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●2017年カンヌ国際映画祭コンペティション部門に河瀨直美監督、永瀬正敏主演『光』が! [「言葉」による革命]

●2017年カンヌ国際映画祭コンペティション部門に河瀨直美監督、永瀬正敏主演『光』が!

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

五月と言えば、カンヌ国際映画祭。
ですよね?
2017年カンヌ国際映画祭、つまり今年のカンヌでは、

河瀨直美監督の『光』が、

コンペティション部門に入っています。

そう、『光』が。

コンペティション部門は言うまでもなく、最高賞である「パルムドール」を争う部門であり、毎年熾烈な争いの中、この部門に入るだけでも大変な名誉であり、国際的にも注目されるわけです。

河瀨直美の作風は、実はあまり好きではなかったんですが、前作の同じく永瀬正敏主演で撮った『あん』がとてもよかったもので、『光』にも大いに期待しています。

特に『あん』では永瀬正敏がよかった。

日本映画界を支え続けてきた永瀬正敏、今、新たな全盛期に入っています。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年4月16日 [愛の景色]

「愛の眼差し」で見るとは?
では「愛の眼差し」で
「総てを見る」とは?

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「読書であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~『レンズが撮らえた19世紀ヨーロッパ』の中から見つめるジャンヌ・エビュテルヌ。2017年4月16日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「読書であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~『レンズが撮らえた19世紀ヨーロッパ』の中から見つめるジャンヌ・エビュテルヌ。

・スポーツ中継にアイドルが出てくる。
報道番組にアイドルが出てくる。
どうです?
こんな日本のままでいいんですか?

・山川出版社の『レンズが撮らえた19世紀ヨーロッパ』という本がありまして、その名の通り19世紀のヨーロッパに関する「写真」がいろいろ掲載されています。
見たことのある写真も多いけれど、纏まって見るとまた感じが違う。
そして同じ写真でも、大きさによって感じが変わってくるのがおもしろいなと、再認識させてくれる一冊です。
ピカソやサラ・ベルナールらの写真、あるいは各国の王室の写真などが載っているけれど、目を引いたのが、ジャンヌ・エビュテルヌを写した一枚です。

ジャンヌ・エピュテルヌ。
あの高名な画家アメデオ・モジリアーニの恋人だった女性。
モジリアーニは生前に思うような評価が得られず、失意と貧窮の中で亡くなってしまうのですが、ジャンヌ・エピュテルヌがすぐに後を追って、身重の身ながらアパルトマンの6階から投身自殺をしてしまった。
当時エピュテルヌはまだ22歳。
写真の中のエピュテルヌは意志の強そうな目をしてこちらを見つめています。
その写真はネットでも見ることができる、よく知られたものだけれど、本の中である程度の大きさで見ると、一瞬息を呑む。

「大きさ」というのはとても大切です。
その意味で、スマホばかり眺めていると、人間が本来得られるべき感覚が培われなくなるのではないか。
「スマホで映画」なんて、たまにならまだしも、それが「普通」なんていう状態はもっての外です。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、瞳」篇。2017年4月16日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、瞳」篇。

「猫、瞳」

高知市薊野にある


ジャンヌ・エビュテルヌ
その瞳
その髪
その唇
それは黒か
ブラウンか
ブルネットか
ジャンヌ・エピュテルヌ
それはアパルトマンの6階から
モジを追った日の
何日前か

高知市薊野にある


・・・・・・

ぼくの素敵なネコの
瞳に敵うものは
存在しない

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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末尾ルコ詩D「猫、午前と午後」篇。末尾ルコ「1940年代生まれで映画主演連発のカトリーヌ・ドヌーヴとメリル・ストリープから何を学ぶか?蹴散らせ、40歳の壁!!」。 [「言葉」による革命]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、午前と午後」篇。

「猫、午前と午後」

性懲りもなく
ジョルジュ・シムノン
いささかなりとも
アニー・エルノー
そんな午後と
そんな午前

・・・・・・

午前も午後もなく、
ぼくはぼくの素敵なネコひとすじ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「1940年代生まれで映画主演連発のカトリーヌ・ドヌーヴとメリル・ストリープから何を学ぶか?蹴散らせ、40歳の壁!!」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

1940年代生まれで映画主演連発のカトリーヌ・ドヌーヴとメリル・ストリープ。
「美魔女」などというXXな言葉とは真逆の見事な年の取り方をしている二人に憧れよう。
そしてもちろん惜しくも『ELLE』でのアカデミー主演主演女優賞は逃したけれどイザベル・ユペールも。
いやいや、特に映画女優は昔から「40歳を超えたら役が来なくなる」場合がほとんどだった。
元々「大人の女優」を尊重する傾向のあるフランス社会ではやや話は違うけれど、それでもそんなフランスでも、40歳を超えて主演作を連発する女優は一握りだ。
それはハリウッドや日本映画界ではさらに顕著な傾向となって表れる。
「40歳を超えたら、母親役しか来なくなった」というよくある話。
これは、「誰かの母親であるという属性のみが描かれる役」という意味であって、「母親であっても女でもある」という役は滅多にないという意味でもある。
その傾向は今、社会の幼児化にともなって、強まっている半面、その傾向に対する「反逆的」女優も多くなっている。

誰か?
それはじっくりお話していくが、わたしたちが応援すべきは、「そんな女優たち」である。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●シーモンキーのセックスを、わたしは見た、そんな幼い頃である。 [「言葉」による革命]

●シーモンキーのセックスを、わたしは見た、そんな幼い頃である。

末尾ルコ「詩的昭和断片エッセイで知性と感性を鍛えるレッスン」

シーモンキー。

なぜシーモンキーを買ったのか。
おそらく当時、子ども向けの雑誌広告などで普通に見かけたのだろう。
買ったのはその頃まだ高知にも2か所あったデパートの一つだった。
ちなみに現在高知にあるデパートは「高知大丸」のみであるが、しかも東京など都会の大丸を想像してはならない。
シーモンキーをわたしに買い与えてくれたのはもちろん父だろう。
わたしがねだったのかもしれないが、父はそのテのものが好きだったのだ。
わたしはシーモンキーの入った容器を手にしてワクワクしていたのだろうか。
きっとしていたのだろう。
けれど今、その感覚を思い出すのは難しい。
あれは細長い円柱型の容器だった。
水を張り、「粉」を入れると、確かに小さいものが水中でピコピコ動き始めた。
(これが「水中の猿」か・・・)

もちろん今なら検索してシーモンキーが「アルテミア」という姓物であることがすぐに分かるだろう。
しかし当時のわたしには、シーモンキーはシーモンキー以外の何者でもなく、ひょっとしたらパッケージに解説の一つでもしたためられていたのかもしれないけれど、読んだ覚えはない。

最初小さな粒がピコピコ動いている様子だったシーモンキーたちは見る見る大きくなり、わたしは(ふーん、猿と言えば、猿かなあ)くらいに考えていた。
しかしそのうちに、シーモンキーたちはセックスを始めたのだ。

シーモンキーのセックス。

もちろん交尾と呼んだ方が適当なのだろうが、わたしはここで敢えて「シーモンキーのセックス」と表現しよう。
それはやや大きめになった節足動物たちが二体ずつくっついたまま浮遊している姿に過ぎず、実は当時のわたしには何をしているのか分からなかった。

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