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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「ポジション・トーク」を見抜けるようになりましょう、デイブ・スペクターのポジション・トーク編。2017年9月6日 [「言葉」による革命]

※2017年10月16日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「ポジション・トーク」を見抜けるようになりましょう、デイブ・スペクターのポジション・トーク編。

「ポジション・トーク」という言葉が元来金融関係の言葉であることを知っている人は多いと思いますが、ここでは現在多く使われている、

「あたかも客観的であるように見せかけているが、実は自分の立場(ポジション)に有利に働く前提の内容となっている話、文章など」

という意味で使います。

もちろん人間の思考に「100%の客観性」という状態はまずあり得ません。
「有害なポジション・トークであるか否か」は、「あたかも客観的であるように見せかけている」という部分が重要になります。
まあ、『朝日新聞』などはものの見事にポジション・トークの代表的存在となっていますね。

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注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年9月6日 [愛の景色]

あなたに何か期待するのでは
「真の愛」ではない。

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●末尾ルコ 高知市薊野西町のある場所の「家」あるいは「基地」に関する、成長する詩的コンセプト [「言葉」による革命]

●末尾ルコ 高知市薊野西町のある場所の「家」あるいは「基地」に関する、成長する詩的コンセプト 家がある 一軒の家がある それをわたしは基地とも呼ぶ その家には


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●細川ふみえ、井上晴美、飯島直子、中條かな子・・・90年代、「巨乳」の氾濫は日本人に何をもたらしたか。 [「言葉」による革命]

●細川ふみえ、井上晴美、飯島直子、中條かな子・・・90年代、「巨乳」の氾濫は日本人に何をもたらしたか。

末尾ルコ「エロティシズムと昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「巨乳」という身も蓋もない言葉が一般化したのは90年代だった。
「巨乳グラビアアイドル」「巨乳タレント」などなどという言葉が躍り、伝統的な日本人女性とはかなりかけ離れたバストを持つ芸能人がメディアを賑わせた。
「胸の大きな女性芸能人」という存在は90年代以前にも局地的になくはなかったが、「巨乳」という言葉が人口に膾炙することで、日本人の精神や知性の傾向をかなり変更してきた。
「巨乳」という言葉だけでなく、「言葉の力」はそれほどまでに強力なのである。

「巨乳タレント」としてメディアに頻繁に登場していたのが、細川ふみえであり、井上晴美、その文脈とはちょっと違うかもしれないが、飯島直子、中條かな子などだった。
やはり細川ふみえは気の利いた喋りもできて、ちょっと現在の壇蜜と重なるポジションだった時期もあったと思うが、女性たちからのウケはまったくよくなかった。
この中で、女優としての可能性を一番持っていたのはその顔だちなどから井上晴美だったと思っていたが、本人にも事務所にもその気がなければ無理な相談だったのだろう。
プロポーションなどがわたしの好み(笑)に近かったのは中條かな子だったけれど、この人はそれこそ容姿以外はとてつもない素人以外の何者でもなく、その後、現広島カープ監督の緒方孝市と結婚したが、結果的にはよい選択だったのだろう。
飯島直子は「姉御」的イメージで「カッコいい女」などとも言われていたが、わたしにはまったくそうは思えなかった。(個人的感想です)

「巨乳」について言えば、わたしは個人的に当時男性誌のグラビアに氾濫していた「巨乳タレント」を広告や書店に並んでいる表紙などで眺めながら、(こういうのを写真で見て、何がそんなに楽しいのだろう)と疑問に感じていた。
わたし自身の女性の容姿に対する基本的「好み」は、「バランスの取れた外見」であり、「胸がとても大きい」という項目(笑)が入ったことは一度もない。
しかし「誰かのすべて」を好きになれば、本来「好み」ではないようなその人の容姿まで好きになるのが普通であり、現にわたしも今まで付き合った女性の中には胸の大きかった人もいる。
しかしそれは「リアルな人間関係」の中の話であり、グラビアというものは「見るだけ」であるから、あの当時、「大きな胸の女性」を「見るだけ」でヴィジュアル的、あるいは性的興奮を覚えていた日本人男性は無数にいたのである。

男性であれ女性であれ、性愛の対象の身体の一部や着用物に対してフェテイッシュなファンタジーを持つのは人間として常識的なことであり、それを犯罪などに結び付けなけることさえなければ、エロティシズム文化として大いに愉しめる要素ではある。
しかし「巨乳」というあまりに大雑把で即物的な括りは、90年代以降の日本人に対して決していい影響を与えてはいないと思う。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、心」篇。2017年9月6日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、心」篇。

「猫、心」

その日は寒さが来たと思わせておいて、近所を歩くと汗ばんだ。そこに西薊野公園は含まれておらず、Mの心には常にミリアム・シャト・シャルマンのスタイルがあった。

・・・・・・

ぼくの心には、
毎日24時間、
ぼくの素敵なネコと一緒に!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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