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「言葉」による革命・「美」による革命  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●『ラ・ラ・ランド』は?イザベル・ユペールは??第22回クリティックチョイス・アワードのノミネート!!2016年12月13日 [「言葉」による革命]

●『ラ・ラ・ランド』は?イザベル・ユペールは??第22回クリティックチョイス・アワードのノミネート!!

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

作品では、『ラ・ラ・ランド』、主演女優はイザベル・ユペールが席巻中の米映画賞レース。
このままアカデミー賞まで、『ラ・ラ・ランド』、そしてイザベル・ユペールが走ってほしいのだがどうなるか?
第22回クリティックチョイス・アワードのノミネートは次のようになっている。

作品賞
「メッセージ」
「フェンス(原題)」
「Hacksaw Ridge」
「最後の追跡」
「ラ・ラ・ランド」
「ライオン(原題)」
「Loving(原題)」
「マンチェスター・バイ・ザ・シー(原題)」
「ムーンライト(原題)」
「ハドソン川の奇跡」

監督賞
デイミアン・チャゼル「ラ・ラ・ランド」
メル・ギブソン「Hacksaw Ridge」
バリー・ジェンキンス「ムーンライト(原題)」
ケネス・ロナーガン「マンチェスター・バイ・ザ・シー(原題)」
デビッド・マッケンジー「最後の追跡」
ドゥニ・ビルヌーブ「メッセージ」
デンゼル・ワシントン「フェンス(原題)」

主演男優賞
ケイシー・アフレック「マンチェスター・バイ・ザ・シー(原題)」
ジョエル・エドガートン「Loving(原題)」
アンドリュー・ガーフィールド「Hacksaw Ridge」
ライアン・ゴズリング「ラ・ラ・ランド」
トム・ハンクス「ハドソン川の軌跡」
デンゼル・ワシントン「フェンス(原題)」

主演女優賞
エイミー・アダムス「メッセージ」
アネット・ベニング「トゥエンティース・センチュリー・ウーマン(原題)」
イザベル・ユペール「エル(原題)」
ルース・ネッガ「Loving(原題)」
ナタリー・ポートマン「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」
エマ・ストーン「ラ・ラ・ランド」

助演男優賞
マハーシャラルハズバズ・アリ「ムーンライト(原題)」
ジェフ・ブリッジス「最後の追跡」
ベン・フォスター「最後の追跡」
ルーカス・ヘッジズ「マンチェスター・バイ・ザ・シー(原題)」
デブ・パテル「ライオン(原題)」
マイケル・シャノン「Nocturnal Animals(原題)」

助演女優賞
ビオラ・デイビス「フェンス(原題)」
グレタ・ガーウィグ「トゥエンティース・センチュリー・ウーマン(原題)」
ナオミ・ハリス「ムーンライト(原題)」
ニコール・キッドマン「ライオン(原題)」
ジャネール・モネイ「Hidden Figures(原題)」
ミシェル・ウィリアムズ「マンチェスター・バイ・ザ・シー(原題)」

外国語映画賞
「エル(原題)」(フランス)
「お嬢さん」(韓国)
「ジュリエッタ」(スペイン)
「Neruda(原題)」(チリ)
「The Salesman(英題)」(イラン)
「Toni Erdmann」(ドイツ)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2016年12月13日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

君は白き花のよう
ぼくだけしか知らない
白き花のよう

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〈「言葉」による革命〉・・・日本人と「キス」の関係はどうあるべきか?2016年12月13日 [「言葉」による革命]

※2016年2月26日配信 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・日本人と「キス」の関係はどうあるべきか?

キス。

そう、キス。

キス!キス!キス!

ということで、「愛の行為」の中でも、最も麗しく官能的なものの一つが「キス」ですね。

しかしもともと日本人には「キスの伝統」はありませんでした。

ましてや「人前でキスする」なんぞ、あり得ない話でした。

ところがいつしか、一部の日本人ですが、人前でもキスしたり、論外なのは「自分たちのキスシーン」などを撮影してSNSで公開するような「おつむの弱い」人たちも出る始末です。

日本人は「キス」に対してどんなスタンスを取るべきか?

今回のメルマガは、この「愛の問題」について考えてみましょう。

(続きは有料メルマガでお願いします)

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末尾ルコ詩D「猫、感情」篇。末尾ルコ「女子テニス フェド・カップ、近年の優勝国は?」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、感情」篇。

「猫、感情」

エンリケ・グラナドスを聴きながら
ミリアム・シャト・シャルマンの
文脈を噛み締め乍ら
Mは自らの感情の
出どころを探っていた夜

・・・・・・

ぼくの感情の鍵は
いつも
ぼくの素敵なネコの
手の中に

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「女子テニス フェド・カップ、近年の優勝国は?」

末尾ルコ「テニス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

2016年フェド・カップ決勝はチェコVSフランスだったわけだけれど、
あ、「フェド・カップ」とは女子テニスの国別対抗戦であり、男子の場合は「出ヴィス・カップ」である。
かつては「フェデレーション・カップ」と呼ばれていたが、現在は「フェド・カップ」という呼称になっている。
まあ、覚えやすい、言いやすい、ですわな。
このフェド・カップ、2004年から2015年までの優勝国を見ると、ロシア、イタリア、チェコの3か国だけである。
特にここ数年はチェコが強いが、例えば2016年のメンバーを見ても、カロリナ・プリスコバ、ペトラ・クビトバ、バルボラ・ストリコバなど、テニス中継でしょっちゅう見かける選手たちがズラリで、「そりゃあ、強いわな」である。
例えば日本男子だと、言うまでもなく、錦織圭一人が雲上人の如き高いランキングを維持しており、他の日本男子はだいたい90位から100以下であって、錦織圭一人がいかに頑張ってもこれではなかなか勝ち抜けない。
チェコ以外にも女子テニス世界ランキング上位が一定数いる国はスペインやルーマニアなどあるにはあるが、チェコの際立った強さはどうやら「テニスにおける団体対抗の勝ち方」を知っているからだろう。
そう言えばチェコのテニスは、テニスでもマルチナ・ナブラチロワ、ハナ・マンドリコワ、イワン・レンドルら、スポーツ史に残るような大スターを輩出している。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●これが「日清カップヌードル シンガポールラクサ味」の感想と言えるのか? [「言葉」による革命]

●これが「日清カップヌードル シンガポールラクサ味」の感想と言えるのか?

末尾ルコ「食の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

ポテトチップスに関しては、わたしは「うす塩」系が一番美味しいと思っている。
もちろんそれはわたしの個人的味覚嗜好であって、他の人がどんな味を好もうが何の不満もない(笑)。
わたし自身は、ポテトチップスに「カルビ味」や「明太子味」やその他様々な味が出ても、敢えてそれらを手に取ることはほとんどない。
そしてこうしたことを仰々しく述べる「壊れた大人」になっていることに満足している事実もここでは関係ない。
わたしが今述べたいのは、

「カップラーメンなら、つい新味に手を出してしまう」

という事実なのである!

現にこの前も、「日清カップヌードル シンガポールラクサ味」を食したではないか。

うん。
なかなかクリーミイでした♪
ココナッツ、と。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「心の修行で、あなたの人生をより強く美しくする」講座~蛭子能収の「ひとりぼっちを笑うな」で留まってはならない!「集団行動の愚劣さ」も糾弾すべきだ!2016年12月13日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「心の修行で、あなたの人生をより強く美しくする」講座~蛭子能収の「ひとりぼっちを笑うな」で留まってはならない!「集団行動の愚劣さ」も糾弾すべきだ!

・少し前、末尾ルコ「今、注目すべきニュース」のカテゴリーで次のような記事をアップしました。

・・・・・・

蛭子能収の「ひとりぼっちを笑うな」(角川新書)がよく売れているのだといいます。

「ひとりぼっちを笑うな」

当然のことだという以前に、「ひとりぼっち」なんていう弱弱しい言葉が嫌いですね。

また、蛭子能収が否定的に言及する「友達偏重主義」も、わたしから見ればさらに激しく唾棄すべきものです。

「一人で過ごす時間の素晴らしさ」について、当ブログ、メルマガなどで今後も追究していきます。

・・・・・・

「ひとりぼっち」という言い方は古くからある日本語のフレーズであり、歌詞などのなかにも取り入れられており、これ自体に罪はない・・・と言いたいところですが、やはり少々罪がありますね。
「ひとりぼっち」というフレーズが持つニュアンス自体に、「可愛そうな」という意味が含まれている。
さらにこれを縮めて「ぼっち」にしたら、さらに「からかい」の意味が深まる。
もちろんこれらの意味だけではありませんよ。
言葉は使われる文脈によって同じものでも多様な変化をします。
でも概ねこのような意味で使われていますよね。

それでですね、わたしも「友人」の存在や「人と楽しく過ごす時間」を否定するわけではない。
わたしもそうした時間は大好きですし、そうでなければ「会話」は成り立たないですからね。
ただ、どんなに親しい人がいても、人間は「一人の時間」を持つべきだし、そうでなければ思考、そして人生は深まらないと確信している。
もう一つ言えば、というか、とても重要だと思うんですが、

・「過度な集団行動(主義)の醜さ・愚劣さ」

も今後どんどん証明していくべきです。

「一人の時間の大切さ」を証明するだけでは足りないですね。

・「過度な集団行動(主義)の醜さ・愚劣さ」の証明。

ここもどんどん突いていきます。

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