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●「ダルビッシュ有、ドジャーズへトレード」を臨時ニュースにしてしまうNHK報道とは? [「言葉」による革命]

●「ダルビッシュ有、ドジャーズへトレード」を臨時ニュースにしてしまうNHK報道とは?

末尾ルコ「マスメディア批判で、知性と感性を鍛えるレッスン」

8月1日、NHK『おはよう日本』見ていたら、臨時ニュースのテロップが出て、何かと思ったら、

「ダルビッシュ有、ドジャーズへトレード」

・・・臨時ニュースってこれ、こんなことやってると、すぐに臨時ニュース自体が「オオカミ少年」になってしまうぞ。
あ、もうなってるか。

しかしニュース報道を重視している人たちはいまだ多くいるわけで、以前から日本のニュース番組はお粗末な要素満載だったけれど、ここ10年くらいでお粗末度には拍車がかかっている感が強い。
ダルビッシュがMLBで偉大な記録を打ち立てたとかいうのならまだしも、どこのチームへ移籍するとかしないとかはせいぜいスポーツニュース枠でやるようなものであり、NHKがこの話題を大きく扱うのはBSでMLBを放送しているからに他ならず、つまり「臨時ニュース」さえも「自局の利益」中心でチョイスされる事態となっているのだと言える。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年8月4日 [愛の景色]

灼熱の中の
あなたの降臨
眼鏡をかけて

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●ジャンヌ・モロー死去~不死の映画アイコンの監督作『ジャンヌ・モローの思春期』 [「言葉」による革命]

●ジャンヌ・モロー死去~不死の映画アイコンの監督作『ジャンヌ・モローの思春期』

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ジャンヌ・モローが死んだ。
89歳だった。
短い命ではなかった。が、わたしは100歳を超えて映画に出てくるジャンヌ・モローを夢想していた。
ジャンヌ・モロー89歳の死を「大往生」だと言うコメントを見かけた。
人の死を他人が勝手に「大往生」などと決めつけるな。
ジャンヌ・モローは2015年公開の映画にまで出演していた。
最盛期の主演映画は言うまでもなく、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』『恋人たち』、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』の3本で、永遠の、不死の映画アイコンとなった。
そして監督作である『ジャンヌ・モローの思春期』もとても印象深い作品だ。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「沖縄における中国人観光客のマナーに関し、フランス人フェノン(仮名)は?」2017年8月4日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「沖縄における中国人観光客のマナーに関し、フランス人フェノン(仮名)は?」

末尾ルコ「国際問題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

いかにナチス政権下のドイツといえども、その「すべて」を否定することはできない。
いかにナチス・ドイツが歴史上許すことのできない大量虐殺を実行したからといって、ドイツの歴史、文化・文明、人々のすべてを否定することはできない。
これが「人類の歴史」の原則だ。

だからいかに北朝鮮や中国が難儀な国々であるといっても、その「すべて」を否定する趣味はわたしにはない。
が、現在起こっている事実は事実として見据え、改善をさせていくべきである。

友人のフランス人フェノン(仮名)が沖縄へ数日旅行に行ったところ、やはり中国人観光客の傍若無人ぶりは目に余ったという。
とにかく団体でうるさい、そして平気で人にぶつかってきて謝りもしない。
多くの中国人観光客が日常的に迎えなばならない沖縄の人たちは、「大変だな」と言っていた。
「そう言えば」とフェノンが思い出したのが中国の国際空港で入ったカフェでの話。
コーヒーを飲んでいて、さほどの時間も経っておらず、カップにはまだ残っている状態の時に店員がやって来て、

「他にご注文は?」と尋ね、
「いや、これだけでいい」と答えると、
「じゃあ、お帰りください」と言ったそうだ。

こうした態度は、そのカフェの「ルール」だと説明されたという。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●今だからこそ、アントニオ猪木の「セメントの強さ」を仮説として検証してみる。その2。~ドリー・ファンク・ジュニア編。 [「言葉」による革命]

●今だからこそ、アントニオ猪木の「セメントの強さ」を仮説として検証してみる。その2。~ドリー・ファンク・ジュニア編。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

今となっては、少なくともわたしにとって、非常に分かりにくくなっているのが、ドリー・ファンク・ジュニアのプロレスラーとしてのクオリティである。
ドリー・ファンク・ジュニアが多くの日本のプロレスファンにとって、「最も高級感のあるレスラー」だった時期はかなり長かった。
それはルー・テーズ、ジン・キニスキーと続いた大艦巨砲的NWA世界チャンピオンの系譜の中に突如として「若きテクニシャン」が出現したということが得も言われぬ高級感をもたらした最大の要因だろうし、ドリー・ファンク・ジュニア自身の、まったくコケ脅しのない沈着な雰囲気やファイトスタイルにも、「理想のチャンピオン」像が醸し出ていたのだろう。
しかしそうした印象を特に持っていたのが日本のファンであることも間違いなく、そこには多くの日本人が持っている「正統派第一主義」や、多くの日本人プロレスファンが持っていた「テクニシャン崇拝」、そして「禁欲的雰囲気愛好」といった思考が垣間見える。

実は「もし最盛期のアントニオ猪木とドリー・ファンク・ジュニアがセメントで戦っていたら」というテーマについて、今現在のわたしの正直な結論は、「分からない」である。
最近猪木VSドリーの映像なども観返してみたが、体格的にもほぼ同じ。
ややドリーが上背があるように見えるけれど、腕や太腿、体幹部の太さもさほど変わらない。
そしてドリー・ファンク・ジュニアのアスリートしてのバックボーンは、「フットボール、レスリング」とされているが、レスリングで一級の実績を持っているとは言い難く、試合の中でもアマレス出身選手特有のパワーとバネに溢れた動きは見当たらない。
ドリーの得意技の一つだったダブルアーム・スープレックスにしても、ブリッジの力で投げるのではなく、腕力と腰の力で(よいしょ)と投げるタイプである。
試合内容自体も腕や脚、そして胴を取り合ったり、絞めたりするシブい展開で、派手なアクションやアピールなどはまったくない。
このドリー・ファンク・ジュニアを長い間奉ってきたプロレスメディアやファンの心理を含め、余計に興味が出てきた次第である。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、聖人」篇。2017年8月4日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、聖人」篇。

「猫、聖人」

高知市薊野にある


フランシス・ジャムの
堀口大學の役の
製ベルナデットを讃えた
かなり長い詩を
昼下がりに
そして夜更けに
黙読し
音読する
その快感よ

・・・・・・

ぼくの素敵なネコは、
さしずめ唯一の
聖ネコだね

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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