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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「世界との遠近感」のレッスン~卓球の話題で決して世界は震撼しない。2017年6月9日 [「言葉」による革命]

※2017年8月4日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「世界との遠近感」のレッスン~卓球の話題で決して世界は震撼しない。

前々回配信分のメルマガは、次のような言葉で締め括りました。

・・・
「世界が震撼」

13歳の選手がエースを破ったことを、「世界が震撼」と表現したわけですが、わたしは呆れ返りました。

・・・

この「世界が震撼」というフレーズは、件の卓球の話題を取り上げたネットニュースの記事の見出しだったわけですけどね。
この言葉の使い方、あなたはどう思いますか?
わたしの感覚では、「噴飯物」を通り越して、「怒り」さえ覚えます。
果たして「卓球のニュース」で「世界が震撼」することはあり得るのでしょうか?
結論から言えば、原則、「あり得ません」。

(続きは有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年6月9日 [愛の景色]

「誰か」を愛していない時間でも
実は
「誰か」を愛しているものだ

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「レニー・ゼルウイガーを劣化と言うな!しかし顔の変化は事実ではある」その2。2017年6月9日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「レニー・ゼルウイガーを劣化と言うな!しかし顔の変化は事実ではある」その2。

「映画俳優演技論」

「レニー・ゼルウィガーの顔が変わった!」と日本のネットでも騒がれていて、正直わたしも「変わったレニー・ゼルウィガー」の写真を見た時は愕然とした。
ずっとファンであった映画女優が、しかもあの溌剌とした姿を見せてくれていた頃からそんなに年月も経ていないのに、正に「まるで別人」である。
20年とか30年とかの時間を経ていたら、そうは驚かないけれど、一時の勢いは無くなっていたとはいえ、「つい最近まで、いつものレニー・ゼルウィガーだったのに」と、「短期間の激変」は衝撃だった。

「激変時のレニー・ゼルウィガーの姿」を見ている方は多いと思うけれど、元々の魅力と言うのは、「ふっくらした頬、ぷっくりした唇、東洋的な目、均整の取れたプロポーズ」などが渾然一体となり、持ち前の演技力や女優オーラも含めて、独特のコケテイッシュなキャラクターを創り上げていた。
それが、「普通の中年婦人」になっていたのである。
「普通の中年婦人」がいけないと言っているわけではない。
レニー・ゼルウィガーが「レニー・ゼルウィガーである」ためには、「普通の中年夫人」ではいけないと言っているのだ。
つまり、「分別臭さ」とは無縁であるはずのレニー・ゼルウィガーが「分別臭く」なってしまっては、「レニー・ゼルウィガーではない」というところである。

で、正直言って、(レニー・ゼルウィガーの映画女優としてのキャリアは終わった・・・)と感じたわけだが、何と2016年、

『ブリジット・ジョーンズ』の新作が公開されるというではないか!
それが、『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』なのだけれど、

この作品に関してネットでは、「レニー・ゼルウィガーの顔が元へ戻った!」などという声があり、写真を見てみると、確かに「激変時」に比べたら、「元のレニー・ゼルウィガー」に近くなっている。

「激変」の本当の原因が何かは当人の身が知るところかもしれないが、長く映画を観てきた中でもこの「レニー・ゼルウィガー復帰」は、極めてユニークな出来事の一つだ。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!


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●フラメンコから、アントニオ・ガデス、ラウラ・デル・ソル、ナチョ・デュアトに関するフラグメント。 [吉高由里子]

●フラメンコから、アントニオ・ガデス、ラウラ・デル・ソル、ナチョ・デュアトに関するフラグメント。

暑さも夏を感じさせるようになった5月のある午後、フラメンコの話なんぞをしたからアントニオ・ガデスとナチョ・デュアトを思い出したけれど、それを目の前の人にどう説明しようか少し迷った。
フラメンコ通にとっては、「アントニオ・ガデスなどフラメンコじゃない」となるのかもしれず、しかし『カルメン』でラウラ・デル・ソルと踊るあのシーンに陶然とするなと言われても困ってしまうから。

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●日本プロレス界のトップ オカダカズチカの時代は、「屈折のない時代」なのか? [「言葉」による革命]

●日本プロレス界のトップ オカダカズチカの時代は、「屈折のない時代」なのか?

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

現在日本のプロレス界でトップは誰かと問われれば、プロレスファンなら普通は「オカダカズチカ」と答えるだろう。
新日本プロレスのIWGPへヴィー級王者で、しかも「一時的王者」でない存在が、興行規模や安定的経営状態、そして試合クオリティなどを含めて、「日本でトップ」だという図式は、かつて新日・全日のメジャー2団体に加え、UWF系や、やたらと一般層にまで浸透した大仁田厚が存在したインディ団体も乱立していた時期よりもずっと分かりやすくはある。
そこで現在は「オカダカズチカ」ということになり、確かに公称190以上のバランスの取れた体格に整った顔立ち、そしてプロレス史上屈指と言っても差し支えないであろう際立った運動能力は、「平成プロレス界のトップ」と称するに相応しいと、わたしも思う。
正に、「平成プロレス」のトップであり、同じ新日本のトップレスラーとして名を成してきた、棚橋弘至や中邑真輔、あるいは現在負傷欠場中の柴田勝頼らにはまだ漂っている「昭和のプロレスの陰翳」がまったく感じられない。
それがいいことか悪いことかと問われれば、「悪いこと」とまでは言わないけれど、「いいとは言い難い」話ではある。
谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』は日本文学史上古典的地位にあるエッセイとして知られているが、どのような文化であっても陰翳があるところに深みや味わいだけでなく、万華鏡のような魅惑が創出されるものなのだ。

オカダカズチカにおける陰翳の欠如。

それはもちろんオカダカズチカがプロレスに興味を持ち、プロレス入りしてから現在に至るまでの過程で、それ以前の世代のレスラーたちが持たざるを得なかった「屈折」を経験していないところから来ている。
しかしオカダカズチカに、本当に「屈折」はないのか?

ここでプロレスから離れ、「人間」あるいは「人間社会そのもの」に目を向けてみよう。

「屈折」のない「人間」あるいは「人間社会」と、あなたはつき合いたいと感じるだろうか。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、宝物」篇。2017年6月9日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、宝物」篇。

「猫、宝物」

高知市薊野にある


ガリーナ・メゼンツェワは
とても痩せて見える
バレリーナ
キーロフ・バレエの
ボビー・サンズはとても
痩せ過ぎた
あの時代
ガリーナ・メゼンツェワは
とても痩せて見える
バレリーナ

高知市薊野にある


・・・・・・

ぼくの素敵なネコは
生涯最高の
宝物!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)


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