないんですね。
なにせ試合中、普通じゃテレビ放映できないようなシーンに出くわすことも稀ではない。
花が折れたり、腕や足首、向う脛などが「曲がってはいけない方向」に曲がってしまったり。
長年格闘技を見つけてきたわたしも、(ううう・・・)となってしまうような場面がいきなり現れるんですから。
でも「人間の強さと弱さ」を同時に目撃することが可能なスポーツが「MMA」であり、あるいはテニスなんです。
つまり「1対1」の戦いですね。
コーチなども含めて「チームで戦っている」のも事実でしょうが、試合に入れは「逃げ場のない」1対1の勝負。
選手のメンタル状態が手に取るように分かる凄さがある。
特にMMAは、UFC182.5のアレキサンダー・グスタフソンのように、(あれだけ強かったファイターがこんなに惨めな負け方を・・・)という残酷さも含め、「人間個人」の身体と精神を見つめる時間となり得るのです。

♪マリア・カラスのCDを久々に聴いたけれど、あまり入ってこなかったなあ。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。


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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「音楽とアンナ・ニクーリナ」篇。2015年3月3日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ傑作詩「音楽とアンナ・ニクーリナ」篇。

音楽は音楽を呼ぶのです
音楽が無ければ、音楽を呼ぶのは至難の業だ
音楽が音楽を呼ぶ

アンナ・ニクーリナは音楽?

音楽は音楽を呼ぶのです
音楽が無ければ、音楽を呼ぶのは至難の業だ
音楽が音楽を呼ぶ

アンナ・ニクーリナは音楽?

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