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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、歌」篇。2017年9月29日 [「言葉」による革命]

末尾ルコ詩D「猫、歌」篇。

「猫、歌」

高熱がある時間に
EDMなんぞ聴きたくない
身体が受け付けない
EDMなんぞ
吐き気がする時間には
受け付けるのは
アコースティックギターの音と
人生を分かった人が奏でる
歌と

・・・・・・

ぼくの素敵なネコは、
いつでもぼくの
最高の歌!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「日本人の精神性の根源を見つめ直す戦い」に、あなたも参加してください。2017年9月28日 [「言葉」による革命]

※2017年10月24日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「日本人の精神性の根源を見つめ直す戦い」に、あなたも参加してください。

長らく欲しいままにしてきた「世界で最も安全な国」という日本のステイタスが大きく揺らいでいます。
東日本大震災などでより明確となった「地震」という常在する脅威に加え、北朝鮮を中心とする「東アジア情勢」は日本人の意識だけでなく、「海外からの視線」も変えつつあります。

もちろん平均寿命の長さや日常生活の高い安全性はいまだに誇るべき要素ではありますが、いずれにしても日本人はその「精神性」を根源から見つめ直し、常に反省と検討を加えつつ、

「これからの世界」

を生きていくべき時なのです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な

▲「新たなる教育機関」です。

毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。

注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年9月28日 [愛の景色]

次々と現れる困難が、
あなたへの愛を強める愉しい山々に
見えてきた

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ウルグアイ映画『雨があがったら』が楽しめる理由。」2017年9月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ウルグアイ映画『雨があがったら』が楽しめる理由。」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

莫大な予算をかけて作った映画がおもろいとは限らず、実績、実力、カリスマ性などが揃ったスター俳優が熱演してもおもしろくなるとは限らない。
そして入り組んだストーリーと演出を駆使しても、おもしろくなるとは限らない。
ウルグアイ映画の『雨があがったら』
雨があがったらを観ていると、よりそんな事実を再認識するのである。
『雨があがったら』の監督はアナ・ゲバラと レティシア・ホルヘで、脚本も同じ二人による。
出演は、ネストル・グッシーニ、マルー・チョウサ、ホアキン・カスティリョーニ。
この三人は「父親、長女、次男」という役回りで、両親は既に離婚しており、映画のシーンは「父親と子供たちの面会日」だ。
『雨があがったら』というタイトルから連想されるように、出だしからよく雨が降る。
特に風光明媚なロケーションでもなく、いかにも「ウルグアイのその辺」という殺風景な風情だ。
しかしそんな地域が降り続く雨のためにいかにも映画的に鑑賞することができる。
淀川長治言うところの、「雨や風の表現は舞台ではできない」を実証しているかのような内容だ。
子どもたちの前でも女にだらしない父親。
不良ぶりたい長女は頭の悪そうな少年に気を惹かれるが、その少年はもう一人の、少女の割にはゴージャスな女に執心だ。
出鱈目な父親がふと見せる「父親としての責任感」も好ましい。


●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●あなたには「寄る辺」があるか?寄る辺なき男女の『ヘッドライト』。 [「言葉」による革命]

●あなたには「寄る辺」があるか?寄る辺なき男女の『ヘッドライト』。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ヘッドライト』Des gens sans importance (1955)という映画がある。アンリ・ヴェルヌイユ監督の作品だ。
ジャン・ギャバンがトラックの運転手、フランソワーズ・アルヌールが宿屋のウエイトレス。
男には妻子がおり、女は寄る辺がない。
いや、男は妻子がいても、寄る辺のなさでは同じだったのかもしれない。
男の運転するトラックで二人は夜の道を走る。
しかし女は・・・。
夜の道、トラックの助手席、ヘッドライト・・・フランソワーズ・アルヌールの、映画史上類い稀な寄る辺のなさよ。
そう、人間には、寄る辺が必要なのだ。

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●頑是ない子ども時代、「田舎の宴会」で「恋の歌」を披露したわたしに対して「あの人たち」の反応は? [「言葉」による革命]

●頑是ない子ども時代、「田舎の宴会」で「恋の歌」を披露したわたしに対して「あの人たち」の反応は?

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

過去の出来事を辿ろうとしても、どうやらわたしは細かなことを明確に記憶しているタイプではないようだ。
(あの頃どうだっただろう)と思い出そうとしても、たいがいすぐには明確な情報が出てこない。
要するに、わたしはかなり曖昧な精神状態で、少なくとも子どもの頃は生きていたようだ。
といった検証はまたじっくりするとして、わたしは恐らく小学3年くらいまでは年に2回ほど、「田舎の宴会」へ参加していた。
「参加していた」と言っても小学低学年が自主的に宴会に出席できるわけもするわけもなく(する小学生もいるのだろうが)、否応もなく親に連れられて行っていたのである。
この場合の「田舎」とは母方の祖父母が住んでいる土佐市であって、土佐市は高知市の西隣にあるのだが、当時は縦横無尽に「田舎的要素」が横溢していた。
父方の田舎は高知市の東隣である南国市方面で、「方面」と書いたのはこれまたわたしの記憶が曖昧だからである。
父方の田舎へも行かなくもなかったが、祖父母が入院するまで同居していたし、母方の田舎的「宴会」を恒例とするような雰囲気はなかったのだろう。

さてその「田舎の宴会」なのであるが、今現在は宴席の類をすべて拒絶しているわたしがよく毎年出ていたなというベタな「田舎の宴会」であったが、そこは保育園から小学低学年の時期のわたし、さほど苦にしていた記憶もないのである。田舎の家中に充満する日本酒の匂いに、そこここで泥酔して意味不明の台詞を垂れ流す誰だかよく分からないおじさん、おばさん・・・よく毎年少なくとも2回、ああいう場に参加していたものではある。
もちろん田舎には田舎の楽しさも存在しているのだが・・・ちなみに大都市で生まれ育った方にとっては、「高知県自体」が「田舎」となるのだろうが、やはり地元の人間にとっては、「高知市」と「その他」は大きな違いなのである。

ところでその「宴会」、宴もたけなわになりつつある時分に、一人ひとり順番に「歌」を披露するというお約束があった。
わたしはまあ、例えば『子連れ狼』のテーマ曲なんぞを歌い、田舎のおじさん、おばさんの好評を博したりしていたわけだが、ある年、(具体的に何の曲かは思えてないが)アイドル歌手の曲を歌った。
もちろん題材は「キュンキュンする恋愛」である。(当時はまだ「キュンキュン」という表現はほとんど使われてなかったが)
少し恥じらいながらも歌い上げたわたしに対し、「まあ、この子も、恋のことを歌うことになったがやのうし(←ベタな田舎風土佐弁)」などとのたまったものだから、当時同級生との恋に悩んでいた(笑)わたしは内心、(ちっ!)と舌打ちしたものである。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ヴィヨン」篇。2017年9月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、ヴィヨン」篇。

「猫、ヴィヨン」

ヴィヨン
高熱がある夜も
フランソワ・ヴィヨン
高熱があるからこそ
フランソワ・ヴィヨン
だったそれは
高熱を持ったポエジー

・・・・・・

どんなに高熱があったとて、
ぼくの素敵なネコが一番さ!

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●ピンク・フロイドとセックス・ピストルズに関する時代的フラグメント。その2 [「言葉」による革命]

●ピンク・フロイドとセックス・ピストルズに関する時代的フラグメント。その2

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

2017年現在、ピンク・フロイドを悪く言う者はあまりいないだろう。
数少ない「ロック史上、巨大過ぎるバンド」として最早不動の玉座に腰かけている。
しかしパンク・ニューウエイブ時代、多くのロックファンやロック評論家的人たちは、ピンク・フロイドなど最早語る価値もない古びた陳腐な音楽集団であると見做していた。
『ザ・ウォール』が世界的超絶的ヒットを続けている最中でも、である。
あの「評価」は何だったのだろうか。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年9月27日 [愛の景色]

いかなる困難も
あなたの笑顔のためなら
愉しみ


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「2016フェドカップ決勝で弾けたフランスのカロリーヌ・ガルシア」。2017年9月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「2016フェドカップ決勝で弾けたフランスのカロリーヌ・ガルシア」。

末尾ルコ「テニス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

カロリーヌ・ガルシアCAROLINE GARCIA

1993年10月16日生まれと若い。
身長は177cmと、現在の女子テニス界では大きい方ではない。
しかしその褐色のバランスの取れた外見にはハッとさせられる。
くっきりとした顔立ち、黒髪で眉も太い。
そして一点の祖語もないほど整っている。
まるでギリシャ神話の登場人物のようだ。
2016年フェドカップ決勝。
対戦相手はこのところ常勝のチェコ。
しかしカロリーヌ・ガルシアは、ペトラ・クビトバ、カロリナ・プリスコバという格上の強豪を薙ぎ倒す。
これもまた、ギリシャ神話の戦う女神の闘争を見ているかのようだ。

「ガルシア」という名前はもちろんスペイン系だけれど、「フランスの国籍と価値観」をもてば誰でもフランス人だ。
という「自由・平等・博愛」のスローガンは揺らいでいるけれど、パリは「たゆたえど沈むことなし」。

きっとまったく似ても似つかないだろうけれど、カロリーヌ・ガルシアを見ながら、「革命の、自由のアマゾンヌ」と呼ばれたテロワーニュ・ド・メリクールを想起した。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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