「言葉」による革命・「美」による革命
「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ 「固有名詞で脳を鍛える」の初歩篇~固有名詞の選択。2016年2月2日 [「言葉」による革命]
※2016年2月19日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「固有名詞で脳を鍛える」の初歩篇。
「固有名詞により脳を鍛える」
わたしは脳科学者でも医師でもありませんから、これを「科学」と言うつもりはないし、「100%効果がある」と強弁するつもりはありません。
しかしたとえ「専門家」でなくとも、しっかりした理性と経験、観察などに基づけば、「事実」としての効果を見出せることは往々にしてあると考えております。
「固有名詞で脳を鍛える」
少なくとも「やって損はない」、どころか「効果的にやれば得ばかり」です。
今回は「固有名詞で脳を鍛える」の初歩篇。
・まずどんな固有名詞を選ぶか?
です。
(続きは有料メルマガでお願いします)
・・・・・・
末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。
末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な
▲「新たなる教育機関」です。
毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。
▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。
有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。
注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブルグ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
●〈「言葉」による革命〉・・・「固有名詞で脳を鍛える」の初歩篇。
「固有名詞により脳を鍛える」
わたしは脳科学者でも医師でもありませんから、これを「科学」と言うつもりはないし、「100%効果がある」と強弁するつもりはありません。
しかしたとえ「専門家」でなくとも、しっかりした理性と経験、観察などに基づけば、「事実」としての効果を見出せることは往々にしてあると考えております。
「固有名詞で脳を鍛える」
少なくとも「やって損はない」、どころか「効果的にやれば得ばかり」です。
今回は「固有名詞で脳を鍛える」の初歩篇。
・まずどんな固有名詞を選ぶか?
です。
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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブルグ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ詩D「猫、騒擾」篇。2016年2月2日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、騒擾」篇。
「猫、騒擾」
騒擾
字も音も魅惑的なこの言葉
騒擾
ランボーの「イリュミナスィオン」の
「聖霊」という詩に
書かれていた
と言っても
役によって違う日本語が使われるのは
当然だけど
騒擾
ぼくの素敵なネコは
ぼくがいかなる騒擾からも
守るのさ。
「猫、騒擾」
騒擾
字も音も魅惑的なこの言葉
騒擾
ランボーの「イリュミナスィオン」の
「聖霊」という詩に
書かれていた
と言っても
役によって違う日本語が使われるのは
当然だけど
騒擾
ぼくの素敵なネコは
ぼくがいかなる騒擾からも
守るのさ。
末尾ルコ詩D「猫、世界」篇。末尾ルコ「映画と文学であなたの人生をより強く美しくする」講座~久々に「世にも怪奇な物語」を鑑賞し、フェリーニの魔術に幻惑され、「ポー詩集」をぜひという話につながる! [吉高由里子]
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★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
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その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ詩D「猫、世界」篇。
「猫、世界」
ケルンの出来事を
ケルンで大晦日に起きた出来事を
わたしたちはどう捉えるべきか
この「若者の集団」とは
一体誰なのか
わたしたちは世界から
目を離してはならない
・・・・・・
ぼくの素敵なネコのために
より安定と充実の世界を
実現したいんだ!
●末尾ルコ「映画と文学であなたの人生をより強く美しくする」講座~久々に「世にも怪奇な物語」を鑑賞し、フェリーニの魔術に幻惑され、「ポー詩集」をぜひという話につながる!
・「世にも怪奇な物語」を実に久しぶりに観たんですが、エドガー・アラン・ポウの原作を3人の映画監督が映像化したオムニバスで、その監督というのがロジェ・バディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ。
豪華な監督陣ですが、今となっては(ロジェ・バディムって何だったんだ?)感は大きいけれど、映画監督としてよりも、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダらとの結婚や交際の方がインパクトがあると、歴史はそう語っています。
「世にも怪奇な物語」、ご覧になったことありますか?
第1話がロジェ・バディム監督「黒馬の哭く館」でジェーン・フォンダとピーター・フォンダ出演。
第2話がルイ・マル監督「影を殺した男」でアラン・ドロン、ブリジット・バルドー出演。
第3話がフェデリコ・フェリーニ監督「悪魔の首飾り」でテレンス・スタンプ出演。
淀川長治・蓮實重彦・山田宏一鼎談、歴史的書籍「映画千一夜」でも「世にも怪奇な物語」について語られていますが、皆フェリーニの「悪魔の首飾り」が飛び抜けて怖いと語っていて、わたしも同感です。
怖くてしかもキッチュで濃厚で・・・フェリーニならではの世界に若き日の手レンス・スタンプが見事なまでの退廃ムードを漂わせている。
必見です。
逆の意味で「ケッサク」なのがロジェ・バディムの「黒馬の哭く館」。
常に露出度が高い上ヘンな衣装のジェーン・フォンダが海岸を馬へ乗り走りまくる。
そのジェーン・フォンダと「恋と死の駆け引き」をするのが弟のピーター・フォンダなんだから、これまた「ケッサク」。
ジェーン・フォンダは最近また女優業をバリバリやっていますが、政治活動やワークアウト活動も含め、これほど不思議なキャリアを持った大女優も珍しい。
ルイ・マル監督の「影を殺した男」はポオの傑作の一つ「ウィリアム・ウィルソン」が原作ですが、若き日のアラン・ドロンの美しさときたら!
それだけでも観る価値十分!
ルイ・マル後年の傑作「さよなら子供たち」を彷彿させるシーンもあって興味深いのです。
原作エドガー・アラン・ポウですが、短編も詩も言うまでもなく素晴らしく、わたしの人生にとってなくてはならない作品たちです。
詩はですね、なにせ
新潮文庫「ポー詩集」を「必携図書」として挙げておきます。
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末尾ルコ「今、注目すべきニュース」~ヌーベル・バーグの英雄ジャック・リヴェット死去。 [末尾ルコ「今、注目すべきニュース」~]
末尾ルコ「今、注目すべきニュース」~ヌーベル・バーグの英雄ジャック・リヴェット死去。
2016年1月29日、フランスの映画監督ジャック・リヴェットが87歳で死去しました。
いまだ世界の映画界に大きな影響を与え続けるヌーベル・バーグを代表する監督の一人。
主な作品には次のようなものがあります。
「パリはわれらのもの」
「修道女」
「狂気の愛」
「セリーヌとジュリーは舟でゆく」
「メリー・ゴー・ラウンド」
「北の橋」
「地に堕ちた愛」
「嵐が丘」
「彼女たちの舞台」
「美しき諍い女」
「ジャンヌ・ダルク 愛と自由の天使」
「ジャンヌ・ダルク 薔薇の十字架」
「パリでかくれんぼ」
「恋ごころ」
「Mの物語」
「ランジェ公爵夫人」
「ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー」
やはりですね、
「美しき諍い女」と
「ジャンヌ・ダルク」、
好きですね。
何度も観ています。
ジャック・リヴェットは小津安二郎がフランスで初めて上映された際、誰も理解できなかった中、「一人拍手を贈っていた」逸話でも知られています。
古くなりません、リヴェットの作品。
ぜひ一本ずつご鑑賞を。
2016年1月29日、フランスの映画監督ジャック・リヴェットが87歳で死去しました。
いまだ世界の映画界に大きな影響を与え続けるヌーベル・バーグを代表する監督の一人。
主な作品には次のようなものがあります。
「パリはわれらのもの」
「修道女」
「狂気の愛」
「セリーヌとジュリーは舟でゆく」
「メリー・ゴー・ラウンド」
「北の橋」
「地に堕ちた愛」
「嵐が丘」
「彼女たちの舞台」
「美しき諍い女」
「ジャンヌ・ダルク 愛と自由の天使」
「ジャンヌ・ダルク 薔薇の十字架」
「パリでかくれんぼ」
「恋ごころ」
「Mの物語」
「ランジェ公爵夫人」
「ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー」
やはりですね、
「美しき諍い女」と
「ジャンヌ・ダルク」、
好きですね。
何度も観ています。
ジャック・リヴェットは小津安二郎がフランスで初めて上映された際、誰も理解できなかった中、「一人拍手を贈っていた」逸話でも知られています。
古くなりません、リヴェットの作品。
ぜひ一本ずつご鑑賞を。
〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「映画俳優演技論」~テレビ版「デスノート」の「L」も松山ケンイチが演じるべきか?2016年2月2日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「映画俳優演技論」~テレビ版「デスノート」の「L」も松山ケンイチが演じるべきか?
2015年7月はテレビ版「デスノート」が放送されまして、わたしは観ないのでその内容については触れませんが、やはり映画版と比較する声が目に付きます。
特に「L」。
映画版で「L」を演じた松山ケンイチと比較して「テレビ版はダメだ」という声が目に付くのだけれど、映画版「デスノート」の松山ケンイチは飛び抜けた当たり役であって、それをテレビ版と比較しても意味のないことです。
それよりも中には「松山ケンイチがテレビでもLをやればいいんだ」と考える人もいるようですが、これは原則的にとんでもない話。
ある俳優が映画で演じた当たり役を、同じ内容のテレビドラマを作るからといって「ぜひテレビでも」と依頼したりするのは侮辱だと取られても仕方ない。
例えばジョディ・フォスターに「羊たちの沈黙」の「クラリス」役を「テレビシリーズでもお願いします~」なんていうのはあり得ない。
余程ジョディ・フォスターがお金や仕事に困っていれば別ですが、まあそんなこともないでしょう。
確かに中には標準的な映画よりよくできたテレビドラマもありますが、これも原則として「テレビドラマは表現として映画に遠く及ばない」という認識をできるだけ多くの人が持っていなければならない。
だから「デスノート」のテレビ版ができるという場合、最初から「映画のようなおもしろさ」を期待するのは間違いなのです。
もっとも映画版「デスノート」が傑作だったと言ってるわけではないですが。
2015年7月はテレビ版「デスノート」が放送されまして、わたしは観ないのでその内容については触れませんが、やはり映画版と比較する声が目に付きます。
特に「L」。
映画版で「L」を演じた松山ケンイチと比較して「テレビ版はダメだ」という声が目に付くのだけれど、映画版「デスノート」の松山ケンイチは飛び抜けた当たり役であって、それをテレビ版と比較しても意味のないことです。
それよりも中には「松山ケンイチがテレビでもLをやればいいんだ」と考える人もいるようですが、これは原則的にとんでもない話。
ある俳優が映画で演じた当たり役を、同じ内容のテレビドラマを作るからといって「ぜひテレビでも」と依頼したりするのは侮辱だと取られても仕方ない。
例えばジョディ・フォスターに「羊たちの沈黙」の「クラリス」役を「テレビシリーズでもお願いします~」なんていうのはあり得ない。
余程ジョディ・フォスターがお金や仕事に困っていれば別ですが、まあそんなこともないでしょう。
確かに中には標準的な映画よりよくできたテレビドラマもありますが、これも原則として「テレビドラマは表現として映画に遠く及ばない」という認識をできるだけ多くの人が持っていなければならない。
だから「デスノート」のテレビ版ができるという場合、最初から「映画のようなおもしろさ」を期待するのは間違いなのです。
もっとも映画版「デスノート」が傑作だったと言ってるわけではないですが。