SSブログ

「末尾ルコ〈家庭を教育の最前線〉とするための家庭会話術講座」の宣伝です。 [「言葉」による革命]

「末尾ルコ〈家庭を教育の最前線〉とするための家庭会話術講座」の宣伝です。 「末尾ルコ〈家庭を教育の最前線〉とするための家庭会話術講座」 ※1名様3000円、2~4名様2000円、5~6名様1500円。(各お一人分の参加料です) ※「既成の教育機関」だけでは、あらゆる状況に対応できる「真の知性・感性」はなかなか育ちません。「いつか誰かがやってくれる」のを待つのではなく、あなた自身が、そしてご家庭そのものが「教育の最前線」となるべきなのです。 ※参加資格20歳以上(成年者)であれば、どなたでも応募いただけます。 ※現在のところ、高知県在住の方のみ対象です。 ▲上記講座以外にも、「朗読会」「対話会」「映画の話題で会話する講座」「反復法による、会話力アップ講座」「堂々と意見を言えるようになる講座」「真の褒め方講座」、そして「言葉による革命 基本講座」「言葉の戦士 初歩講座」など、様々なプログラムを用意してございます。

nice!(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年5月13日 [愛の景色]

小さな笑顔をもらったよ。
小さくとも
宇宙のすべてをも包み込む
笑顔を。

nice!(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」レッスン~アッバス・キアロスタミと淀川長治と爆笑問題をつなぐ「言葉」。2017年5月13日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」レッスン~アッバス・キアロスタミと淀川長治と爆笑問題をつなぐ「言葉」。

映画監督アッバス・キアロスタミが死去した時、次のような文章をアップしました。

・・・・・・

淀川長治も愛した現代最高の映画作家の一人アッバス・キアロスタミ死去。

現代映画界を代表する監督の一人、イランのアッバス・キアロスタミ(Abbas Kiarostami)が死去した。

カンヌ国際映画祭常連のキアロスタミ監督の死は、特にフランスでは大きく扱われ、昨日のリベラスィオンのサイト7ではトップ扱い、高級紙ル・モンドのサイトでも大きくスペースを割かれていた。

最晩年の淀川長治がキアロスタミ作品を愛していたことも印象深い。

・・・・・・

淀川長治は亡くなるまで感性は研ぎ澄まされたままで、いささかも鈍ることはなかった。
晩年に北野武監督を絶賛し、それによって北野武が大きな勇気と創作意欲を与えられたことは、

「日本映画史上の快挙」

として語り継がれる必要がある。

また、淀川長治は亡くなる数カ月前に爆笑問題と対談をしているが、二人がキアロスタミの『桜桃の味』をまだ観ていないと聞き、「二人とも死刑だ!」と、愛情に満ちた辛辣な言葉を投げかけた。
このことも、キアロスタミの名とともに、わたしの心に強く刻印されている。

淀川長治を前にしては、蓮實重彦も、横尾忠則も、吉行淳之介も、坂東玉三郎も、子どものようになった。
こんな人物はもう現れない。
だから語り継がねばならない。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

nice!(14)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

末尾ルコ詩D「猫、白き肌」篇。末尾ルコ「キス論~映画『ピース・オブ・ケイク』の失敗を踏まえて」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、白き肌」篇。

「猫、白き肌」


近くて遠い
その白き肌の
屈託ない笑顔に
ぼくは今、
救われる

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです。

●末尾ルコ「キス論~映画『ピース・オブ・ケイク』の失敗を踏まえて」。

末尾ルコ「愛とキスの話で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ピース・オブ・ケイク』で監督の田口トモロヲは、

「日本映画にリアルなキスシーンを」

という一つの創作目標があったに違いない。
そしてそれはとてもいいのである。
日本映画はキスシーンがとても苦手で、苦手なのは日本人の伝統や文化的な部分から来ているので当然でもあるし、「映画で見せるシーン」として、日本人の外見や雰囲気がキスシーンに合わないという部分ももちろんある。
といっても、やはりずっとそうではいけないというのは、「キス」は愛情や官能を表現する行為として最上の手段の一つである。
『ピース・オブ・ケイク』のキスシーンが残念ながら不発に終わっているのは映画の完成度が不発に終わっていることと連動しているが、ただ実際問題として、日本映画はもちろんのこと、洋画史を紐解いてみても、必ずしも「美しく官能的なキスシーン」は多くない。

「キス」というテーマ、今後も適宜探究していこう。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

nice!(17)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

●わたしはなぜ、「かませ犬」でブームとなった長州力を冷めた目で見ていたのか、あるいは「ラリアット」の通俗化。 [「言葉」による革命]

●わたしはなぜ、「かませ犬」でブームとなった長州力を冷めた目で見ていたのか、あるいは「ラリアット」の通俗化。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

1980年代にかなり大きな新日本プロレスブームをもたらしたのは、まずタイガーマスク、そして「かませ犬」発言後の長州力だった。
タイガーマスク(佐山)も長州力も、ブームを呼んでしばらくすると新日本プロレスに離反しているのがいかにもプロレス界であるというお話はさて置いて、わたしは長州力のファンだったことはなかった。
長州力はアマレスでオリンピックへ出場しており、その意味では「強い」プロレスラーの一人だったのは間違いないが、こと「プロレスラーとしての魅力」に関しては物足りない部分が多かったのだ。
ところが長州力は「プロレスファン」の範疇を超え、一般人にも普通に知られるほどの人気を獲得したわけだから、プロレスに関しても「わたしの感覚」と「長州力に熱くなる人たちの感覚」がかなり違っているのがよく分かった。
しかし例えば長州力以上に一般の人たちをプロレスに向かせる役割を果たしたタイガーマスク(佐山)については、「凄い」と感じていたが、長州力については一度も「凄い」とは感じなかった。
シンプルに言えば、「プロレスラーとしての魅力のポテンシャル」の問題だと思うが、わたしには長州力のプロレスはどうも味気ないものに見えていたのだ。
その「内容」にはいろいろあるけれど、ここで一つ挙げるとすれば、

「ラリアットをトレードマークにした」点だ。

スタン・ハンセンが日本マットで台頭してきた時期を知っている者にとって、「ラリアット」はとても大事な大技の一つで、正しくハンセンのような巨体レスラーが相手を薙ぎ倒すように繰り出す姿に戦慄を感じていたのに、長州力のような小柄なレスラーが決め技として使い始めては「技の魅惑」自体が薄れてしまうと感じていたのだ。
さらに長州力がラリアットを出す前に、誰にも分かるように右腕をぐるぐる回すのも気に入らなかった。

「必殺技」というのは、猪木の卍固めやバックドロップ、馬場のフライング・ネック・ブリーカードロップや32文ロケット砲など、

「相手の隙を見て繰り出す」

という麗しい形式を取るべきだと、わたしの中では確固たる意識があったのだ。

nice!(18)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、横顔」篇。2017年5月13日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、横顔」篇。

「猫、横顔」

高知市薊野にある

チェーザレ・ボルジアの
横顔

横顔の美しさ
凛々しさ

あなたの胸に、
どんな横顔が浮かぶ

高知市薊野にある


・・・・・・

ぼくの素敵なネコの
横顔も
完璧だ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート