●必見!7月11日(火)のNHK『うたコン』に山田姉妹が出演!!! [「言葉」による革命]
●必見!7月11日(火)のNHK『うたコン』に山田姉妹が出演!!!
末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」
7月11日(火)のNHK『うたコン』に山田姉妹が出演します。
それに先立ち、山田姉妹のブログに次のようなコメントを入れさせていただきました。
・・・・・・
『うたコン』でついに由紀さおり・安田祥子姉妹との共演。何と素晴らしいことでしょう。思えばわたしは、『うたコン』でお二人が「水色のてがみ」をお歌いになっている様子を見て、聴いた瞬間に魅了されたのです。「水色のてがみ」はもうどのくらい聴いたか分かりません。こんなにも美しい歌声があるのかという驚きと感動。それはお二人が「ポピュラー音楽を歌う道」を選んだからこそ生まれたものです。火曜日が本当に待ち遠しいです。
本格的な夏も近づいています。ご体調にはくれぐれもお気を付けくださいませね。 RUKO
末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」
7月11日(火)のNHK『うたコン』に山田姉妹が出演します。
それに先立ち、山田姉妹のブログに次のようなコメントを入れさせていただきました。
・・・・・・
『うたコン』でついに由紀さおり・安田祥子姉妹との共演。何と素晴らしいことでしょう。思えばわたしは、『うたコン』でお二人が「水色のてがみ」をお歌いになっている様子を見て、聴いた瞬間に魅了されたのです。「水色のてがみ」はもうどのくらい聴いたか分かりません。こんなにも美しい歌声があるのかという驚きと感動。それはお二人が「ポピュラー音楽を歌う道」を選んだからこそ生まれたものです。火曜日が本当に待ち遠しいです。
本格的な夏も近づいています。ご体調にはくれぐれもお気を付けくださいませね。 RUKO
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ジャム」篇。2017年7月10日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、ジャム」篇。
「猫、ジャム」
高知市薊野にある
塔
森林だからブッシュマンがいると思えば大間違い!
潜んでいたのは
小さな苺ジャム
とても甘酸っぱい
小さな苺ジャム
高知市薊野にある
塔
・・・・・・
ぼくの素敵なネコと
一緒に苺ジャムを
味わいたいね!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、ジャム」
高知市薊野にある
塔
森林だからブッシュマンがいると思えば大間違い!
潜んでいたのは
小さな苺ジャム
とても甘酸っぱい
小さな苺ジャム
高知市薊野にある
塔
・・・・・・
ぼくの素敵なネコと
一緒に苺ジャムを
味わいたいね!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「フランス映画はやはり最高クオリティ&加藤泰『瞼の母』の語り尽くせぬ充実」。2017年7月10日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「フランス映画はやはり最高クオリティ&加藤泰『瞼の母』の語り尽くせぬ充実」。
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
フランス映画のクオリティというのはやはり今現在も飛び抜けている。
それは以前からそう確信しているのであり、いい作品を続けざまに鑑賞すればその確信がより強固となってくる。
ハリウッド映画も大好きだが、当たりはずれは大きく、しかも近年、あまりにスーパーヒーロー、特撮に頼り過ぎている。
日本映画は・・・正直なところ、近年の作品よりは過去の作品を観た方が満足感が高い。
2016年8月はWOWOWで加藤泰監督の特集があったけれど、『瞼の母』とか、やはり素晴らしい。
『瞼の母』はいわゆる「人情物」だけれど、そしてストーリー展開は言わずもがなの『お約束』だけれど、それでもグッと来る、目頭が熱くなる。
この辺り、近年の日本映画の「お涙頂戴」「癒し」とは真逆のクオリティだ。
近年の日本映画の「お涙頂戴」「癒し」・・・「低レベル」を通り越して、「唾棄すべき」と言いたくなるものが多いが、それはここではさて置いて。
フランス映画、アトランダムに鑑賞した三本、『アクトレス 女たちの舞台』『麗しき日々』『彼は秘密の女ともだち』。
どの作品も一分も退屈することなく、それどころか(次はどうなる、次はどうなる)とワクワクするばかりだ。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
フランス映画のクオリティというのはやはり今現在も飛び抜けている。
それは以前からそう確信しているのであり、いい作品を続けざまに鑑賞すればその確信がより強固となってくる。
ハリウッド映画も大好きだが、当たりはずれは大きく、しかも近年、あまりにスーパーヒーロー、特撮に頼り過ぎている。
日本映画は・・・正直なところ、近年の作品よりは過去の作品を観た方が満足感が高い。
2016年8月はWOWOWで加藤泰監督の特集があったけれど、『瞼の母』とか、やはり素晴らしい。
『瞼の母』はいわゆる「人情物」だけれど、そしてストーリー展開は言わずもがなの『お約束』だけれど、それでもグッと来る、目頭が熱くなる。
この辺り、近年の日本映画の「お涙頂戴」「癒し」とは真逆のクオリティだ。
近年の日本映画の「お涙頂戴」「癒し」・・・「低レベル」を通り越して、「唾棄すべき」と言いたくなるものが多いが、それはここではさて置いて。
フランス映画、アトランダムに鑑賞した三本、『アクトレス 女たちの舞台』『麗しき日々』『彼は秘密の女ともだち』。
どの作品も一分も退屈することなく、それどころか(次はどうなる、次はどうなる)とワクワクするばかりだ。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
「虫博士」と呼ばれていたわたしが、いつの間にかカナブンを不気味に感じる大人になっていた話。 [「言葉」による革命]
「虫博士」と呼ばれていたわたしが、いつの間にかカナブンを不気味に感じる大人になっていた話。
末尾ルコ「自然との同調の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
保育園から小学2年生くらいまでの期間だと思うが、わたしはよく「虫博士」と呼ばれた。
今思えば、それほど虫に詳しかったわけではない。
もちろん「博士」と呼ばれるようなマニアックな知識を持っていたわけでもない。
ただ少々虫が好きだったというだけで、「虫博士」と呼ばれていたとは、ずいぶんご無体な話ではある。
今であれば、「サラ・ガドン博士」とか「山田姉妹博士」とか呼ばれたら、ちょっと嬉しいかなと。
自分が「虫博士」と呼ばれていた時期のことや子どもである自分の意識はかなり朧げだけれど、当時の出来事などを調べていくにしたがって蘇ってくる記憶もあるだろう。
もちろんそうした記憶が正確であるという保証もまるでなくて、そこが「記憶を辿るおもしろさ」の一端でもある。
しかし幼い頃に「虫博士」と呼ばれていたにもかかわらず、大人になってからはどんな意識の変化だろう、虫を忌避してきた、どちらかと言えば。
例えば、「カナブン」という幼少時代には最もよく見かける昆虫の一種を目にしても、(どうも気持ち悪い)と感じるようになっていた。
「気持ち悪い」感覚は一様ではないが、とても分かりやすい例としては、カナブンの腹の部分を(なんでこんなに不気味なんだ)と感じてしまう自分がいた。
(そもそもどうして足が6本もあるんだ?どうして6本の足がそれぞれに動いているんだ)・・・などと、やや原始的な不気味ささえも感じてしまっていた。
(虫などについての話題は、いずれそうした自然存在への興味復活の方向へ進むだろう)
末尾ルコ「自然との同調の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
保育園から小学2年生くらいまでの期間だと思うが、わたしはよく「虫博士」と呼ばれた。
今思えば、それほど虫に詳しかったわけではない。
もちろん「博士」と呼ばれるようなマニアックな知識を持っていたわけでもない。
ただ少々虫が好きだったというだけで、「虫博士」と呼ばれていたとは、ずいぶんご無体な話ではある。
今であれば、「サラ・ガドン博士」とか「山田姉妹博士」とか呼ばれたら、ちょっと嬉しいかなと。
自分が「虫博士」と呼ばれていた時期のことや子どもである自分の意識はかなり朧げだけれど、当時の出来事などを調べていくにしたがって蘇ってくる記憶もあるだろう。
もちろんそうした記憶が正確であるという保証もまるでなくて、そこが「記憶を辿るおもしろさ」の一端でもある。
しかし幼い頃に「虫博士」と呼ばれていたにもかかわらず、大人になってからはどんな意識の変化だろう、虫を忌避してきた、どちらかと言えば。
例えば、「カナブン」という幼少時代には最もよく見かける昆虫の一種を目にしても、(どうも気持ち悪い)と感じるようになっていた。
「気持ち悪い」感覚は一様ではないが、とても分かりやすい例としては、カナブンの腹の部分を(なんでこんなに不気味なんだ)と感じてしまう自分がいた。
(そもそもどうして足が6本もあるんだ?どうして6本の足がそれぞれに動いているんだ)・・・などと、やや原始的な不気味ささえも感じてしまっていた。
(虫などについての話題は、いずれそうした自然存在への興味復活の方向へ進むだろう)