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生涯磨き続けること! [末尾ルコ〈「言葉」による革命〉新たなる教育機関]

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。 [ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な ▲「新たなる教育機関」です。 毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に鍛錬します。



有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。

注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブルグ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。



●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。 〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。 まず、 1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。 2どんなに忙しくても参加できる。 3老若男女、どなたでも参加できる。 4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ 『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その94。プチ土佐弁講座付。2015年7月29日 [『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』]

●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その94。プチ土佐弁講座付。

「メロメロとヘンなぼっちゃん 土佐町でコーク」篇。

ここは土佐町。
高知県の土佐町。
時は2015年6月。
梅雨の晴れ間のお昼時である。

「やっぱりコークは青春のシンボルさ!」
 などとのたまいながら瓶入りコカ・コーラを左手で持ち、可愛くも誇らしげなヘンなぼっちゃんがいる。
 そこへ近づいてきたのがどことなくマイメロに似ているメロメロだ。
「へえ~、ヘンなぼっちゃん、何飲んでるのお?」
「あ、メロメロ!夏はやっぱりコークさ!」
 と素朴で可愛いヘンなぼっちゃん。
「ふ~~ん、この前は〈夏はレスカさ!〉なんて言ってたような。ま、いっかあ!」
「いやあ、メロメロ!痛快な日だねえ、今日は!」
 と明朗にしてカワユイヘンなぼっちゃん。
「ふ~~ん、ところでヘンなぼっちゃん。美味しいコカ・コーラの飲み方教えてあげるわ」
 ここでさすがに素朴なヘンなぼっちゃんにも嫌な予感が走った!


※この小説は(もちろん)フィクションです。

※とっても可愛いのに何をやっても上手くいかないヘンなぼっちゃんを応援しよう!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!

高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
 ↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。

高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。

※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2015年7月29日 [愛の景色]

前髪を揃えても、
前髪を横に流しても、
すべてが君の素敵なオーラを
より綺麗にしているのだよ!


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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「マチアス・エイマン、ドロテ・ジルベール、高知市薊野」篇。2015年7月29日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ傑作詩「マチアス・エイマン、ドロテ・ジルベール、高知市薊野」篇。

マチアス・エイマンのアントルシャ、
狂えるドロテ・ジルベール。
あの日この二人を観た人は
きっとそれから人生が変わっているはずだ
小首を傾げる
ウィリたち
漂うゴーティエの時代の
パリが。

なにせ今
高知県高知市薊野にいてさえも

マチアス・エイマンのアントルシャ、
狂えるドロテ・ジルベール。
あの日この二人を観た人は
きっとそれから人生が変わっているはずだ
小首を傾げる
ウィリたち
漂うゴーティエの時代の
パリが。

なにせ今
高知県高知市薊野にいてさえも

ああ、
高知県高知市薊野にいてさえも

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末尾ルコ詩D 猫、ランボー、「イリュミナスィオン、軍艦島は端島 篇。『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その94。プチ土佐弁講座付。ルコ「美的スポーツ観戦論」~2015年ウィンブルドン、ムグルッサは涙を流した。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D 猫、ランボー、「イリュミナスィオン、軍艦島は端島 篇

猫、ランボー、「イリュミナスィオン、軍艦島は端島

軍艦島は端島
軍艦島は端島
軍艦島は端島
端島のかつての
海底炭鉱

ところで「イリュミナスィオン」の中の
「岬」で日本について
詠んだアルチュール・ランボーが
軍艦島のことを
知っていれば?。

軍艦島は端島
軍艦島は端島
軍艦島は端島
端島のかつての
海底炭鉱

・・・・・・

一緒に歴史を愉しみたいね、
ぼくの素敵なネコ!


●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その94。プチ土佐弁講座付。

「メロメロとヘンなぼっちゃん 土佐町でコーク」篇。

ここは土佐町。
高知県の土佐町。
時は2015年6月。
梅雨の晴れ間のお昼時である。

「やっぱりコークは青春のシンボルさ!」
 などとのたまいながら瓶入りコカ・コーラを左手で持ち、可愛くも誇らしげなヘンなぼっちゃんがいる。
 そこへ近づいてきたのがどことなくマイメロに似ているメロメロだ。
「へえ~、ヘンなぼっちゃん、何飲んでるのお?」
「あ、メロメロ!夏はやっぱりコークさ!」
 と素朴で可愛いヘンなぼっちゃん。
「ふ~~ん、この前は〈夏はレスカさ!〉なんて言ってたような。ま、いっかあ!」
「いやあ、メロメロ!痛快な日だねえ、今日は!」
 と明朗にしてカワユイヘンなぼっちゃん。
「ふ~~ん、ところでヘンなぼっちゃん。美味しいコカ・コーラの飲み方教えてあげるわ」
 ここでさすがに素朴なヘンなぼっちゃんにも嫌な予感が走った!


※この小説は(もちろん)フィクションです。

※とっても可愛いのに何をやっても上手くいかないヘンなぼっちゃんを応援しよう!

●末尾ルコ「美的スポーツ観戦論」~2015年ウィンブルドン、ムグルッサは涙を流した。

2015年ウィンブルドン。
スペインのガルビネ・ムグルッサは決勝まで進み、結局セリーナ・ウィリアムズに敗れた。
33歳にして強さを増したセリーナ・ウィリアムズは現在のテニス界のレベルを考えれば、「史上最強」で間違いないだろう。
力も技も勝る史上最強プレイヤーに果敢に挑むムグルッサ。
バランスの取れた長身の身体は、体格のいい選手がズラリと揃った現在の女子テニス界の中でも惚れ惚れするような古典的美しさを発散している。
しかし要所で驚異的なショットを連発するセリーナの牙城には届かない。
試合後、ムグルッサは涙を流す。
滅多にお目にかかることのできない、本当に爽やかな涙。

とは言え、2015年ウィンブルドン女子で最も印象に残ったのはやはり準決勝のガルビネ・ムグルッサVSアグニエツカ・ラドヴァンスカ。
NHKの録画放送では残念ながら第2セットにラドヴァンスカが技でムグルッサを翻弄する時間はカットされていた。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「芸術文化に対する実践」~「美術手帖」美術出版社の民事再生法の件のようにならないための方法とは?2015年7月29日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「芸術文化に対する実践」~「美術手帖」美術出版社の民事再生法の件のようにならないための方法とは?

♪マーカス・ミラーのベースを聴くことなく生涯を過ごすわけにはいくまい!

「美術手帖」の美術出版社が民事再生法の適応を申請した事実は紙媒体出版の困難さという点以上に、編集方針、そして書き手の方々に「育てる」という意思・意欲がどれだけあるのか、あったのか。
これは「美術手帖」についてだけ言えるのでは、もちろんありません。
映画批評、音楽批評などにも同様のことが言える。
美術ファンを、映画ファンを、音楽ファンを育てる意思・意欲がどれだけあるのか、あったのか。
現に育ってませんよね、これらのファンが。
「美術手帖」などのあまりにスノッブ臭が濃過ぎる文章は論外としても、とてもおもしろく書かれている批評文も今の一般日本人には難しくなっている事実をしっかり把握したうえで、「では今後どのようにファンを育てていくべきか」をしっかり考え、実践していかなければ、早晩「本物の文化芸術」は日本から姿を消してしまいます。

末尾ルコ〈「言葉」による革命〉が考えているポイントを一つ挙げれば、

「批評は批評として存続せねばならないが、それ以外の方法を強化すべきである」

です。

♪マーカス・ミラーのベースを聴くことなく生涯を過ごすわけにはいくまい!

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