〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、皇帝」篇。2016年9月29日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、皇帝」篇。
「猫、皇帝」
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
ああ、皇帝の凱旋だ!
鳴らせ、ファンファーレ!
聳え建て、凱旋門!
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
ああ、皇帝の凱旋だ!
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは、
ぼくの皇帝でもある!
「猫、皇帝」
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
ああ、皇帝の凱旋だ!
鳴らせ、ファンファーレ!
聳え建て、凱旋門!
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
皇帝の凱旋だ!
ああ、皇帝の凱旋だ!
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは、
ぼくの皇帝でもある!
末尾ルコ詩D「猫、山脈」篇。末尾ルコ 『ウルトラセブン』の「狙われた街」、その闇と美。 [「言葉」による革命]
★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉
★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ詩D「猫、山脈」篇。
「猫、山脈」
高知市薊野にある
塔
カルパチア山脈の辺りを歩いていた
ウルトラ烏賊的女が
青ざめたヴァンパイアと遭った
いや、それはアパラチア山脈だったかも
と
烏賊的は色を変え
ぷうと墨を吐き出した
高知市薊野にある
塔
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは
どんなヘアスタイルも
似合ってる!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
●末尾ルコ 『ウルトラセブン』の「狙われた街」、その闇と美。
末尾ルコ「映像作品で知性と感性を鍛えるレッスン」
2016年は映画『シンゴジラ』が話題となったが、言うまでもなく日本は特撮怪獣ものが独自の進化を遂げた国でもある。
しかし「進化」というけれど、実はそれは『ウルトラセブン』で絶頂を迎え、その後は「退化」を続けているのみではないかという気さえする。
例えば名作の誉れ高い「狙われた街」。
メトロン星人が煙草の中に赤い結晶体を仕込む。
そのタバコを吸った人間は発狂し、殺し合うことになる。
「赤い結晶体」という発想、そしてこの言葉自体の禍々しさが素晴らしい。
皮肉の効いたストーリーや台詞もなかなかのものだが、圧倒的なのが映像だ。
最初から終わりまでほとんど隙なく、インパクトある映像が連打される。
クライマックスで巨大化したメトロン星人とウルトラセブンが対決するシーンの美しさは圧巻で、黄昏色に染まる街で戦う両者の背景で終末感さえ漂っている。
中には逆光でシルエットになった人間が会話するシーンもある。
このようなシーン、今であれば視聴者から、「人の顔が見えないじゃないか!」とクレームが付きそうである。
これはよく言われることだが、日本の映像作品から闇がどんどん無くなっている。
テレビドラマはもはや論外で、映画でさえも「闇が美しい」と感じる作品は数少ない。
「闇」の豊かさを再創造しなければ。
「想像力」を再創造しなければならない。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
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●末尾ルコ詩D「猫、山脈」篇。
「猫、山脈」
高知市薊野にある
塔
カルパチア山脈の辺りを歩いていた
ウルトラ烏賊的女が
青ざめたヴァンパイアと遭った
いや、それはアパラチア山脈だったかも
と
烏賊的は色を変え
ぷうと墨を吐き出した
高知市薊野にある
塔
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは
どんなヘアスタイルも
似合ってる!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
●末尾ルコ 『ウルトラセブン』の「狙われた街」、その闇と美。
末尾ルコ「映像作品で知性と感性を鍛えるレッスン」
2016年は映画『シンゴジラ』が話題となったが、言うまでもなく日本は特撮怪獣ものが独自の進化を遂げた国でもある。
しかし「進化」というけれど、実はそれは『ウルトラセブン』で絶頂を迎え、その後は「退化」を続けているのみではないかという気さえする。
例えば名作の誉れ高い「狙われた街」。
メトロン星人が煙草の中に赤い結晶体を仕込む。
そのタバコを吸った人間は発狂し、殺し合うことになる。
「赤い結晶体」という発想、そしてこの言葉自体の禍々しさが素晴らしい。
皮肉の効いたストーリーや台詞もなかなかのものだが、圧倒的なのが映像だ。
最初から終わりまでほとんど隙なく、インパクトある映像が連打される。
クライマックスで巨大化したメトロン星人とウルトラセブンが対決するシーンの美しさは圧巻で、黄昏色に染まる街で戦う両者の背景で終末感さえ漂っている。
中には逆光でシルエットになった人間が会話するシーンもある。
このようなシーン、今であれば視聴者から、「人の顔が見えないじゃないか!」とクレームが付きそうである。
これはよく言われることだが、日本の映像作品から闇がどんどん無くなっている。
テレビドラマはもはや論外で、映画でさえも「闇が美しい」と感じる作品は数少ない。
「闇」の豊かさを再創造しなければ。
「想像力」を再創造しなければならない。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●とても見苦しい「スレンダートーン」CMの杉村太蔵について。 [「言葉」による革命]
●とても見苦しい「スレンダートーン」CMの杉村太蔵について。
末尾ルコ「社会批評で知性と感性を鍛えるレッスン」
GAORAって、番組中にCMがあるんですね。
東レパンパシフィックオープンテニスを観たいがためにGAORAの視聴を開始したわたしであるが、そして大坂なおみが大活躍してテニス観戦には大満足したのだけれど、例えばキャロライン・ウォズニアッキVSアグニエツカ・ラドヴァンスカという美しいテニスプレイヤー同士の貴重な対戦を観ていたら、いきなり杉村太蔵のCMが目に飛び込む羽目になったのである。
しかも「スレンダートーン」なんぞという、「腹に巻いているだけでスリムになる」なんぞとのたまう「いかにも」な商品のCM。
そしてそのCMのヴィジュアルときたら、杉村太蔵がボテ薔薇、いやぼて腹を披露して、「この腹のためにズボンが入らなくなったあ~」→「スレンダートーンを使ったら短期間で腹が引き締まってズボンも履けるようになったあ!」的な、あまりに見苦しいシロモノ。
キャロライン・ウォズニアッキVSアグニエツカ・ラドヴァンスカの美しくも体力の限界を超えた激戦の後に、(これはないぜ、オーマイガッ!)と舌打ちをしたおれなのさ・・・。
末尾ルコ「社会批評で知性と感性を鍛えるレッスン」
GAORAって、番組中にCMがあるんですね。
東レパンパシフィックオープンテニスを観たいがためにGAORAの視聴を開始したわたしであるが、そして大坂なおみが大活躍してテニス観戦には大満足したのだけれど、例えばキャロライン・ウォズニアッキVSアグニエツカ・ラドヴァンスカという美しいテニスプレイヤー同士の貴重な対戦を観ていたら、いきなり杉村太蔵のCMが目に飛び込む羽目になったのである。
しかも「スレンダートーン」なんぞという、「腹に巻いているだけでスリムになる」なんぞとのたまう「いかにも」な商品のCM。
そしてそのCMのヴィジュアルときたら、杉村太蔵がボテ薔薇、いやぼて腹を披露して、「この腹のためにズボンが入らなくなったあ~」→「スレンダートーンを使ったら短期間で腹が引き締まってズボンも履けるようになったあ!」的な、あまりに見苦しいシロモノ。
キャロライン・ウォズニアッキVSアグニエツカ・ラドヴァンスカの美しくも体力の限界を超えた激戦の後に、(これはないぜ、オーマイガッ!)と舌打ちをしたおれなのさ・・・。
〈「言葉」による革命〉・・・「日本人論」、あなたは「日本人らしい」ですか?2016年9月29日 [「言葉」による革命]
「日本人論」、あなたは「日本人らしい」ですか?2015年12月24日
※2016年1月8日配信 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「日本人論」、あなたは「日本人らしい」ですか?
「日本人とは何か?」
「日本人らしさとは?」
「日本人としての原点に戻れ」
まあ、いろいろな言われ方をするわけです。
日本人が「日本人論」を大好きなこともずっと前からですしね。
ただ、多くの日本人が自然に「日本的」と信じていることも実は日が浅かったりするものが多いという話もあり、「日本人らしさ」の問題ではない。
ただ、学者のように詳細をほじくり返しぐだぐだ煮返していても始まらない。
わたしたちは取り敢えず
「背筋を伸ばしつつ漠然と日本らしいこと」
を描き、
そこへ
「今まで必要だったこと・今後必要であること」を
付け加えていくべきなのです。
(続きは有料メルマガでお願いします)
※2016年1月8日配信 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「日本人論」、あなたは「日本人らしい」ですか?
「日本人とは何か?」
「日本人らしさとは?」
「日本人としての原点に戻れ」
まあ、いろいろな言われ方をするわけです。
日本人が「日本人論」を大好きなこともずっと前からですしね。
ただ、多くの日本人が自然に「日本的」と信じていることも実は日が浅かったりするものが多いという話もあり、「日本人らしさ」の問題ではない。
ただ、学者のように詳細をほじくり返しぐだぐだ煮返していても始まらない。
わたしたちは取り敢えず
「背筋を伸ばしつつ漠然と日本らしいこと」
を描き、
そこへ
「今まで必要だったこと・今後必要であること」を
付け加えていくべきなのです。
(続きは有料メルマガでお願いします)