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●つぶらな瞳のCC(キャサリン)・ベリスにあろうことかの活躍期待。 [「言葉」による革命]

●つぶらな瞳のCC(キャサリン)・ベリスにあろうことかの活躍期待。

末尾ルコ「テニス観戦の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

米国の10代女子テニスプレイヤー CC(キャサリン)・ベリスはあろうことか、つぶらな瞳をしている。
そのつぶらさときたら、あろうことか、つぶら過ぎると表現しても間違いないほどだ。
そんなCC(キャサリン)・ベリスがこの8月、あろうことかカナダで開催のロジャーズ・カップ2回戦でロシアのスヴェトラーナ・クズネツォワを破ってしまった。
そんなCC(キャサリン)・ベリスに、全米オープンでも「あろうことか」な活躍を期待するのを止められるわけもない。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年8月12日 [愛の景色]

あなたのために
どれだけのことができるか
人生の中で
今それを
徹底的に
考えている

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画『雪の轍』を怖れることは何もない、その理由」。2017年8月12日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画『雪の轍』を怖れることは何もない、その理由」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

映画『雪の轍』が優に3時間を超す映画だからといって、怖れることは何もない。
怖れることも躊躇することも、ましてやしり込みする必要も何もない。
映画『雪の轍』がトルコ人監督のトルコ映画だからといって、怖れることは何もない。
怖れることも躊躇することも、ましてやしり込みする必要も何もない。
映画『雪の轍』の出演者たちが、当然馴染みのない俳優たちばかりだからといって、怖れることは何もない。
怖れることも躊躇することも、ましてやしり込みする必要も何もない。
映画『雪の轍』がカンヌ国際映画祭でパルムドールを獲得しているからといって、怖れることは何もない。
怖れることも躊躇することも、ましてやしり込みする必要も何もない。
映画『雪の轍』が極めて台詞が多い作品だからといって、怖れることは何もない。
怖れることも躊躇することも、ましてやしり込みする必要も何もない。

映画『雪の轍』はカッパドキアの強烈な景観を安定した格調高いカメラで捉えながら、親しいはずの人間の間に生じる軋轢を美しい映像の中で流暢に語っていく。
馴染みのないはずの俳優たちは鑑賞後すぐに「馴染み」となり、その残酷な人間模様に引き込まれ、3時間などアッという間に過ぎていく。

アイドゥンはハルク・ビルギネル、ニハルはメリサ・ソゼン、ネジラはデメット・アクバァ、ヒダーエットはアイベルク・ペクジャン、ハムディはセルハット・クルッチ、イスマイルはネジャット・イシレル。
そして監督はヌリ・ビルゲ・ジェイラン。
アントン・チェーホフの『妻』を原作としているというが、他にも様々な文学的影響が垣間見えるとされる。
滅多に出会えない、見事な映画作品だ。

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●錦織圭、ロジャーズ・カップ初戦敗退・・・その直前に「観月あこ」のインタヴューが。 [「言葉」による革命]

●錦織圭、ロジャーズ・カップ初戦敗退・・・その直前に「観月あこ」のインタヴューが。

末尾ルコ「テニスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

錦織圭がカナダで開催中のマスターズ1000ロジャーズ・カップで、フランスのモンフィスに初戦敗退を喰らった。
1セット目を先取し、2セット目もマッチポイントを握る優位な展開から逆転され、第3セットもタイブレークでマッチポイントを握りながら逆転負け。
この試合の直前、錦織圭の交際相手とされる観月あこなる人物に対する取材が『デイリー新潮』の記事として、ネットに掲載され反響を呼んだ。
その中で、観月あこは「結婚したい」と述べ、錦織圭の父親は、「結婚など想像もしたくない。悪い評判しか聞かないからね」という趣旨の話をしている。

錦織圭は世界トップレベルのテニス選手である。
かつて日本のどんなアスリートも入ったことのない世界で戦っている。
そんな空前絶後の日本人プレイヤーの江府町に「女性」が関わっているとは思いたくないのだけれど。

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●『思い出のメロディー』で「ふるさと」共演した山田姉妹から島津亜矢へのジャムと手紙~オープニング山本リンダの、やはり阿久悠。 [「言葉」による革命]

●『思い出のメロディー』で「ふるさと」共演した山田姉妹から島津亜矢へのジャムと手紙~オープニング山本リンダの、やはり阿久悠。

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

8月8日に山田姉妹が公式ツイッターにアップしていた記事に、『思い出のメロディー』で「ふるさと」をともに歌った島津亜矢の公式ブログがリンクされていて、「嬉しい」旨書かれていたので、わたしもすぐにリンク先へ飛んだ。
予想通り島津亜矢は共演した山田姉妹のことに言及した記事をアップしていたのだが内容を要約すると、「山田姉妹に心温まる手紙をいただき、ジャムもいただき、その説明をする姿もとてもかわいらしく・・・」といったもので、このような「生の人間同士の交流」というのはいいなとあらためて感じた。
歌の世界の大先輩に対して、手書きの手紙とジャムというのが何とも普通っぽくて素敵だと思う。
そしてそんな贈り物に対して、素直な感謝の気持ちをブログに書いてくれる島津亜矢も素敵だ。

島津亜矢と山田姉妹の共演で歌われた「ふるさと」だが、もちろんわたしは充分に満足したけれど、映し方には不満があった。
「ふるさと」がゲストである将棋のひふみん九段との関連で紹介されたこともあり、歌唱中にけっこう長い間ひふみん九段のアップが映し出された。
ひふみん九段は曲の前後にたっぷり喋る時間を与えらえており、歌唱中は歌う三人だけを映してほしかった。
島津亜矢と山田姉妹の共演など、今後テレビで見られるかどうか分からず、極めて貴重な機会だったのだから。
そして三人による「ふるさと」の歌唱だが、わたしはこのところ山田姉妹の歌声が始まる瞬間から息を呑み、どんな音も聴き逃すまいとする習慣となっているが、この度も繊細極まりない発声はまるで天から降り注いでいるようであり、夢を見ているような気分だった。
島津亜矢の優しくノスタルジックな歌唱ももちろん素晴らしかった。
ただ、以前に聴いた鮫島由美子の「ふるさと」は突き放すような強い歌唱が逆に大きな感動を生んでおり、歌い方によって様々な可能性のある歌だともあらためて感じた。

ちなみに2017年の『思い出のメロディー』でオープニングを飾ったのは山本リンダの「狙いうち」だったが、66歳山本リンダ、プロポーションはしっかり保っている。
わたしが子どもの頃に見た山本リンダの「ねらいうち」や「どうにもとまらない」のインパクトは絶大で、そりゃあ一度見れば忘れないよ、てな感じで、そうか、どちらも阿久悠が作詞かと、今更ながら納得した次第である。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ジャンヌ・ダルク」篇。2017年8月12日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、ジャンヌ・ダルク」篇。

「領略せよ!」
本当に聞こえているのか、Mよ?
それはジャンヌ・ダルクが聞いたお告げのように
科学で説明できる
幻聴というヤツではないのか?
あれ、
ジャンヌ・ダルクが聞いた声を
幻聴だなんて
誰が決めたの?

・・・・・・
もちろん!
ぼくの素敵なネコの声こそ
天からの声さ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)