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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その22。2015年3月7日 [『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』]

●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その22。

「笛吹童子」の笛の音に、ひとときの間彼岸へと誘われた山の中椅子子であるが、此岸へ戻ればパパイヤ組は渦巻のような騒擾で荒れていた。
「もうセンセー、そりゃいかんちや!」
「無理無理、絶対ムリい~~」
「うるさいゆうたち、いかんちや~!なんでえ、そのでっかい帽子はあ!そりゃあ、ネタやかあ~!」
   「わあはははは、わあはははああ~~」
「センセー、その帽子の下、何ちゃあないがやないが?」
  「もういやちや、いやちや!あんまり笑わかしなや~~!」
 「何、あれ?」
「そりゃあ、先生、悪やか~~!」

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●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!



高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2015年3月7日 [愛の景色]

君さえいれば、
天使だろうが
悪魔だろうが
余裕を持って
見渡せるのさ

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ、AJスタイルズVSオカダカズチカと猪木VS大木金太郎を比較しつつ、「昭和の濃さ」を考える。2015年3月7日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ、AJスタイルズVSオカダカズチカと猪木VS大木金太郎を比較しつつ、「昭和の濃さ」を考える。

人間について、「濃い」も「薄い」もどちらもあっていいでしょう。
それを誰がどう決めるかはまた別の問題で。
しかし社会全体で見れば、バランスというものが必要だと思う。
などと書いているのは、もちろんそうしたことはいつも考えているのだけれど、久ぶりにテレビでプロレスを観たんです。
新日本プロレスの2014年5月25日、横浜アリーナ、AJスタイルズVSオカダカズチカ。
わたしはかつて熱心なプロレスファンであり、プロレス通と呼ばれても不思議はない(笑)人間だったのだけど、UFCが勃興し始めたあたりからプロレスを観なくなっていました。
まあリングスをプロレスの範疇に入れるのであれば、第1期リングス消滅まではプロレスを観ていたことになります。
大昔の話、高知は全日本プロレスしか中継していなくて、当時はハーリー・レイスとか大好きだったんですが、その後はアントニオ猪木の格闘技路線に夢中。
もともと「一番強い人間」への志向からプロレスを観ていたものだから、UFCやプライドがさく裂し始めるとそちらへ大きく興味が移るのは自然な流れでした。
プロレスもわたしの好みは強烈なキャラクター同士の強烈な対決だったんですが、おそらく「長州力維新軍団」がブームとも言える大人気を博し始めてからプロレスの中身が変わってしまいましたよね。
つまりどんな試合でも「互いに一通り持ち技を出す」というパターンが普通になっていった。
で、AJスタイルズVSオカダカズチカは十年なんてもんじゃないぶりにわたしが観たプロレスだけど、基本的にはわたしが観ていた末期とほとんど同じパターンで、ある意味驚きました。
やはり人間が繰り出す技は、あの時点以上のものはなかなか開発できないものなのだなあと。
AJスタイルズVSオカダカズチカをわたしが楽しめたかというと、正直なところそうでもなかった。
そこででもないんですが、「昭和のプロレス名勝負」の一つ、アントニオ猪木VS大木金太郎を観直してみました。
「ああ、これは濃いわ!」とあらためて感じましたね。
技らしい技はほとんどなく、「濃さ」だけで試合が成立している。
もちろんそれだけではなく、時代背景も大きい。
まだかなりの人たちが「プロレスは真剣勝負、じゃないかなあ~」と思っていた時代でもある。
いや、プロレスの話だけではなく、「昭和の濃さ」「平成の薄さ」という観点はかなり重要なのだと思います。
で、もちろんわたしは、「新たな濃さを獲得するべきだ」という考えです。

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末尾ルコ傑作詩「雨、デイジー、マチアス・エイマンのアントルシャ」篇。『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その22。末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~「アメリカン・スナイパー」を、あなたはどう観るか? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「雨、デイジー、マチアス・エイマンのアントルシャ」篇。

昨日水をやったデイジーに
今日は雨をうたせた
その次の日に
雨が降ったから
それは天気予報通りの雨で
無数の雨粒を浴びながら
デイジーは力を取り戻す
ふと見ると、
雨のカーテンの向こうに
苦しみのアントルシャの
マチエス・エイマンの姿が

高知市のとある場所で

●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その22。

「笛吹童子」の笛の音に、ひとときの間彼岸へと誘われた山の中椅子子であるが、此岸へ戻ればパパイヤ組は渦巻のような騒擾で荒れていた。
「もうセンセー、そりゃいかんちや!」
「無理無理、絶対ムリい~~」
「うるさいゆうたち、いかんちや~!なんでえ、そのでっかい帽子はあ!そりゃあ、ネタやかあ~!」
   「わあはははは、わあはははああ~~」
「センセー、その帽子の下、何ちゃあないがやないが?」
  「もういやちや、いやちや!あんまり笑わかしなや~~!」
 「何、あれ?」
「そりゃあ、先生、悪やか~~!」

●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~「アメリカン・スナイパー」を、あなたはどう観るか?

エルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」を夜半に聴く心地よさ。

TOHOシネマズ高知で、クリント・イーストウッド監督「アメリカン・スナイパー」を公開初日レイトショーで鑑賞しました。
2月21日ですね。
ハードなテーマの作品にしては、そしてTOHOシネマズ高知にしては、お客さんがよく入っていた。
しかし問題は、近年の日本の映画興行、特に洋画は公開一週間くらいでサーッとお客さんが来なくなってしまう点です。
「クオリティの高い映画を観たい」という欲求を持つ人口が少な過ぎるんですね。
なにせ「テラスハウス」の映画版が初登場1位になるようなお粗末さですから。
で、「アメリカン・スナイパー」ですが、素晴らしいかった。
が、嫌う人もいるでしょう。
「大勢の人間を殺害したスナイパーを英雄扱いしている!」とか「米国の国威発揚映画だ!」とか。
わたしはそういう視点では観ませんでしたけどね。
ただ完成度という点では、やはり「許されざる者」の域までは行かない。
数あるイーストウッド傑作群の中でも、「許されざる者」は正しく神話の域に達しています。
実に素晴らしい「アメリカン・スナイパー」を観て、それでもあらためて「許されざる者」の凄まじい完成度を再認識した。
「アメリカン・スナイパー」をについては今後も適宜書いていきますね。

エルヴィス・プレスリーの「Love Me Tender」を夜半に聴く心地よさ。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「人間性の濃い・薄い」に関する小さな文章。2015年3月7日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「人間性の濃い・薄い」に関する小さな文章。

人間性に濃淡ってあるでしょうか?
「人間力」という概念には「力」という文字が付いているから、「強弱」があると位置付けられているはずですね。
人間について「濃い」とか「薄い」とか揶揄的に使うこともあるけれど、昭和と平静を比べれば多くの人が昭和を「濃い」と言う。
それはいいことなのか、悪いことなのか?


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