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●熟成した魅力のフォレスト・ウィテカーも出演のドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』公開は今月だ! [「言葉」による革命]

●熟成した魅力のフォレスト・ウィテカーも出演のドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』公開は今月だ!

末尾ルコ「映画の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

フォレスト・ウィテカーがかなり好きである。フォレスト・ウィテカーが少しでも出ていると、それだけで嬉しくなる。例えば『ローグ・ワン』のような映画の中でフォレスト・ウィテカーの見せ場があって、普通の感覚では少々クサいシーンなのだけれど、フォレスト・ウィテカーであれば熱血でさえも許される感覚だ。『大統領の執事の涙』はそんなフォレスト・ウィテカーの熟成した魅力を堪能できる一本になっている。
というわけで、とっても素敵な俳優フォレスト・ウィテカーについてもわたし、ちょいちょい語っていくわけですが、今、忘れてはならないのがこの5月に日本公開となる、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』だ。
現在世界で持っともエキサイティングな映画を創る監督の一人であるドゥニ・ヴィルヌーヴが地球外生命体とのコンタクトを描いたというだけでも既にワクワク度マックスだけど、そう、フォレスト・ウィテカーも出演しているではないか!
2017年の日本で、『メッセージ』を観ずして何を観る?


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年5月7日 [愛の景色]

「革命」の報せを
山際の街に
それは
「愛」の報せでもあると
月は理解していたと

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「さげずみの昭和プロレスと退廃的マリオン・マレシャル・ルペン」。2017年5月7日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「さげずみの昭和プロレスと退廃的マリオン・マレシャル・ルペン」。

わたしがかつてプロレスファンになった頃、プロレスを「真剣勝負」あるいは「スポーツ」だと信じて観ている人は多くいた。

そしてもちろん、プロレスを「ショーだ」「八百長だ」と軽蔑していた人間も多くいた。
その「軽蔑ぶり」は、今のプロレスを取り囲む環境しか知らない人にとっては理解し難いほどのレベルだと思う。
「軽蔑」と言うよりも、「侮蔑」「さげずみ」と表現した方が近い。
プロレスを侮蔑すると同時に、プロレスファンをもさげずんでいた。
プロレスファンであったわたしは、そうした「一般常識」に対して様々な手段で対抗しようとしていたのだが・・・。

といったお話は、今後もじっくりしていくとして、わたしがYouTubeで何をよく観るかというと、バレエ、映画俳優のインタヴュー、政治家、活動家らの演説やインタヴューなどなど。
フランス語、英語の向上のため、という目的もあるので、例えば政治家はフランス関係が多い。
フランス関係ならば、やはり目立つのは、よかれ悪しかれ、というよりも、ほぼ悪しかれ悪しかれと言えるのだが、極右フランス国民戦線(FN)のマリオン・マレシャル・ルペンだ。
なにせ外見が女優ばりである。
ブロンドで長身、そのブロンドが本物かどうかはさて置いて、ルキノ・ヴィスコンテ監督『地獄に堕ちた勇者ども』の中でナチスの退廃的なパーティに混ざり込んでいても何の違和感もない容貌、と書けば語弊があるだろうが、本当にそう見えるのだから。

さらに言えば、マリオン・マレシャル・ルペン、「聴かせる語り方」をする。
もちろんわたしは極右FNに賛同する者ではまったくないが、台頭するこうした動きに対抗しようというのであれば、「対抗者の魅力」を詳細に分析すべきであると強調したい。
思考停止的に「すべて否定!」と言うのではなく。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●高山善廣、救急搬送・・・記憶に鮮やかなセーム・シュルト戦。 [「言葉」による革命]

●高山善廣、救急搬送・・・記憶に鮮やかなセーム・シュルト戦。

末尾ルコ「プロレスと格闘技の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

プロレスラーの高山善廣が4日の大阪・豊中ローズ文化ホール大会の試合で動けなくなって救急搬送され、頸髄損傷および変形性頸椎(けいつい)症と診断されたという報道があった。
今後の検査などによって、病名などは変わる可能性もあるという。

このところプロレスラーが重傷を負う事故が続発している件は何度も書いているが、高山善廣は現在50歳で過去に脳梗塞も患っており、普通に考えれば、「プロレスができる状態ではない」はずなのだが、インディ団体を含めたプロレス界全体にレスラーの健康を守るための統一基準を設けることなど望むべくもなく、重傷者が続出してもプロレスに対する社会的関心がそうそう高まるわけでもない。こうした「裏街道」ぶりがプロレス界の特徴の一つとなっており、そんな部分に惹かれる人たちが多いことも事実ではある。
実に魅力的なプロレスラー高山善廣にはしっかり回復してほしいけれど、どちらにしても、(いつまでリングへ上がるんだ?)という裁量はレスラー自身に任されている要素が大きく、「高齢化によるリング禍」も今後ますます懸念されるところだ。

高山善廣は総合格闘技(MMA)で戦ったレスラーの一人であり、4戦して全敗でありながら、プロレスラーとしての威信を失わなかった稀有な例の一人でもある。
いまだ語り継がれるドン・フライ戦は、前も書いたけれど、「どつき合い・しばき合い」というノリはMMAであってもプロレスであってもわたしの好みではない。
それよりも印象に残っているのはPRIDE.18で行われたセーム・シュルト戦だ。
威風堂々の入場の後、セーム・シュルトの危険極まりない打撃に正面から立ち向かい、しかし顔面へのパンチに耐え切れず巨体が崩れていく姿に「敗者の美」をわたしは感じたのである。

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〈「言葉」による革命〉・・・2017年5月7日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、体幹」篇。

「猫、体幹」

大寒でなく
体幹を
体感せよ
自らの体幹
で、其の書物は、
「ヴァニナ・ヴァニニ」

「ヴァニーナ・ヴァニーニ」

はたまた
"Vanina Vanini"

しかも1829年の

・・・・・・

ぼくは体幹を鍛える
世界のため
ぼくの素敵なネコのため!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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