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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ 子どもに、あるいは大人が相手でも、「日本社会とは、どのような世の中ですか?」と問われたら、どう答えますか?2017年5月23日 [「言葉」による革命]

※2017年7月15日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~子どもに、あるいは大人が相手でも、「日本社会とは、どのような世の中ですか?」と問われたら、どう答えますか?

はい。

「日本社会とは、どのような世の中ですか?」

どうでしょうか?
まあ、敢えて「社会」という言葉と「世の中」という言葉を両方とも一文の中に使っているニュアンスを感じていただければと思います。
人によって一つの言葉から受け取る印象は様々ですが、「社会」と呼ぶとどうしても、「学問的ニュアンス」を感じる方が多いでしょ。
「世の中」と呼べば、いかにも「生身の人間が毎日を過ごしている空間」というニュアンスを帯びます。
場合によっては同義の範疇に入れられる言葉も、「まったく同じニュアンス」ということはまずありません。
そうしたことに敏感になり、しっかり使い分けられるようになってくださいね。

で、

「日本社会とは、どのような世の中ですか?」

というテーマに対しての、あなたの答えはどうなりますか?

(続きは有料メルマガでお願いします)

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[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

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▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ~映画『私は二歳』における、山本富士子の「団地妻」とは?2017年5月23日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ~映画『私は二歳』における、山本富士子の「団地妻」とは?

「映画であなたの感性を鍛えるレッスン」


『私は赤ちゃん』じゃなくて、『私は二歳』という映画があって、監督は市川崑。
2016年7月にもNHK BSで放送されたので鑑賞した方も多いでしょう。
90分足らずの映画。
二歳の男児を中心とした一つの家族の姿を描く。
それだけの映画。
なのに惹きつけられる。
作品の舞台はまず「団地」。
団地。
団地である。
団地に住む夫婦と二歳の男児。
しかもその団地に住む夫婦の妻は、

山本富士子だ。

今日びあまり目にすることはないが、かつて日本人男性の中に、

「団地妻」というエロティックファンタジーがあった。

「団地妻」。

恐らくわたしよりもある程度上の世代の殿方の中に、「団地妻」というキーワードに対するエロティックファンタジーが。
正直なところ、わたしにはピンと来ない。
ただ、映画『私は二歳』における

山本富士子の「団地妻」は見ものである。
間違いなく。

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末尾ルコ詩D「重量の解消」篇。末尾ルコ「『ちはやふる』の中で走る広瀬すずの映像と魅惑のプロポーション」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「重量の解消」篇。

「重量の解消」

重い荷物の
その重量は
実はすぐにでも
解消できる方法が
すぐ傍にあるらしい

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです。)

●末尾ルコ「『ちはやふる』の中で走る広瀬すずの映像と魅惑のプロポーション」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

『ちはやふる』の中で広瀬すずは何度となく走る。
ギャグとしての走るシーンもあるけれど、街路を駆けるシーンは広瀬すずの肉体的ポテンシャルを浮き彫りにしている。
広瀬すずの肉体的ポテンシャルとは、「大柄でないのに均整がとれ、魅惑的なプロポーション」だ。
駆ける時、広瀬すずの両脚は前後に大きく開く。
その身長イメージからは意外なほど大きく開く。
その脚が前へ前へ進むべく踏み出していく。
カメラは同じ速さで側面から駆ける少女を映し続ける。

「走る若者」を抉り出すのは、映画の大きな役割だ。
前へ前へとかなりの速度で走る人間をよりた企画にかつダイナミックに捉えられるのは映画しかない。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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末尾ルコ詩D「荷物」篇。末尾ルコ「見る見る知名度の上がった広瀬すずはお嫌い?」。 [吉高由里子]

●末尾ルコ詩D「荷物」

「荷物」

それは4月の
一日前
帯屋町での
景色である
雨降る高知
荷物は重く

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです。)

●末尾ルコ「見る見る知名度の上がった広瀬すずはお嫌い?」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

日常的に出会う人たちにアトランダムに俳優や歌手、あるいは政治家など著名人とされる名前を話題にする。少し前まで「広瀬すず」と言ってもピンと来ない人が多かったが、一年ほど前からは極めて高い確率でピンと来る。これは情報弱者の多い高知で行っている活動だから、「広瀬すずは見る見るうちに全国的知名度」を獲得したと見做して間違いない。特に日本の場合、「知名度と実質」のアンバランスが顕著に見られるが、幸い広瀬すずは十分過ぎるほどの実質を伴っている。

しかし広瀬すずを嫌う人も多い。
広瀬すずをは確かに、「好き・嫌い」はかなり湧かれるタイプであり、「だからいい」とも言えるわけなのだ。

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●「悪徳のレシピ、あるいはマルキ・ド・サドも吃驚か」~1971年に発売された日清食品の『カップヌードル』とフォークの関係。 [「言葉」による革命]

●「悪徳のレシピ、あるいはマルキ・ド・サドも吃驚か」~1971年に発売された日清食品の『カップヌードル』とフォークの関係。

日清食品の『カップヌードル』は1971年に発売が始まったという。
1971年は昭和46年である。
そしてその年、日清食品の『カップヌードル』が発売されたのだという。
日本で販売されている食品数あれど、『カップヌードル』こそ歴史的商品の代表的存在だと呼ぶことに異論を唱える人は少ないだろう。
しかしはっきり覚えてないが、わたしが1971年からすぐに『カップヌードル』を食べ始めたということはないと思う。
インスタントラーメンと言えば、「袋入り」という固定観念がまずあり、そしかもその美味しさに満足していたものであるし、そもそもまだ、調理が必要な食品は親か祖父母がやってくれていた頃である。
多分わたしが初めて『カップヌードル』を食べたのは、発売されてから数年後である可能性が高いけれど、食べていたか食べていなかったかは別として、とても印象的なテレビCMを記憶している。
確か雪山かどこかが背景になっていたと思うが、その景色の中で女の人が湯気の立つ『カップヌードル』を食べているのである。
寒そうな景観の中で湯気を立てる『カップヌードル』がとても美味しそうに見えただけではない。
こともあろうかその女性は、「フォーク」で『カップヌードル』を食べていたのである。
(ふぉ、フォークでラーメンを??)
幼きわたしがいかに衝撃を受けたかご理解いただけるだろうか。
今でこそ剣豪のように自由自在にフォークやナイフを駆使できるわたしだが、当時は自宅で使うなんてこと滅多になかった。
(よし、いつかおれも出世して、フォークで『カップヌードル』を食べてやる!)と決意したわけではもちろんないけれど。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、土佐弁」篇。2017年5月23日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、土佐弁」篇。

「猫、土佐弁」

高知市薊野にある


オルガ・スミルノワが
悪どいって?
どういて?
どういてなが?
オルガが
おるが?

オルガが
おるがよ。
オルガが
悪どいかどうかって、
もういやちや!


オルガ・スミルノワ

高知市薊野にある


・・・・・・

土佐弁も
ぼくの素敵なネコの土佐弁が
最高!


(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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