「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●末尾ルコ「尾形上等兵でさえ楽しめる!どこまで充実するのか、『ゴールデンカムイ』9巻のプチ感想」。2016年11月22日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「尾形上等兵でさえ楽しめる!どこまで充実するのか、『ゴールデンカムイ』9巻のプチ感想」
末尾ルコ「漫画で知性と感性を鍛えるレッスン」
『ゴールデンカムイ』の登場人物の中で何人か(どうもイマイチだなあ)というのがあって、「孤高のスナイパー」尾形上等兵もその一人だった。
1巻ではその場限りのザコ的登場だったのに、再び現れるや、やたらとカッコつけるキャラクターになっている。
要するに、ツッコミどころがない。
愛敬のないキャラクターだと思っていた。
ところが第9巻では何とその尾形上等兵までしっかりネタになっている。
いや、素晴らしい。
そして第9巻、死んだ辺見和雄がまた出ているのもファンとしては嬉しい。
もちろん回想シーンだが。
となると、同じく死んでいるが、わたしの贔屓キャラクターの一人「江渡貝くうん」もいずれ再登場してくれるのか?
ぜひ!と期待するわたしである。
・・・・・・・・・
末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。
末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な
▲「新たなる教育機関」です。
毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。
▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。
有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。
注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
末尾ルコ「漫画で知性と感性を鍛えるレッスン」
『ゴールデンカムイ』の登場人物の中で何人か(どうもイマイチだなあ)というのがあって、「孤高のスナイパー」尾形上等兵もその一人だった。
1巻ではその場限りのザコ的登場だったのに、再び現れるや、やたらとカッコつけるキャラクターになっている。
要するに、ツッコミどころがない。
愛敬のないキャラクターだと思っていた。
ところが第9巻では何とその尾形上等兵までしっかりネタになっている。
いや、素晴らしい。
そして第9巻、死んだ辺見和雄がまた出ているのもファンとしては嬉しい。
もちろん回想シーンだが。
となると、同じく死んでいるが、わたしの贔屓キャラクターの一人「江渡貝くうん」もいずれ再登場してくれるのか?
ぜひ!と期待するわたしである。
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末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。
末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な
▲「新たなる教育機関」です。
毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。
▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。
有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。
注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ヴィクトール・セガレン」篇。2016年11月22日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、ヴィクトール・セガレン」篇。
「猫、ヴィクトール・セガレン」
ヴィクトール・セガレンの詩を
それは「当然のこと」を書いている詩であり、
なのに「普通の言葉」とはまったく違う
「言葉」である。
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは、
もちろん「他のなにものともまったく違う」
ぼくの素敵なネコなのです!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、ヴィクトール・セガレン」
ヴィクトール・セガレンの詩を
それは「当然のこと」を書いている詩であり、
なのに「普通の言葉」とはまったく違う
「言葉」である。
・・・・・・
ぼくの素敵なネコは、
もちろん「他のなにものともまったく違う」
ぼくの素敵なネコなのです!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
末尾ルコ詩D「猫、ゼノン」篇。末尾ルコ「『ハドソン川の奇跡』、トム・ハンスクのジョギング・シーンとその映画的演技」。 [吉高由里子]
★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉
★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ詩D「猫、ゼノン」篇。
「猫、ゼノン」
ゼノンと呼びかけた
ゼノンと呼びかけた
それはポール・ヴァレリーさんでしたかね
ひょっとしてヴァレリーさん
虚無へ何か供物を捧げまして?
え?西薊野公園に?
・・・・・・
ぼくの素敵なネコと一緒に
この世界の神秘と
美を!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
●末尾ルコ「『ハドソン川の奇跡』、トム・ハンスクのジョギング・シーンとその映画的演技」。
末尾ルコ「映画俳優演技論」
2016年は『君の名は。』が大ヒット。
映画館が賑わうのはいいことだけれど、もっと実写の、しかもクオリティの高い映画がヒットしないものか。
近年の実写日本映画で「ヒット狙い」の作品はたいがい予告編で「号泣シーン」が映される。
『64』や『怒り』といった、大人の俳優たちが出演している大人のための映画でされも、予告編には号泣シーン炸裂だ。
「涙活」なんて言葉までNHKでも平気で使っていて、日本人から「矜持」とか「誇り」とかが失われていくばかり。
こんなことじゃあ、いけませんよ。
いや、「矜持」とか「誇り」とかいっても、偏狭な排他主義とは何の関係もないですよ。
「愛国者」を自認する人たちは気に入らない国をディスってばかりいないで、現在日本の「弛緩した風潮」の改善を第一に目指すべきだと思うが、同か?
そんな意味でも、2016年、ほとんど「アニメしか」ヒットしない日本で『ハドソン川の奇跡』がある程度のヒットをしたのは映画界において数少ない朗報であった。
そして『ハドソン川の奇跡』の抑えた演出、トム・ハンクスの抑えた演技を鑑賞し、感涙した人たちが多かったこと。
これが「本当の感動の涙」であり、「格調」というものだ。
NYをジョギングするトム・ハンスク。
そこにどれだけ多様な「意味」が込められていたか。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
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●末尾ルコ詩D「猫、ゼノン」篇。
「猫、ゼノン」
ゼノンと呼びかけた
ゼノンと呼びかけた
それはポール・ヴァレリーさんでしたかね
ひょっとしてヴァレリーさん
虚無へ何か供物を捧げまして?
え?西薊野公園に?
・・・・・・
ぼくの素敵なネコと一緒に
この世界の神秘と
美を!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
●末尾ルコ「『ハドソン川の奇跡』、トム・ハンスクのジョギング・シーンとその映画的演技」。
末尾ルコ「映画俳優演技論」
2016年は『君の名は。』が大ヒット。
映画館が賑わうのはいいことだけれど、もっと実写の、しかもクオリティの高い映画がヒットしないものか。
近年の実写日本映画で「ヒット狙い」の作品はたいがい予告編で「号泣シーン」が映される。
『64』や『怒り』といった、大人の俳優たちが出演している大人のための映画でされも、予告編には号泣シーン炸裂だ。
「涙活」なんて言葉までNHKでも平気で使っていて、日本人から「矜持」とか「誇り」とかが失われていくばかり。
こんなことじゃあ、いけませんよ。
いや、「矜持」とか「誇り」とかいっても、偏狭な排他主義とは何の関係もないですよ。
「愛国者」を自認する人たちは気に入らない国をディスってばかりいないで、現在日本の「弛緩した風潮」の改善を第一に目指すべきだと思うが、同か?
そんな意味でも、2016年、ほとんど「アニメしか」ヒットしない日本で『ハドソン川の奇跡』がある程度のヒットをしたのは映画界において数少ない朗報であった。
そして『ハドソン川の奇跡』の抑えた演出、トム・ハンクスの抑えた演技を鑑賞し、感涙した人たちが多かったこと。
これが「本当の感動の涙」であり、「格調」というものだ。
NYをジョギングするトム・ハンスク。
そこにどれだけ多様な「意味」が込められていたか。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●世界男子テニス、女性ファン大注目の美形若手プレイヤー ドミニク・ティーム(ティエム)。 [「言葉」による革命]
●世界男子テニス、女性ファン大注目の美形若手プレイヤー ドミニク・ティーム(ティエム)。
末尾ルコ「テニス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」
わたしはもちろん(笑)女子テニスの方により強く興味があるのだが、わたしの母はもちろん(笑)男子テニスの方により強く興味を持っている。
母の一番の贔屓プレイヤーはアンディ・マレーで、あの端正な顔立ちとやや神経質な雰囲気がグッと来るようだ。
もちろん試合の迫力を楽しんでいることも間違いないが、プロである以上、「見た目で惹きつける」ことも重要である。
そんな母がひと目で(ハッ)としたらしいのが、オーストリアの若手ドミニク・ティーム(ティエム)だ。
2016年ATPツアー・ファイナルへも出場しているドミニク・ティームは既に「世界のトップ」の一人であり、そして確かに「美形」である。
そう、ルキノ・ヴィスコンテ監督の映画へ出演してもさほど違和感のなさそうな、やや危険な雰囲気さえ漂う美しい顔立ち。
さあ、あなたもドミニク・ティームの「美形」ぶりから「テニス観戦大ファン」の道へ!
末尾ルコ「テニス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」
わたしはもちろん(笑)女子テニスの方により強く興味があるのだが、わたしの母はもちろん(笑)男子テニスの方により強く興味を持っている。
母の一番の贔屓プレイヤーはアンディ・マレーで、あの端正な顔立ちとやや神経質な雰囲気がグッと来るようだ。
もちろん試合の迫力を楽しんでいることも間違いないが、プロである以上、「見た目で惹きつける」ことも重要である。
そんな母がひと目で(ハッ)としたらしいのが、オーストリアの若手ドミニク・ティーム(ティエム)だ。
2016年ATPツアー・ファイナルへも出場しているドミニク・ティームは既に「世界のトップ」の一人であり、そして確かに「美形」である。
そう、ルキノ・ヴィスコンテ監督の映画へ出演してもさほど違和感のなさそうな、やや危険な雰囲気さえ漂う美しい顔立ち。
さあ、あなたもドミニク・ティームの「美形」ぶりから「テニス観戦大ファン」の道へ!
〈「言葉」による革命〉・・・「犯罪的テレビ」~テロ報道はなぜ少ないのか?2016年11月22日 [「言葉」による革命]
※2016年2月16日配信 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「犯罪的テレビ」~テロ報道はなぜ少ないのか?
「日本人はNYやパリでテロが起こった時だけ大騒ぎして、他の国で起こっても何も言わないじゃないか。偽善だ!」という意見も目にします。
中には「偽善的」な人たちもいるでしょう。
しかし根本は、「どこでテロが起ころうが、もっと報道すべき」なのです。
「テロ情報」は国民の「安全に関する情報」でもあるわけですから。
なぜ「テロ情報」は、特にテレビ報道で少ないのか?
「視聴率が取れないから」です。
少々単純な言い方をしますと、
「公共の電波を使っているテレビ業界は、自分らの儲けのために国民の安全を犠牲にしている」わけです。
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●〈「言葉」による革命〉・・・「犯罪的テレビ」~テロ報道はなぜ少ないのか?
「日本人はNYやパリでテロが起こった時だけ大騒ぎして、他の国で起こっても何も言わないじゃないか。偽善だ!」という意見も目にします。
中には「偽善的」な人たちもいるでしょう。
しかし根本は、「どこでテロが起ころうが、もっと報道すべき」なのです。
「テロ情報」は国民の「安全に関する情報」でもあるわけですから。
なぜ「テロ情報」は、特にテレビ報道で少ないのか?
「視聴率が取れないから」です。
少々単純な言い方をしますと、
「公共の電波を使っているテレビ業界は、自分らの儲けのために国民の安全を犠牲にしている」わけです。
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