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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ 高知県は「幸福」か?~高知の未来は日本の未来である。2016年2月28日 [「言葉」による革命]

●例えば高知県の土佐経済同友会は「独自の幸福度指標」を作ろうとしています。
かつて法政大学が発表した都道府県別幸福度調査で、「46位」の憂き目に遭ったことに対抗しようとしたのかどうか。

おもしろい試みではあると思いますが、「牽強付会」になりはしないか?
わたしはこの試みを尊重はするけれど、「現状の高知ではいけない」と思ってますので、その点も含めてこの重要なテーマ、取り組んでいきます。


・・・・・・

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な

▲「新たなる教育機関」です。

毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。

注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブルグ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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〈「言葉」による革命〉・・・● 末尾ルコ詩D「猫、弾ける」篇。2016年12月28日 [「言葉」による革命]

● 末尾ルコ詩D「猫、弾ける」篇。


 「猫、弾ける」

 かっぱえびせんのフォンデュ味とやらを
 齧っているとスイスが弾け飛んだ
 パチパチと
 パチパチと
 ベンチッチと
 べリンダと
 スイッツランドが

・ ・・・・・

 いつも素敵に始めている、
 ぼくの素敵なネコ!!

 (毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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〈「言葉」による革命〉・・・「真のファッションセンス」を身に付ける方法。2016年2月28日 [「言葉」による革命]

※2015年8月11日配信 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「真のファッションセンス」を身に付ける方法。

わたしが中学・高校の頃からいたんですが、真っ先に
メンズファッション誌に載っている通りの服を買い、コーディネートをして(どうだ、おれは最先端のファッションセンスだろう)という手合いですね。
残念なことに、多くの人がそうした手合いを「ファッションセンスがいい」と信じている。
ま、わたし、中学・高校の頃はメンズ詩などに一切興味がなく、バリバリの映画・ロック・文学およびプロレス少年でしたから。
ロックとファッションは分かち難く結び付いているけれど、中高生は金がないのでレコード、映画、本などに金をかけると、そうそう「ファッション誌推奨服」なんぞ買えないんですよ。
しかしその後わたし独自のファッション感覚を磨いてくる過程で、「メンズファッション誌に載っている通りの服を買い、コーディネートをして(どうだ、おれは最先端のファッションセンスだろう)という手合い「違う」とはっきり分かったので、「真のファッションセンスとは何か」というテーマも掘り下げていきます。

(続きは有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2015年2月28日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

君の「キュッ」と詰まった表情を見るたびに、
ぼくの心は君への愛しさが
「キュッ、キュッ、キュッ」と噴出するのさ!

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末尾ルコ詩D「猫、働き」篇末尾ルコ「映画俳優演技論」~「俳優 亀岡拓次」の安田顕、「ブレーク」という言葉の良し悪しはさて置いて、その「生き方」、そして橋本愛の「リトル・フォレスト」。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、働き」篇。

「猫、働き」

朝早くから働くあなたたちよ
その姿を見て、
大いに刺激を受けている
わたしがいることを知ってほしい
そしてより強く思う
わたしはあなたたちより
遥かに働こう
あなたたちのために!

・・・・・・

もちろん
ぼくの素敵なネコのために
ぼくは最高の働きを
見せるのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「映画俳優演技論」~「俳優 亀岡拓次」の安田顕、「ブレーク」という言葉の良し悪しはさて置いて、その「生き方」、そして橋本愛の「リトル・フォレスト」。

安田顕という人は「どんな映画のどんな役でも引き受ける」というスタンスだったらしいですね。
一人の俳優の生き方として素晴らしい。
だからこそ、映画「変態仮面」や「女子ーズ」などのいいシーンが生まれたのです。
もちろんこれは、「誰もがどんな役でも引き受ければよい」と言っているわけではありません。
安田顕の場合は、少なくとも2015年くらいまでは「さほど作品を選べる立場ではなかった」というのもあるでしょう。
「十分選べる立場」でありながら、お粗末な作品に出ている俳優には、わたしはとても批判的です。
例えば堀北真希なんかはそうです。
「いつまで幼稚なテレビドラマへ出演し続けるのか」・・・。
ま、堀北真希が今後改善しそうな気はしませんが。

安田顕の場合、「選べないから断らない」というだけでなく、「映画の世界で頑張りたい。映画の世界で認められたい」という意志が感じられて、好感が持てます。

ただ今後は、「俳優 亀岡拓次」で映画初主演も果たし、そろそろ「選べる俳優」になってきたこともあり、それだけに安田顕が「どう選んでいくか」にも注目したいのです。

・橋本愛主演の「リトル・フォレスト」という映画があるんですが、料理や園芸の薀蓄連発で(何なんだ、これは)とまず感じます。
ところが観ている内に、(あ~、もっと工夫して料理作ってみよう)(明日は庭の土をいじってみよう)・・・といった気分になる。
映画として素晴らしいかどうかは何とも言い難いけれど、観賞して自分の中に何らかの「いいもの」は生じる。
そんな映画であり、そして

「橋本愛」

という存在の希少性もあらためて感じられた作品です。

▲末尾ルコB あるテーゼ

・ベッキーは極めて空虚である
・SMAPはかなり空虚である
・安田顕はほとんど空虚ではない

・橋本愛はまったく空虚でない

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画の格闘&ヴァイオレンス」論~「イコライザー」から「トータル・リコール」のシャロン・ストーン蹴りまで!2016年2月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画の格闘&ヴァイオレンス」論~「イコライザー」から「トータル・リコール」のシャロン・ストーン蹴りまで!

デンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」で「ヒットガール」クロエ・グレース・モレッツがハードボイルドに登場する寄る辺ない女の役に挑戦しているので注目して鑑賞したら、けっこう出番少なかったですわ。
でも「イコライザー」はとても愉しめた。
批評家はだいたい厳しい評価をしているけれど、「イコライザー」のように理屈抜きで主人公が徹底的に悪を斃す映画って大切です。
しかもかなりのヴァイオレンス描写。
とは言え「リアルなヴァイオレンス」ではありません。
「見せる(魅せる)ヴァイオレンス」。
「エンターテイメントとしてのヴァイオレンス」というところです。
ただこの部分も鑑賞者の感覚によってかなり受け取り方が違う。
わたしの友人の中にもヴァイオンスシーンに対してとても神経質な人もいて、「ストーリー上どうしても必要であれば許容できるけれど、そうでないければ受け付けない」という方もいます。
でも「許容できる・できない」の作品を個々に聞いてもその違いが第3者には今一つピンと来ないのですね。
例えばその方は「タクシードライバー」はOKで、シャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞を獲得した「モンスター」はまったくダメなのです。
わたしからすればどちらも映画上必要なヴァイオレンスだと思うのですが。

わたしは自信が格闘家ではないのですが(笑)、長年格闘技を観てきたものとして、映画の中での格闘にもとても興味があります。
ただ映画で「リアルな格闘」ばかりというわけにはいかない。
そこは「ファンタジーとしての格闘」にどれだけ「説得力」が加えられるかで、監督と俳優の力の見せどころなんです。
その点「イコライザー」はもちろん合格で、お粗末な格闘シーンとして今でも印象深いのがポール・バーホーベン監督「トータル・リコール」のシャロン・ストーン。
あれは映画が素晴らしかっただけに、(何、この人の蹴りは??)と腰が抜けそうになったのです。

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