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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「数字」は必ずしも「証拠」にならない。2017年7月29日 [「言葉」による革命]

※2017年9月16日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「読書」しなければ、内面は培われない・・・どのような「My読書環境」を創るか?&「数字」は必ずしも「証拠」にならない。

今回は少し触れるだけですが、よく

「数字を挙げて証拠を示せ」と言われます。

もちろんこの姿勢は当然のことであって、「数字」ほど客観的に何らかの「意味」を示すことができるものはそうそうない・・・と言いたいところですが、そうでもないのですね。
世の中で「好んで数字を示す」人たちの中にはかなり怪しいやり方で、中には意識的に、中には意識できずに「数字」を使っている人たちが少なくないのです。

そこで「数字」がある種の「証拠」として挙げられている場合に「まず」気を付けていただきたいのが次の3つのポイントです。

1その数字の導き方自体に不備や怪しい要素はないか。

(続きは有料メルマガでお願いします)


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[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「2016全米オープンテニス、女王セリーナを破ったカロリナ・プリスコバとは?そしてそのタトゥ」2017年7月29日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「2016全米オープンテニス、女王セリーナを破ったカロリナ・プリスコバとは?そしてそのタトゥ」

末尾ルコ「テニス観戦で、知性と感性を鍛えるレッスン」

カロリナ・プリスコバ。
2016年全米オープンテニス準決勝で女王セリーナ・ウィリアムズを破った選手。
それだけでなく、姉のヴィーナス・ウイリアムズをも破っている。
一つのトーナメントでウィリアムズ姉妹を破った稀な選手の一人となった。
カロリナ・プリスコバ。
チェコの旗 チェコ出身。
1992年3月21日生まれ。
身長は、186cm。
ちなみにあのマリア・シャラポワは188cmで、さらに高い。
こうした長身の女子プロテニス選手たち、パーティなどでは躊躇なく高いヒールの靴を履いて現れる。
マリア・シャラポワやカロリナ・プリスコバは、優に2mを超すだろう。
それはさて置き、カロリナ・プリスコバはタトゥをしている。
左上腕と、左太腿にタトゥをしている。
何人か著名な女子テニス選手でタトゥをしている人がいるが、今のところ「確認できた範囲(笑)」では、さほど多くはない。
話は逸れるが、MMA(総合格闘技)界、タトゥが炸裂している。
男性ファイターも女性ファイターも、タトゥ満開の世界である。
これって、どうなんだろう。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●キアヌ・リーブスの復活と2000年代的でない『ジョン・ウィック』との関係。その1 [「言葉」による革命]

●キアヌ・リーブスの復活と2000年代的でない『ジョン・ウィック』との関係。その1

末尾ルコ「映画の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

キアヌ・リーヴスのファンだったことはなく、その理由は個人的嗜好を含めた様々な理由があるのだろうけれど、その一つは、キアヌがいかにも「薄っぺら」に見えることだ。
キアヌ・リーブスという人物が実際に薄っぺらかどうか、それは知らない。
ただ、映画の中の彼から「厚み」を感じたことがない。
それはキアヌ・リーブスという俳優が演技力を自在に発揮するタイプではないこともとても大きいだろう。
映画俳優は必ずしも「演技派」が歓迎されるわけではないが、演技力があれば、俳優としての選択肢も引き出しも大きく多様化する。
キアヌ・リーブスがかなり長い期間、「過去の人」的状況に陥っていた大きな原因は、「薄さ」「演技力の不足」であることは間違いない。
しかし時にハリウッド俳優は思いもよらぬ復活を遂げることがある。
しかも『ジョン・ウィック』シリーズのような「2000年代的でない」映画で。

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●「名勝負」論~何だったのか、猪木VSマサ斉藤「巌流島の対決」 [「言葉」による革命]

●「名勝負」論~何だったのか、猪木VSマサ斉藤「巌流島の対決」

末尾ルコ「スポーツ&プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

名勝負とは何ぞや。

主にスポーツ関連の世界で語り続けられるのが「名勝負」であり、よく「歴代名勝負ベスト~」なんていうランキング企画も見られるわけだけれど、考えてみれば、なかなかに難しい話なのである。
わたしの感覚では、ただ単に「試合内容」のみを吟味して「どれが名勝負か」と検討するのではあまりおもしろくない。
その試合へ至るまでの過程であるとか、その試合自体の舞台設定であるとか、そうしたものまで総合的に評価してこその「名勝負」であると思うのだ。
例えばプロテニスであれば、世界的な統一機構の下、技術やルールが非常に整備されており、他のスポーツと比較しても「名勝負」が明快に決められそうだが、まったく同じ選手で同じような内容の試合ができたとしても、一般のツアートーナメントとグランドスラムではまったく価値が異なる、つまり名勝負度が異なることになる。
そして当の試合が行われた段階での、そのスポーツや、もっと大きく言えば、世界情勢の中の文脈によっても観戦者が受け取る感銘はまったく違ってくるから難しい。
つまり、同時代に生きていたからこそ受け取れる感銘もあれば、案外未来から過去を見ているからこそよりヴィヴィッドに感銘を受ける場合もある。

ところで「名勝負」と言っても、プロレスの場合は当然ながら他の一般スポーツとはまったく異なる尺度が存在するのだが、その尺度もファンによって非常に異なる場合があるのでかなりややこしい。
例えば1987年10月4日にアントニオ猪木とマサ斉藤によって闘われた「巌流島の対決」という試合があった。
「巌流島」で無観客試合として行われ、2時間を超す試合が延々と続き、結局猪木が勝ったわけだが、この試合を「名勝負」とするプロレスファンもいるけれど、わたしにはまったく価値が分からない。
最盛期をとうに越したレスラー二人が無観客でだらだら試合をするのがどうして「いい」のか、当時も今も理解不能である。
そもそも猪木は、第二回IWGP王座決定リーグ戦決勝のホーガン戦あたりから企画がズレまくりでしかもかなり幼稚なものも多くなり、かつての猪木のカッコよさはどんどん見る影もなくなっていったという経過を辿っていたのだった。
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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、宝石」篇。2017年7月29日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、宝石」篇。

「猫、宝石」

高知市薊野にある


宝石といっても、
水晶の夜の話ではないし、
ましてや
バルバロッサ作戦について
語りたいわけでもない

ぼくが語りたいのは、
この雨粒を
どうやって
宝石にするかという
そんなお話

・・・・・・

もちろんすべての雨粒を宝石にして、
ぼくの素敵なネコに
捧げたいのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)


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