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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●松方弘樹だけではないが、「追悼」どころか時に「侮辱」となる「死去を伝える報道」。2017年1月28日 [「言葉」による革命]

※2017年4月15日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~松方弘樹だけではないが、「追悼」どころか時に「侮辱」となる「死去を伝える報道」。

2017年1月、俳優の松方弘樹が亡くなりました。
残念なことです。

松方弘樹の熱心なファンだったわけではないですが、「好きな俳優」の一人として認識していました。
クオリティの高い映画でクオリティの高い演技をする俳優というタイプではなかったけれど、

「観ているだけで楽しませてくれる」

そんな魅力を持った俳優の一人だったと思います。
映画の内容は(う~ん、どうかな)というものでも、松方弘樹のシーンは楽しいとか、わたしにとって松方弘樹のはそんな俳優でした。

ご冥福をお祈りいたします。

で、もうずっと前から、「誰か著名人」が亡くなった時の日本のマスメディアの報道が実にお粗末でいつも怒りが込み上げているのですが、これは今後も主張していかねばならないことだと思っているし、今回ある程度まとめてお話したいと思います。

(続きは有料メルマガでお願いします)

・・・・・・・・・

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年1月28日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

君のいる場所は
すべて
「君」になる
だからぼくは


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、雛菊」篇。2017年1月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、雛菊」篇。

「猫、雛菊」

クリスマスローズと
レンゲさんが
蓮華座の上で
語り合ったという
その時鯖が飛んで来て

そう言えば、
柳生烈堂と
上様は
蓮華座の上で
今も語り合っているだろうか?

拝一刀と
烈堂は
蓮華座の上で
雌雄を
決したのだろうか?

・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
雛菊の上で語り合うなんて
どうだい?


(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

末尾ルコ詩D「猫、豪気」篇。末尾ルコ「衣笠貞之助『歌行燈』は邦画史上屈指の恋愛映画である」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、豪気」篇。

「猫、豪気」

あぞうのが
薊野たる
あぞうのが
世界の中心になるなんて
なかなか豪気な構想じゃないか

・・・・・・

ぼくの豪気な部分は
真っ先に
ぼくの素敵なネコのため!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「衣笠貞之助『歌行燈』は方が至上屈指の恋愛映画である」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

たまに思い出すのだが、かつて日本で世間的にも「恋愛映画の象徴」的存在だった『ある愛の詩』がいつしかほとんど顧みられなくなっている。
わたしはもちろん(笑)『ある愛の詩』のファンではなかったが、取り敢えず世間的にはずっと「恋愛映画の象徴の一つ」として観賞され続けていくものかと思っていたが、まるでそうではなかった。
もちろんどんな映画でも、「突然の再評価」はあり得るのだけれど、少なくとも現在のところ、『ある愛の詩』を熱く語る人たちは多くない。
あまりに人口に膾炙し過ぎたフランシス・レイのテーマ曲も、今の時代にどこかで流れていたら、ちいとばかり滑稽にさえ聞こえそうだ。
「映画の名言」の一つとしてしょっちゅう取り上げられていた、
「愛とは決して後悔しないこと(Love means never having to say you're sorry)」という台詞も滅多に顧みられることがない。

そう言えば、「日本だけでヒットした」ことで知られる『小さな恋のメロディ』も昨今顧みられることはない。
わたしこの作品、子どもの頃に観たけれど、驚愕の甘ったるい展開に子どもながら身の置き所がなかった。

なんでこんな話をしているかと言えば、衣笠貞之助監督『歌行燈』が、恋愛映画としても実に実に見事であるからだ。
「恋愛のエッセンス」とでも言おうか、既に子どもではない(笑)わたしの心が物凄い力で揺さぶられるのだ。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

●林寛子の「カモン・ベイビー」と麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」は同時代なのか? [「言葉」による革命]

●林寛子の「カモン・ベイビー」と麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」は同時代なのか?

末尾ルコ「昭和文化史で知性と感性を鍛えるレッスン」

林寛子の「カモン・ベイビー」がアントニオ猪木VSモハメッド・アリと同じ年、つまり1976年の歌だったという事実にけっこう驚いたわたしだが、YouTubeで観た林寛子は現在のAKBなえんたら系のアイドルなどよりずっとクオリティが高く見えた・
もちろん「日本のいわゆるアイドル歌手」に対して「クオリティ」という概念を持ち出す意味があるかどうかとも思うけれど。
しかし「カモン・ベイビー」当時の林寛子は顔立ちも整い、声も大人の声をしている。
「単体」でもともと勝負できず、「大人数パッケージ」でどうにか売っている今のアイドルとはずいぶん違う。
そこで麻丘めぐみである。
幼い頃、(お、このお姉さん、いいじゃん!)と思ったアイドルの一人である。
その代表曲は、「わたしの彼は左きき」。
そしてわたしの記憶の中では、林寛子と麻丘めぐみはだいたい同時期に売れていた印象があるのだが、果たしてどうか?

ということで調べてみると、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」の発売は1973年となっている。
うーむ、3年間ほどの違いがあったのだね。

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「真の言葉のレッスン」+「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~「ヤバい」論と「凶悪」について。2017年1月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「真の言葉のレッスン」+「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~「ヤバい」論と「凶悪」について。

「ヤバい」。

考えてみればこの言葉も日常的に食べ物とか要するに何でもかんでも「ちょっとばかしいいと思ったこと」に使われるようになってから、ぜんぜん「ヤバく」なくなりました。

「ヤバい」も可哀想に。

わたしは基本的に近年使われている「ヤバい」の意味で「ヤバい」を使うことはありません。
従来通りの「危険な」という意味です。

「危険」と聞いて、あるいは読んで、どんな印象を受けますか?
人間できれば「危険回避」を志したい。
当然の心理です。
でも「危険ゼロの世界」、それはきっととても退屈な世界です。

ここで「生と死」の問題に言及し始めるとこの後延々と続くことになりますが、人間はどうしても「危険に惹かれる」、「危険から何かを得ようとする」・・・そんな傾向はあります。

(とは言え、現実生活においては当然ながら、「危険は最小限に抑える」が原則です)

その意味で、「ヤバい」という言葉が「美味しい」とか「カッコいい」とかの意味で軽薄に使われる現在は、以前からずっと続いている日本社会の「悪しき無味無臭化」をより強める一因になっていると、わたしはそう感じているわけです。

日本アカデミー賞壇上で「ヤバい」新井浩文がいてとてもおもしろかったんですが、本来「ヤバい」新井浩文もテレビドラマではぜんぜんヤバくない。
淀川長治が口癖のように言っていた、「怖いですねえ」というフレーズは、「ホラー映画が怖い」の意味ではなく、「ヤバい要素のある」つまり「危険な要素のある」映画のことを言ってたわけですね。

で、近年の日本映画で非常に「ヤバい」作品としてお薦めが、

「凶悪」。

これはめちゃめちゃヤバくって、止まらないほどおもしろい日本映画です。

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