「言葉」による革命・「美」による革命
「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●プロレスに関するフラグメント~「闘う」、何と?2016年5月18日 [「言葉」による革命]
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●プロレスに関するフラグメント~「闘う」、何と?
「今のプロレスは語らねばならぬ価値がある」だから語ろう。彼らは闘っている。しかも大いに理不尽な闘いを、自らの意志で連日続けている。
彼らは「過去のプロレス」と闘う、今のファンの贅沢過ぎる要求と闘う、少しでも気を抜けば客を失い、場合によっては人生を失う状況と闘う、しかも自分で選んで。
・・・・・・
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▲「新たなる教育機関」です。
毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。
▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。
有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。
注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブルグ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画と文学で、あなたの人生をより強く美しくする」講座~映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」とボリス・ヴィアン「日々の泡」でフランス文学。2016年5月18日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「映画と文学で、あなたの人生をより強く美しくする」講座~映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」とボリス・ヴィアン「日々の泡」でフランス文学。
ボリス・ヴィアンはフランス文学好きなら当然知らない人はいないでしょうが、フランス文学好きという人たちはたいがいフランス文学の大方を知っているもので、逆に言えば現在ボリス・ヴィアンを知っていればその人はまず間違いなくフランス文学好きだと想像していいでしょう。
特にフランス文学好きでなくてもフランス文学を齧る人が日本にはけっこういたのですが、もうそんな時代は遠く過ぎ去りました。
アルベール・カミュの「異邦人」くらいまでですかねえ、フランス文学好きでなくても多くの日本人が読んだフランス文学は。
ジャン・フィリップ・トゥーサンの「カメラ」や「浴室」が一般書店でも多く見られた時期もあったけれど、長くは続かなかった。
トゥーサンもけっこう前ですよね。
アメリ・ノトンの小説なんか実に面白いけれど、日本では知られてないでしょう。
なんて話をしているのは、ミシェル・ゴンドリー監督の映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」が案外おもしろかったから。
「案外」というのは、ゴンドリーの作品ってあまりわたしの好みではなかったし、ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を(どう映像化するんだ?)と、少しでもあの小説を知ってる人なら首を捻るでしょう。
まあ「その通り」映像化できるわけもない。
シュールな表現満載の小説ですから。
映画についてはフランス国内でもかなり賛否分かれた批評が出ていました。
ただ一本の映画としてはなかなかおもしろかった。
ボリス・ヴィアンの原作は「うたかたの日々」「日々の泡」、二つのタイトルで邦訳が文庫本になっています。
ボリス・ヴィアンはフランス文学好きなら当然知らない人はいないでしょうが、フランス文学好きという人たちはたいがいフランス文学の大方を知っているもので、逆に言えば現在ボリス・ヴィアンを知っていればその人はまず間違いなくフランス文学好きだと想像していいでしょう。
特にフランス文学好きでなくてもフランス文学を齧る人が日本にはけっこういたのですが、もうそんな時代は遠く過ぎ去りました。
アルベール・カミュの「異邦人」くらいまでですかねえ、フランス文学好きでなくても多くの日本人が読んだフランス文学は。
ジャン・フィリップ・トゥーサンの「カメラ」や「浴室」が一般書店でも多く見られた時期もあったけれど、長くは続かなかった。
トゥーサンもけっこう前ですよね。
アメリ・ノトンの小説なんか実に面白いけれど、日本では知られてないでしょう。
なんて話をしているのは、ミシェル・ゴンドリー監督の映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」が案外おもしろかったから。
「案外」というのは、ゴンドリーの作品ってあまりわたしの好みではなかったし、ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を(どう映像化するんだ?)と、少しでもあの小説を知ってる人なら首を捻るでしょう。
まあ「その通り」映像化できるわけもない。
シュールな表現満載の小説ですから。
映画についてはフランス国内でもかなり賛否分かれた批評が出ていました。
ただ一本の映画としてはなかなかおもしろかった。
ボリス・ヴィアンの原作は「うたかたの日々」「日々の泡」、二つのタイトルで邦訳が文庫本になっています。
末尾ルコ詩D「猫、第7芸術」篇。末尾ルコ「スポーツ美学論」~冷戦時代のモスクワ、ロス五輪、ルーマニアのアウレリア・ドブレとダニエラ・シリバシュ。 [吉高由里子]
★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉![[ハート]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/80.gif)
★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ詩D「猫、第7芸術」篇。
「猫、第7芸術」
第1芸術の後に
第2芸術があるわけではなく
第2芸術の前に
第1芸術があるわけではない
同様に
第3芸術の後塵を
第4芸術が拝しているわけではないし
第5芸術は
第6芸術を先導しているわけでもない
だからと言って、
第7芸術が
すべての芸術を
上回っているわけでは
ないのだ!
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは
すべての芸術を
統合しているのさ!
●末尾ルコ「スポーツ美学論」~冷戦時代のモスクワ、ロス五輪、ルーマニアのアウレリア・ドブレとダニエラ・シリバシュ。
ロス五輪と言えば、ソ連と大方の東欧共産圏がボイコットした大会です。そんな中でルーマニアが参加してきたんですね。
これも本当に、まだ耳に聞こえてくる。テレビを通じての音声だったけれど、ロスの大歓声。
ロス五輪にソ連主導で東欧共産圏ほとんどが不参加を決めたのは、その4年前のモスクワ五輪の際に米国主導で多くの西側諸国が不参加だった報復でした。
ソ連のアフガン侵攻に反発して米国はじめ多くの国々がモスクワ五輪をボイコットしてのでしたね。
今や懐かしき冷戦時代のお話です。
モスクワ五輪ボイコットに(米国の言いなり)日本も同調し、物議を醸したものです。
ロス五輪当時、ルーマニアは長きに渡るチャウシェスク政権でしたが、かねてからソ連に対しても独自路線を取っている国という評価があり、ロス五輪に参加したもので、「ルーマニアは違う!」「チャウシェスクは違う!」と称賛した人たちもいたけれど、実はルーマニアも極めて過酷な共産主義独裁国家、「チャウシェスク王朝国家」だったことは、「ルーマニア革命」前後に世界中が知るところとなりました。
ソウル五輪は1988年でしたね。
ルーマニア女子はアウレリア・ドブレ、ダニエラ・シリバシュという魅力的な2大エースを中心としたチームでした。
立ち塞がったのはソ連女子。
エレーナ・シュシュノワ、スヴェトラーナ・ボギンスカヤら個性的なアスリートを擁したソ連女子は団体で優勝。
さらに熾烈だったのが女子個人だったのですが、それはまた後日のお話にしましょう。
冷戦自体のことを最早「歴史授業」でしか知らない人も多くなっていると思いますが、共産圏に住んでなかったから言える言葉だけれど、「ある種のロマンティシズム」が世界を覆っていた時代でもありました。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
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●末尾ルコ詩D「猫、第7芸術」篇。
「猫、第7芸術」
第1芸術の後に
第2芸術があるわけではなく
第2芸術の前に
第1芸術があるわけではない
同様に
第3芸術の後塵を
第4芸術が拝しているわけではないし
第5芸術は
第6芸術を先導しているわけでもない
だからと言って、
第7芸術が
すべての芸術を
上回っているわけでは
ないのだ!
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは
すべての芸術を
統合しているのさ!
●末尾ルコ「スポーツ美学論」~冷戦時代のモスクワ、ロス五輪、ルーマニアのアウレリア・ドブレとダニエラ・シリバシュ。
ロス五輪と言えば、ソ連と大方の東欧共産圏がボイコットした大会です。そんな中でルーマニアが参加してきたんですね。
これも本当に、まだ耳に聞こえてくる。テレビを通じての音声だったけれど、ロスの大歓声。
ロス五輪にソ連主導で東欧共産圏ほとんどが不参加を決めたのは、その4年前のモスクワ五輪の際に米国主導で多くの西側諸国が不参加だった報復でした。
ソ連のアフガン侵攻に反発して米国はじめ多くの国々がモスクワ五輪をボイコットしてのでしたね。
今や懐かしき冷戦時代のお話です。
モスクワ五輪ボイコットに(米国の言いなり)日本も同調し、物議を醸したものです。
ロス五輪当時、ルーマニアは長きに渡るチャウシェスク政権でしたが、かねてからソ連に対しても独自路線を取っている国という評価があり、ロス五輪に参加したもので、「ルーマニアは違う!」「チャウシェスクは違う!」と称賛した人たちもいたけれど、実はルーマニアも極めて過酷な共産主義独裁国家、「チャウシェスク王朝国家」だったことは、「ルーマニア革命」前後に世界中が知るところとなりました。
ソウル五輪は1988年でしたね。
ルーマニア女子はアウレリア・ドブレ、ダニエラ・シリバシュという魅力的な2大エースを中心としたチームでした。
立ち塞がったのはソ連女子。
エレーナ・シュシュノワ、スヴェトラーナ・ボギンスカヤら個性的なアスリートを擁したソ連女子は団体で優勝。
さらに熾烈だったのが女子個人だったのですが、それはまた後日のお話にしましょう。
冷戦自体のことを最早「歴史授業」でしか知らない人も多くなっていると思いますが、共産圏に住んでなかったから言える言葉だけれど、「ある種のロマンティシズム」が世界を覆っていた時代でもありました。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●〈「言葉」による革命〉・・・東京オリンピック誘致賄賂問題だけでなく、「電通」は日本人に何をもたらしてきたのか? [「言葉」による革命]
2020年東京オリンピック誘致に際しての賄賂問題の中で「電通」の名が挙がっているのにテレビなど既成のマスメディアではほとんど伝えられてない点にネット界隈では批判が高まっています。
ネット社会の功罪は単純に語れるものではないけれど、こんな時には(ネットがあってよかった)と感じる。
しかしここは「東京オリンピック誘致賄賂問題」だけでなく、
「電通」そのものが今までに行ってきた無数の「悪行」
についてまで本格的に振り返るべきだと思うのです。
ネット社会の功罪は単純に語れるものではないけれど、こんな時には(ネットがあってよかった)と感じる。
しかしここは「東京オリンピック誘致賄賂問題」だけでなく、
「電通」そのものが今までに行ってきた無数の「悪行」
についてまで本格的に振り返るべきだと思うのです。
〈「言葉」による革命〉・・・●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その127。プチ土佐弁講座付。2016年5月18日 [「言葉」による革命]
●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その127。プチ土佐弁講座付。
『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その127。プチ土佐弁講座付。
「証拠はある」と言い出したヘンなぼっちゃんにはちきんは動揺する。
(人気者の証拠ち・・・。いったい何やろう。そう言えば、あていは何か人気者の証拠を持っちょったかにゃあ・・・)
もちろん持ってないのである。
ふと考えた。
(あていが「人気者の証拠を見せろ!」と言われたら、どうしたらえいろう。お~の、そういうこともあるかもしれんちや。考えちょかないかんにゃあ・・・)
さらに思い付いた。
(・・・うふむ。ここでヘンなぼっちゃんに「その証拠、見せてみいや」と言うて、動かぬ証拠を見せられたらどうしょう・・・。けんど話の流れから言うて、そう言わんわけにはいかんし・・・)
どうです、このはちきんの浅い部分での思考は?
※この小説は(もちろん)フィクションです。
※とっても可愛いのに何をやっても上手くいかないヘンなぼっちゃんを応援しよう!
『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その127。プチ土佐弁講座付。
「証拠はある」と言い出したヘンなぼっちゃんにはちきんは動揺する。
(人気者の証拠ち・・・。いったい何やろう。そう言えば、あていは何か人気者の証拠を持っちょったかにゃあ・・・)
もちろん持ってないのである。
ふと考えた。
(あていが「人気者の証拠を見せろ!」と言われたら、どうしたらえいろう。お~の、そういうこともあるかもしれんちや。考えちょかないかんにゃあ・・・)
さらに思い付いた。
(・・・うふむ。ここでヘンなぼっちゃんに「その証拠、見せてみいや」と言うて、動かぬ証拠を見せられたらどうしょう・・・。けんど話の流れから言うて、そう言わんわけにはいかんし・・・)
どうです、このはちきんの浅い部分での思考は?
※この小説は(もちろん)フィクションです。
※とっても可愛いのに何をやっても上手くいかないヘンなぼっちゃんを応援しよう!