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●福田こうへいの「声」はどんなレベルの「楽器」なのか?「りんご追分」を聴いて。 [「言葉」による革命]

●福田こうへいの「声」はどんなレベルの「楽器」なのか?「りんご追分」を聴いて。

4月2日放送の『新・BS日本のうた』で福田こうへいが「りんご追分」を歌った。
「声」はもちろん常に「楽器」足りえるが、福田こうへいの「歌声」は、
「極めてレベルの高い楽器を、極めてレベルの高い演奏者が奏でている」
と言うに相応しいものであるとつくづく感じた。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年4月10日 [愛の景色]

そして愛の尻を
ぶっ飛ばすんだ!
もちろん
物理的ではなしにね。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「人生美学論+映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~人生にも欠かせない、エロスとタナトス、孤独・・・。エリザベス・オルセン、お薦め映画二本。2017年4月10日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「人生美学論+映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~人生にも欠かせない、エロスとタナトス、孤独・・・。エリザベス・オルセン、お薦め映画二本。

エロスとタナトス
時間からの超越
孤独
宿命

あるいは・・・。
「ヴァンパイア映画」にあってほしい要素なのですが、これらの要素はわたしたちの人生の中でも大きな役割を果たせるものばかりですね。
ところが今の日本、こうした要素を表面上の生活から排除してしまう傾向が強い。
大きな問題です。
が、大きな問題なので短い文章のみで語り終わるわけでもなく、今後も適宜お話していきますが、頭に置いていてください。

エロスとタナトス
時間からの超越
孤独
宿命

・エリザベス・オルセン。
丸顔気味で、大きな目。
目も丸いのではないかというくらい印象に残る目。
だから感情をカメラは捉えやすい。

エリザベス・オルセンを、『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』や『キャプテン・アメリカ シビル・ウォー』で鑑賞するのもいいけれど、今までのところ、「エリザベス・オルセンの魅力を存分に!」というのであれば次の2作。

『マーサ、あるいはマーシー・メイ』

『サイレント・ハウス』


●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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末尾ルコ詩D「猫、『重力と恩寵』」篇。末尾ルコ『あの日 あの時 愛の記憶』という、命懸けの恋と人生を描いた美しい映画・・・それをフラグメントとして。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、『重力と恩寵』」篇。

「猫、『重力と恩寵』」

だからこそ、
シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を
常に手元に
置いておくべきなのだ

・・・・・・

ぼくの恩寵である
最高の恩寵である
ぼくの素敵なネコ。

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ『あの日 あの時 愛の記憶』という、命懸けの恋と人生を描いた美しい映画・・・それをフラグメントとして。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

『あの日 あの時 愛の記憶』の美。

淡い光。
ポーランド的、あるいは東ヨーロッパ的淡い光。
その光の中に在る恐怖。
だからこそ極限の美を感じることができる。
窓ガラス越しの女の顔。
ガラス越しの顔の、何と映画的なことか。
ハンナ・ジルベルシュタインを演じるのは アリス・ドワイヤー。
その顔。
美しい。
森の中の逃走。
欧州の深い森を男と女が、女と男が逃走する。
恐怖から逃げるために、愛を恐怖から守るために、二人手を取り合いながら、走る、逃げる。
実話であろうがなかろうが、これが映画である。
そして森の中の
森の中の愛のシーン。
愛の行為。
何と映画なのだろう。
何とヨーロッパなのだろう。
何と欧州なのだろう。

恐怖
緊張
スリル

愛と官能と
幸福

それが、『あの日 あの時 愛の記憶』という映画。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●芸術的展開でプロレス史に残る、1977年世界オープンタッグ選手権開幕戦のテリー・ファンク。 [「言葉」による革命]

●芸術的展開でプロレス史に残る、1977年世界オープンタッグ選手権開幕戦のテリー・ファンク。

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

1977年12月に全日本プロレスが敢行した世界オープンタッグ選手権は、1975年12月
に大いなる期待を持って行われたオープン選手権が終盤を迎えるに従い有耶無耶なぼやけぶりを見せてしまったのに対し、開幕戦から最終戦まで正に「芸術的」とさえ表現できる見事な展開を見せ、プロレス興行史に残るものとなった。
世界オープンタッグ選手権についてはいろいろな側面から語れるが、参加メンバーはオープン選手権と比べると決して豪華ではない。
ファンクスとブッチャー・シーク組頼みであることは最初から分かっていたが、誰もが予想していなかったのが、あくまで「ドリー・ファンク・ジュニアの弟」というポジションだったテリー・ファンクの人気爆発だった。
最終戦のファンクスVSブッチャー・シーク組の、まるで映画のシナリオのような展開、
そしてテリー・ファンクに対して使われた凶器が「フォーク」であり、しかもフォークによって刺された箇所が「腕」であったという衝撃。
おかしな話ではあるけれど、プロレスファンは「額からの流血」には慣れている人たちであり、だからこそ大一番で「フォークによって腕を刺す」という反則攻撃はあまりにも常軌を逸して見えたのだった。

しかし。
しかし、そんな凄い決勝戦に至る前、この世界オープンタッグ選手権は、開幕戦でその後の展開を予言するような衝撃的シーンを生み出していた。

ブッチャー・シークが馬場・鶴田に勝利を収めたメインイベント後の乱闘にテリー・ファンクが乱入する。
しかしブッチャー・シークにつかまり、狂気攻撃で顔面血だるまの凄惨な様相。
それだけではなく、首に紐を巻かれたまま、ロープの外側に、しかも横向きに「はり付け状態」にされた姿が全国に放送される。
そのテリー・ファンクの、微細な痙攣を伴う壮絶な「やられっぷり」を見た興奮は、わたしのプロレス観戦史の中で屈指のものだった。

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