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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「女性政治家」だけでなく、女性リーダーを増やすための根源的方法。2017年8月14日 [「言葉」による革命]

※2017年9月30日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「女性政治家」だけでなく、女性リーダーを増やすための根源的方法。

はい。
「女性政治家」だけでなく、女性リーダーを増やすための根源的方法なのですが、それは何度もお話しているように、

日本の社会的雰囲気を変える

しかありません。
ただ、日本人が従来ずっと持ち続けていた感覚、特に女性たちが持ち続けていた感覚を完全に無視して、「まったく違う社会にする」というような考えについてくる人はほとんどいないでしょう。
特に「現在の一般女性たちの感覚」にはある程度尊重を置きながら、ある程度双方の妥協点を探りながら前へ進めていく・・・この作業が大切になります。

(続きは有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年8月14日 [愛の景色]

月の音楽にのせて
聖母子像を
それはあなたが
好きだと言ったから

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「あまりに美しい、が、とても感じのいいサラ・ガドンの出演映画は?」2017年8月14日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「あまりに美しい、が、とても感じのいいサラ・ガドンの出演映画は?」

末尾ルコ「映画俳優演技論」

Sarah Gadon
サラ・ガドン。
わたしが今最も、「観たい女優」だ。
まず正統的に、完璧なまでに美しい。
「正統的な美しさ」・・・現代映画界で、なかなかお目にかかれない美点なのだ。
しかも、圧倒的に美しいのに、「感じがいい!」。
「感じがいい」とは実にシンプルな褒め言葉だが、サラ・ガドンは本当に「感じがいい」という言葉がピッタリなのだ。
この美点が分かったのは現代ネット社会のおかげで、要するにYouTubeなどでいくらでもサラ・ガドンのインタヴューを見られるのだけど、その語り口の明快で気取りなく、もちろん十分に知的なことといったら!
しかし洋画離れ、洋楽離れ、外国文学離れの日本でサラ・ガドンを知ってる人は今のところ滅多にいない。
ではわたしが一人でも二人でも、「サラ・ガドンを知っている人」を増やしていくぞ、というわけで、取り敢えずざあっとサラ・ガドン出演映画を並べてみよう。

『チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室』
『危険なメソッド』
『モスダイアリー』
『ドリームハウス』
『アンチヴァイラル』
『コズモポリス』
『複製された男』
『ベル 〜ある伯爵令嬢の恋〜』
『もしも君に恋したら。』
『アメイジング・スパイダーマン2』
『マップ・トゥ・ザ・スターズ』
『ドラキュラZERO』
『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●北朝鮮がグアム向けミサイルの通過経路に高知上空も挙げてくださった日、「怖い」「恥ずかしい」についてさらに深く考える。 [「言葉」による革命]

●北朝鮮がグアム向けミサイルの通過経路に高知上空も挙げてくださった日、「怖い」「恥ずかしい」についてさらに深く考える。

末尾ルコ「国際情勢と感情の機微の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

北朝鮮が10日、中距離弾道ミサイル「火星12」4基を米領グアム付近に発射する準備を今月半ばまでに完了し、そのミサイルは、日本の島根、広島、高知各県の上空を飛ぶ」ことになると警告した。
ほほう、わが郷土、高知の名が入っているじゃないか。
「高知」という地名は国際的な文脈の下で見かけることはほとんどなく、ここはビジネスチャンスとして捉えるべきではないのか。
そう、

「北朝鮮のミサイルが、晴れていればきれいに見えるかもしれない街」とか。

あ、冗談で書いてますので、誤解なきよう。
でも何でもかんでもビジネスチャンスや経済効果に結び付けたがる昨今だから、こんな時でも「言ってみろ!」という気持ちもある。
でも実際、「北朝鮮ミサイル緊張」をビジネスに結び付けている人たちは多くいるはずである。
戦争を「ビジネスの最終形態」と定義することも可能で、きな臭さが高まっている時期こそ、より冷静にものごとを見つめる必要がある。
ところで「高知」という名が出てきて、それ以前に米国と北朝鮮の「過激な言葉」でのやり取りなど、それこそ一年前には考えられないほどの「怖い」状況になっているのだが、個人的にはさほど「怖い」とは感じていない。
今の状況で、自分が子どもだったらどうだろうとか、今現在子どもさんがいるご家庭はどのように伝えているだろうかとか、そんな想像もするのだが。

「怖い」という感覚にも個人差があるし、それよりも大きいのは「子どもと大人の大きな差」だと思う。
なにせ前にも書いたけれど、わたしは子ども時代、『お昼のワイドショー』の心霊再現フィルムを「極度に怖い」と感じていたのだから、今となっては「笑わせるぜ!」の世界だ。
しかし実はわたし、テレビアニメの『タイガーマスク』や『ゲゲゲの鬼太郎』など、かなり怖かったのだということも付記しておかねばなるまい。
漫画の方はやや丸っこいタッチの『タイガーマスク』は、テレビアニメではラフな線の劇画タッチになるのだが、どうしてもしょっちゅう、「血がドバッ」なシーンがあって、わたしは正視できなかった。
それが時を経て、本物のプロレスの流血戦で盛り上がるようになるとは夢にも思わなかった幼年時代だ。
『ゲゲゲの鬼太郎』は、オープニングのテーマ曲のイントロで、「ひゅ~~どろどろ」てき音がかかるのだが、そこだけでビビりまくっていた。
そしてもう一つ重大なことを述べておこう。
それは「怖い」ではなく、「恥ずかしい」という感情についての話だが、わたしは幼少時、

『魔法使いサリー』が

恥ずかしくて、家族の者が部屋の中にいる時に、正視できなかったのである。
特にあのオープニングテーマが。

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●目(瞼の内側)が痒いのに目薬を失くしたわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。 [「言葉」による革命]

●目(瞼の内側)が痒いのに目薬を失くしたわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。

末尾ルコ「日常生活の描写で知性と感性を鍛えるレッスン」

というわけで、目(瞼の裏側)が痒いというのに、目薬を失くしてしまったわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。
「失くした」と言うか、どこかにあるはずなんです、間違いなく自分の部屋かリビングかどちらかに。
家の外へは持って行ってないし、家の中でもトイレとか玄関先度かでは使いませんから。
なのに見つからない。
二つの部屋のどちらかに確実にあるはずなのに、見つけられない。
いや別に、その目薬指したところで痒みにほとんど効きゃしませんよ。
けれど歯がゆいじゃありませんか。
どこかにあるのに、またすぐに買うのも業腹だしね。

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●「プロレスラーの表情」について、アブドーラ・ザ・ブッチャーとバッドラック・ファレを比較しても仕方はないけれど、してみた。 [「言葉」による革命]

●「プロレスラーの表情」について、アブドーラ・ザ・ブッチャーとバッドラック・ファレを比較しても仕方はないけれど、してみた。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

現在日本のマットで活躍している「でかい」外国人プロレスラーとして真っ先に名が挙がるのはバッドラック・ファレだろう。
しかし「でかい」と言っても、公称で193cm、156kgだから、「めちゃめちゃでかい」わけではないが、まあこのくらいであれば、昭和の日本マットで活躍した外国人プロレスラーと遜色はない。
ところが残念ながら、バッドラック・ファレから大きな魅力を感じたことはまったくないのである。
どうしてだろうか。
答えはさほど難しくはない。
バッドラック・ファレはなにせ動きが鈍く、身体や動きにも柔軟性がまったく感じられない。
そして極めて大きな弱点だと思うのだが、リングに立った時、身体全体から観客を惹き付ける表情が湧き出てこないのである。

「身体全体から湧き出てくる表情」

「表情」と言うと、舌を出したり、顔面を歪めたり、敢えて滑稽な顔になってみたりと、そういうのも確かにプロレスラーにとって大切な仕事なのだが、それ以前に、リングに立った瞬間からその姿に観客が酔ってしまうような特別な表情を一流レスラーたちは持っていたのである。
現在はオーロラヴィジョンなどでレスラーたちの細かな技や表情まで試合中に大きく映し出されるが、かつてそんな便利なものはなく、レスラーたちは自分の身体一つで、2階席、3階席の最後列に座っている観客にまで「ワクワクドキドキ」を届けねばならなかったのである。
そうした「表情」が抜群だったレスラーの一人がアブドーラ・ザ・ブッチャーで、ブッチャーはゴング前の急襲も得意にしていたけれど、実は派手な動きはせずとも、リングに登場しただけで観客が息を呑んで凝視したくなる「表情」を発散していたのである。
その上、巨体なのに「ここぞ」という瞬間の動きが速かったし、リング上の位置の取り方やポージングも見事なものだった。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、陽光」篇。2017年8月14日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、陽光」篇。

「猫、陽光」

そうだ
虚無への供物といってもね、
中井英夫とは関係ない
あるいは
ポール・ヴァレリーと?
いやそれもない
とは言え、Mは
朝から冷凍お好み焼きを食べ、
その中に入っていた蛸が
歯の隙間へ引っ掛かったことも
(よくあることさ)と
陽光の予感を眺めた

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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