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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「電車で席を譲らない」心理と勇気の問題とは?2016年12月11日 [「言葉」による革命]

※2017年2月25日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「電車で席を譲らない」心理と勇気の問題とは?

「電車で(優先)席を高齢者などに譲らない」人が増えているという問題。
逆に考えてみれば、それだけ「人に親切にしてもらう」という経験が少なくなっているかもしれません。
誰かに親切にしてもらった経験というのは、特にそれが何か困っている時であれば、忘れ難いものであるし、(いつか自分もやってみたい)と思うものです。
もちろん若いうちは人に親切にすることも「気恥ずかしい」という心情を持つことが多いのも理解できます。
わたしも恐らく10代の頃は人に席を譲るとか、なかなかできなかったでしょう。
日本人にはそのような思考傾向の人が多い。
だからこの辺りは、

「優しさとは何か?勇気とは何か?」

という教育が必要になるわけです。

(続きは有料メルマガでお願いします)

・・・・・・・・・

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

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毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、時間」篇。2016年12月11日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、時間」篇。

「猫、時間」

クロード・クロッツを読み、
「恐るべき子供たち」を引きずり出して、
わたしはページをめくる
そうして時間を
創る

(ああ、クロード・クロッツは、
読みやすくて
深いなあ)

・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
どんどん時間を
創っていきたいね!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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●NHKスペシャル『ボブ・ディラン』にカッコつけるオダギリジョーに仰天。反面、『SONGS』薬師丸ひろ子の素晴らしさ。 [「言葉」による革命]

●NHKスペシャル『ボブ・ディラン』にカッコつけるオダギリジョーに仰天。反面、『SONGS』薬師丸ひろ子の素晴らしさ。

末尾ルコ「人生の美意識講座」

12月10日にNHKで2つの番組があって、一つはNHKスペシャル『ボブ・ディラン』。
日本の「にわかディランブーム」みたいなのはいやだけど、ちょっと観てみよかということでつけてみたら、

いきなりオダギリジョーがカッコつけて、ポーズつけて歌詞を呟く・・・。

仰天した。
恥かしくないのだろうか?
「ボブ・ディラン」というタイトルでいきなりオダギリジョーを見せるNHKの企画ももちろん、それへ「出る」オダギリジョーの感覚とはどうなっているのか?

反面、その後の番組『SONGS』の薬師丸ひろ子は素晴らしかった。

この話題にはまた触れることもあると思うが、『ボブ・ディラン』という番組でカッコつける(そうとしか見えない)自分を出すオダギリジョーの感覚は今後も到底信用できそうにない。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2016年12月11日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

自分が苦しい時ほど、
君の姿がよりくっきりと
魂に映される。


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末尾ルコ詩D「猫、好き」篇。末尾ルコ「吉永小百合『映画女優』の「おしっこしてやる」という「放尿」台詞を聞きながら、今後の吉永小百合について考えた」その1。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、好き」篇。

「猫、好き」

好きな花は?
好きな星は?
好きな季節は?
好きな温度は?
好きな
好きな
好きな
好きな!

・・・・・・

もちろん
宇宙で一番好きな
ぼくの素敵なネコ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「吉永小百合『映画女優』の「おしっこしてやる」という「放尿」台詞を聞きながら、今後の吉永小百合について考えた」その1。

末尾ルコ「映画俳優演技論」

市川崑監督の『映画女優』は田中絹代の半生を吉永小百合が演じたことで公開時は話題になっけれど、期待ほどのヒットはしなかった作品だ。
田中絹代主演の映画はある程度観ているが、この大女優の全貌を知るほど鑑賞するにはとてもとても至っておらず、そもそも観たくても不可能な作品もかなりあるはずだ。
とは言え、溝口健二監督の『山椒大夫』『西鶴一代女』の田中絹代を観ただけでも、その芯から湧き出るような迫力は伝わってくる。
その田中絹代を、もちろん日本映画史上のスーパー女優である吉永小百合が演じることに、格的には問題ないけれど、いかんせん世界でも稀に見る「生涯清純派」の吉永小百合が構えて演じているのがありありと見え、それだけに「吉永小百合にしか」見えない。
作品中、「おしっこ、してやる」と啖呵を切って、畳の上で「する」シーンが公開当時宣伝にも使われていたが、それも「話題作り」のためのシーンであるのが見え見えで、映画は観客が来なけれな成り立たないので「話題作り」は構わないのだけれど、そのシーンに魅力がなければ何にもならない。
もちろん吉永小百合が本当に映画の中で放尿するはずもなく、「放尿したよ」と思わせるだけで、「放尿の最中」の姿も満足に描かれていない。
と、何を書いているのか分からなくなってきたが、「放尿」という行為はエロティシズムを考える上でけっこう重要ポイントであったりするのだ。

あ、映画としては『映画女優』、なかなか観るべきところは多い作品である。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●「憧れ」ではないけれど(笑)、(ひょっとして)と思っていたキラー・トーア・カマタとジプシー・ジョーが現実化した日。 [「言葉」による革命]

●「憧れ」ではないけれど(笑)、(ひょっとして)と思っていたキラー・トーア・カマタとジプシー・ジョーが現実化した日。

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

高知で国際プロレスの試合を放送したことは一度もなく、国際プロレスは主にプロレス誌の、特に白黒ページで(笑)どんな試合をやっているかチェックできるのみだった。
おそらく新日ファンも全日ファンも国際プロレスに対しては「格下」という勝手な優越感を持っていたから(カール・ゴッチ、バーン・ガニア、ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアントらが来ていた時代は別である)、写真を観ながら「憧れる」ことはなかったが、(これは凄そうだ)と思っていた外国人レスラーはいて、例えば、ジプシー・ジョー、キラー・トーア・カマタ、あと風貌的にはアレックス・スミルノフとか。
よもやその後、ジプシー・ジョーやカマタが全日本のリングに上がるとは夢にも思っておらず、(ほお、こういうレスラーだったのか)と別の意味で楽しませてもらった話はまたの機会にしよう。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~まったく難解ではない、イングマル・ベルイマン「叫びとささやき」は、ホラー映画でさえある。2016年12月11日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~まったく難解ではない、イングマル・ベルイマン「叫びとささやき」は、ホラー映画でさえある。

かつて日本の多くの映画評論家は「極めて難解な」映画作家の筆頭にイングマル・ベルイマン監督を挙げていました。
スウェーデンの映画作家イングマル・ベルイマン。
確か映画評論家の荻昌弘だったと記憶していますが、「ヴィスコンティはベルイマンと比べるととても分かりやすい」と書いていた。
純粋な(ふふふ)少年だったわたしは、(なるほどベルイマンはそんなにも難解なのか)と納得したものです。
あるジャンルのファンにとって、「そのジャンルの熱心な理解者である自分」と「一般の人」の間には明確な差異を保っておきたいもので、しかもまだ幼かった(うふふ)わたしは、(とても子どもが観るようなものではないベルイマンなんて知ってるオレってかっちょいい!!)と感じていなかったと言えば嘘になるのです。
今のわたしはそうではありませんけどね。
ただ便宜上、例えば「映画ファンー一般の人」という区別はしています。
これは「マニアという狭い世界を作りたい」という気持ちとは真逆で、「より多くの一般の型にもコアな世界を知ってほしい」という気持ちからです。

まあそういうわけで、わたしも長い間、「イングマル・ベルイマン=超難解」のイメージは持っていた。
それが今ですね、2016年にはイマジカBSでもベルイマン監督の「叫びとささやき」や「仮面ペルソナ」を放送したりしていますが、「おもしろい!」んです、これが。
「難解さ」なんてまったく感じない。
もちろんその内容を深く追究すれば、キリスト教思想に基づいた細かなディテールを分析できるでしょう。
ではベルイマンの「叫びとささやき」はキリスト教思想や「神の不在」に関する深い造詣がなければ愉しめないかと問われれば、まったくそんなことはない。
ストーリーはシンプルで分かりやすいし、女優たちの演技は超一級。
それ以前に、演出、画創り・・・すべて映画的快感に満ちている。
さらに言えば、「叫びとささやき」は、ホラー映画としても愉しめる内容なんです。

最近映画批評で「難解」を有難がる風潮はあまり見られなくなりましたが、美術評論なんかはいまだそんなところがありますね。
よーく、考え直すべきだと思いますよ。

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